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39.ゼミ飲み②
会場の居酒屋前に、航が立っていた。
誉の姿を見つけると、駆け寄ってくる。
「どうしたの?わざわざお出迎え?」
「いや、そうじゃなくて」
航はそう言うと、少し背伸びをしたので、誉もかがんでやる。すると彼は声を潜め、
「お前、帰ったほうがいいかもしれない」
と耳打ちをした。
誉がその理由を問い返そうとしたその時。
「あ!誉くん!逃さないから!」
「へっ?」
居酒屋から女子3人が顔を出し駆け寄ってくると、その腕を掴み店の方へと引っ張った。
「えっ、え?」
その勢いに圧倒されながら航を振り返ると、彼は肩を落とし頭を抱えていた。
「誉くんはここね!」
そして席に通されて誉は航が言わんとしていた事を察した。
隣の席に座っているのは、川栄。
先日別れたばかりの"元カノ"である。
「久しぶり」
彼女はそうとだけ言って横を向く。
「誉、話は聞きましたよ。
恋人は大切にしないと」
「何で貴方まで居るんですか」
「4月から、こちらの所属になったんですよ。
ちょっと向こうで片付けることがあって実異動が遅れましたが」
誉は肩を落として深いため息をついて席につく。
個室の入口を見やると、遠くの席で航が手を合わせて頭を下げていた。
「転ゼミとか聞いたこと無いんですけど」
「木下教授が口利きしてくれたんですよ。
私は小児医療希望ですし、彼はその権威ですから、その下で学びたかったもので」
「君ほど小児科医に相応しくない男はいないと僕は思うけどね」
「褒め言葉として受け取るよ」
「何でそうなるんですか、相変わらず話が通じない」
二人でバチバチに火花をちらしていると、
「やだ、満くんと誉くんって仲悪いの?」
「ええっ、意外!」
と、先輩女子が口を挟む。
誉は肩を竦め、上着を脱いだ。
気の利く後輩女子が、それを受け取り壁掛けに掛けてくれた。
さて、誉の右に座るのは川栄 葵。
一ヶ月前に別れた元カノである。彼女は医学部生ですら無いのだが、なぜか今日ここにいる。ちなみに彼女の所属は記憶にない、元々聞いていなかったのかもしれない。ただ、航と同じテニスサークルの一員だということは分かっている。
尚、告白も別れの要望も彼女からだったが、復縁要請のメッセージを受信している。誉はそれに既読すらつけていないから、恐らくしびれを切らせてこの場に無理矢理参加しているのだろう。ゼミのメンバーにツテでもあったのだろうか。
そして目の前、この飄々とした男は吉高満。
同学部で、同期だ。自分と同じ外科志望だったはずだが、小児科に転向したらしい。
入学してすぐに向こうから声をかけられて、半年ほど付き合った。こいつも如月家程ではないにせよ某病院の跡取り息子であるし、生粋のゲイだったので利用価値があるかと近づいてみたが、これが誉も舌を巻く程のサイコパスだった。ハブvsマングース宜しく腹黒い心理戦を繰り広げたものの、途中でその無益さに気付き馬鹿らしくなって切った関係だった。同時期に、より実家が太く利用価値が高そうな航と仲良くなれたのもその関係に見切りをつけた理由の一つでもあるのだが、いずれにせよこのことは誉の数少ない"失敗"であり、黒歴史だ。
二人が付き合っていたことは公表していない。だからここではあくまでも同期同士という関係を貫きたいのに、敢えて当時のまま名前呼び捨てなのが腹立たしい。
そして追い打ちをかけるのが脳天気でご機嫌な木下だ。
「誉くん、今日は来てくれて良かったよ〜。
ま、所属は違っても君はうちのメンバーみたいなものだから、これからもよろしくね」
元カノと元カレ、そして客が揃い踏みする、地獄の宴会がスタートした。
「誉くん、あのさ」
乾杯が終わるや否や、川栄が声をかけてきた。
このタイミングで話しかけてくるのもなかなか空気が読めていないが、経験上こういう時に邪険にすると後が面倒なので、誉は優しく返してやる。
「なあに?
葵ちゃん、元気そうだね。良かったよ」
「うん…ありがとう。
メッセージ、見てくれてないよね」
「そうだね。怖くて見れてないね」
「怖い?」
「君から別れを切り出されたのは、正直かなりショックだったんだ」
「そんな、ごめんなさい…」
「いや、いいよ。僕が君を傷つけたからこそのことだろうし。
ただ、理解の齟齬も起きやすいから、メッセージではやりとりをしたくなかったんだ。
意図せず君を傷つけてしまうのは怖いし、本意ではないから。
メッセージに既読をつけて期待させたらいけないし、だから敢えて見なかった。
かわりに会って話をすべきだったのに、ここまで先延ばしにしてしまったのは僕の落ち度だ」
「誉は相変わらず屁理屈が上手だね」
「吉高くん、君はちょっと黙っててもらえるかな」
横槍を入れてくる元カレを睨みつけて、はたと気がついたが周りがこちらに注目している。
それはそうだ、人の色恋沙汰程格好のツマミはない。誉は咳払いをすると葵に向き直り、
「ここは外野が多いし、これ以上はやめておこうか。この後空いてる?二人で話をしよう」
と提案をする。すると葵は少し頬を赤らめながら、コクンと頷いた。
うまく彼女のため息は下がったようだ。
"ま、話ができないくらいグダグダに酔わせてしまえばいいや"
誉はそんな腹づもりを隠して、
「じゃぁ、折角の席だし、今夜は楽しもうね」
と、彼女のグラスに自分のそれを軽く当ながら最上級の笑顔でそう言った。
「おい、大丈夫か?」
酒も料理も行き届き、場の雰囲気が丁度まったりし始めた頃、航が心配そうに寄ってきてくれた。
小声でそう問われたので、誉は肩を竦めて葵の方を指差す。
誉越しに彼女がゼミメンバーと楽しげに話をしている様子を確認し、航も安堵したようだ。
そして空気が読める彼は、葵まで通る大きさの声で言う。
「誉、教授が呼んでるからちょっと来いよ」
直ぐに意図を察した誉も阿吽の呼吸で返す。
「ええ、面倒だなあ」
「そう言うなよ。ほら、早く」
「わかったよ」
後をついて歩きながら、
「助かったよ、ありがとう」
と小声で伝えると、航は軽く右手を上げて返してくれた。
うまいこと航の横の席を陣取り、ようやく誉は落ち着いてビールを口にした。
塾講師の仕事の後だったので喉が渇いていたのもあり一気にジョッキを飲み干すと、気が利く航は速やかにタブレットでお代わりを頼んでいる。
「君たち、仲いいよねえ」
「うわ、吉高!ビックリした!」
「帰れ、酒が不味くなる」
「そう言わず、私も入れてくださいよ」
「なら、僕が帰る」
「誉、まあ、いいじゃないか。
お前、ほんっとに吉高に冷たいよな」
「私は誉のこと大好きなんだけどなあ」
「僕は君のことが大嫌いだね。
あと、手を握るのやめてくれる、気持ち悪い」
「誉、流石にそれは言いすぎだぞ。
同期なんだから仲良くしようぜ」
「如月くん、流石です。
君のそういうところ、凄くいいと思いますよ。
けど、大丈夫です。私は気にしていません。
だって誉のこういう悪態は大好きの裏返しなので」
「いや、気にして下さい。あと本当に心の底から大嫌いです」
「私は本当に心の底から大好きですよ」
「航、もうやだ、この人気持ち悪い。助けて」
「タイプ的には二人共似てると思うけどなあ。
同族嫌悪ってやつか?」
「航〜、こんなのと一緒にしないで」
「俺は今、誉をここまで言い負かす天敵がいたって事にマジで驚いてる」
「如月くん、私は誉の天敵ではなくて恋」
「満、違う。本当に黙って」
「……恋?」
「航、こんなヤツの話本気で聞いちゃダメだからね。馬鹿が伝染るからね。
満、いい加減にしないと本当に怒るよ」
「もう怒っているじゃないですか」
「すげえ、マジで誉が怒ってる」
「航、茶化さないの」
「ハイハイ。
ほら、ビールやるから機嫌直せ」
「完全に楽しんでるでしょ」
「ここまで完全に負かされてる誉は、滅多に見れないからなあ」
「やめてよ、百歩譲って引き分けだよ。
あと吉高くんは僕の手を握るのをやめなさい」
誉はそう言うと深く深くため息をついて肩を落とした。
早く帰りたい。というかカイを抱きたい。
そう思いながら、地獄の真ん中でいつの間にか目の前に3つも並べられたビールジョッキを一杯ずつ順番に呷った。
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