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45.航の受難⑤

バスルームの壁に手をつき、航は尻を突き出す格好でビクンと腰を震わせた。 「こら、後処理で気持ちよくならないの」 「んっ」 軽く尻を叩くと、内壁がぎゅっと締まる。 「駄目、それじゃ出てきません」 「うう…」 満は指で中をほぐしてやった後、そのひくつく孔から指を引き抜く。 するとドロリと精液が指を追って溢れ出た。 その独特の感覚に、航の尻がぶるぶると震える。 「やり方はわかりましたね。 次からは自分でするんですよ」 シャワーで流してやりながらそう言うと、航は体を起こしながらコクリと頷く。 その目一杯に涙が溜まっていたが、見なかった事にして、満はバスルームを後にした。 ドアを閉めると直ぐにシャワーの音に紛れて嗚咽が聞こえたが、これもまた聞こえなかったことにした。 その後満は着替えを済ませ髪をタオルで拭きながらリビングに向かう。ドアノブに手をかけた瞬間、向こう側から物音がすることに気がつく。 ため息交じりにそのままドアを開くと、ダイニングに誉がいた。 アイランドキッチン前に併設されたカウンターテーブルの前を陣取って、勝手にコーヒーまで飲んでいる。 「何でいるんですか」 「航を迎えに。メッセージしたでしょ」 満が肩を竦めると、誉はもう一つのマグカップにコーヒーを入れて差し出した。 「別れたと言い張るなら、いい加減合鍵を返してもらえませんか」 「なら君も返してよ」 「そもそも貴方の家は鍵が変わってるでしょう」 「あ、バレてた?」 誉は目を細めながらそう言うが鍵を返すつもりは毛頭無いようで、そのままコーヒーを啜った。 「航は?」 「シャワー中。 そろそろ出てくると思いますよ」 「酷いことしてないだろうね」 「ええ、紳士的に接してますよ」 「強姦しといてよく言う」 「失礼な、今朝は合意のもとです」 「合意させたんでしょ、あー怖い」 「何とでもどうぞ。 あぁ、そうだ。貴方は彼をここに運んで直ぐに寝落ちたことにしましたから、その様に」 「おや、随分親切だね」 「外野は不要ですからね」 「外野で悪かったね。 でも、そうか。独り占めしたいわけね。 君が、彼の初体験を。余程気に入ったね」 「ええ、とても愉しめそうです」 「あーあ、航、ご愁傷さまだ」 「さて、そろそろ出たかな」 手を合わせる誉を尻目に、満はダイニングを立つ。 ドアを開くと丁度航が洗面所から出てきたところだったので、 「如月くん、誉が来ましたよ。 こっちにいらっしゃい」 と、声をかけた。彼は一瞬立ち止まり、その後静かにこちらに寄ってくる。 「髪の毛ビショビショじゃないですか…」 満は苦笑いをしながら、彼の肩にかかっていたタオルで頭を拭いてやった。 航は抵抗すること無く、それが止むまで満の前で大人しくしている。 「航もコーヒー飲む?」 誉が何も知らないような顔をしてそう声を掛けると航はやっとその方を向き、そしてホッとしたような顔をした。 誉の横に座らせ、温かいコーヒーをすすると余計に安心したようで、その肩から力が抜けるのが分かる。 誉はにっこり微笑みかけ、 「二日酔い、酷くなさそうでよかったよ」 と、改めて声を掛ける。 対し、航はコーヒーを見つめながら曖昧に頷いた。そして少しの間を起き、 「夕べ、運んでくれたそうだな。すまなかった」 と、彼らしくない小さな声で言う。 その声が掠れている。 酒のせいではないなと察した誉が満を見やった。 それに気づきにんまりと笑んだ満の顔の悪どさに誉は呆れる。 「いや、それは全然大丈夫だよ、気にしないで」 「ありがとう。俺ももう大丈夫だから」 誉はそんな航の背を軽く擦る。 すると航は気丈にも誉に笑ってみせた。 流石の精神力だと誉は思った。 多少疲れた様子に見えるが、とても満の荒淫に付き合ったとは思えない。 一方で、これ以上湿っぽい空気を続けるのは航のためにも良くないので、誉は極力明るい声で話題を変えてやることにした。 「そうそう、二人ともどうせお昼まだでしょ。 作ってあげるね。満、キッチン借りるよ」 「はあ。その大荷物は食材でしたか」 「そ。航も食欲ないだろうから、おじやでも作ってあげようと思ってね」 「相変わらずマメですね」 「食は生活の基本だよ」 誉は大きな保温バッグを抱え、カウンターテーブル向かいのアイランドキッチンに入っていく。 その様子から、航は誉がこのキッチンを使い慣れている印象を受ける。どこに何があるかを確実に把握している動きだ。 マンションのキッチンなんてあまり個体差はないのかもしれないが、それにしても動きに無駄がない。 「誉と、み…吉高は、結局仲良いのか?悪いのか?」 ふと航が尋ねると、満が直ぐに答えた。 「良いですよ。だって私たちは」 「断言しないでもらえる、満くん」 誉に睨まれ、満は肩を竦める。 「大学に入って、一番最初に"仲良くなった"のが満だったんだよ」 「ええ、この人、入学したてのときは信号機に戸惑うくらいの田舎者でしたからね。 見ていられなくて世話をしてやったんです」 「えっ、信号機?」 「流石に信号機は知ってたよ。 僕が驚いたのはスクランブル交差点」 「硬直して3回青信号見送ってたのは本当に可笑しかった」 「だってどう渡ったらいいかわかんないでしょ、あんなの。交通ルールに反してるよ」 「えっ、どういうこと?」 「あれ?聞いてませんか?この人」 「満、もう恥ずかしいから黙って。 あーもういいや、僕から言うよ」 誉はそう言うと、バツが悪そうに頭をかきながら続ける。 「僕ね、すごーく田舎の出身なんだよ。 瀬戸内海の方のね、2時間もあれば一周できちゃうような小さな島」 「ええっ」 「信号機すらないんですよね」 「失礼だな、一つあるよ。 フェリー乗り場のところにね。 あ、満、今鼻で笑ったな」 「今だからこそこんな都会育ちですって顔ですましていますが、1年の最初なんか、ちょっと気持ちが高ぶると訛る訛る」 「満、やめてよもう〜」 「電車の乗り方も知らなくて、毎回改札が開かなくて慌ててたのも今となっては懐かしいですね」 「下宿してるから、ご実家は遠いんだろうとは思ってたけど…。 島出身っていうのは、ちょっと意外だった」 「ま、そんなわけでこの人、今となってはそんな黒歴史を沢山握っている私のことが嫌なんですよね」 「そうだよ。他で言ったらホント怒るからね」 「さあ、貴方次第じゃないですか」 「はあ。航も秘密にしてよ、恥ずかしいから」 「別に地方出身であることも、それに準ずる生活や文化の差は恥じることじゃないよ。訛だってお国言葉というくらいだし、大切にしたらいいと思うけど」 「はあ、一番最初に航と仲良くなれば良かった」 「流石如月くんはいつも百点満点ですね」 「いや普通だし」 ようやく航らしさが戻ってきた。 一安心しながら、誉は昼食の準備を進めた。 事が事だったので、あまり食欲がなかったのだが、誉が作ってくれた食事は思いの外喉をするすると通り、航は全部平らげることができた。 家の食事とは随分違う、素朴だが温かい味だ。 櫂が誉の家だとよく食事を食べると聞いたが、航は何となくその理由が分かる気がした。 「そうそう。 僕、今日櫂くんの家庭教師の日なんだよ。だからついでに航も一緒に行こうよ」 カウンターに上げられた食器を片しながら、誉がそう言うと、航は満の方を見た。 ソファーで本を読んでいた満は、視線をそこから動かすこと無く返す。 「車出しましょうか? 如月くんは念の為今日は運転を控えたほうがいいと思いますよ」 「うーん、まあ面倒だし悪いからいいよ。 ね、航。あ、体がきつければタクシーでも捕まえようね」 「えっ、あぁ…」 よもや満にお前は残れと言われるかと身構えた航は、曖昧な返事を返してしまう。 が、満は特に興味なさそうに、 「でしたらご都合良い時に、どうぞ」 と、本に視線を落としたままそう言ったので、航はホっとした。 そんな素っ気無い素振りをしていた満だが、帰り際、意外にも玄関まで見送りに来た。 「荷物は今夜取りに来るから、置いておいてよ」 「はい」 「捨てないでよ」 「保証はできませんが」 「捨てたらもう口きいてあげませんからね」 「それは困りますね。わかりました」 そんなやり取りをしている二人を見て、やはり仲が良いのだなと航は思った。 一方で、誉が"あんな目"に遭っていないのかと心配にもなったが、この様子からするとそれも無さそうだ。 どうして自分なのだろうと、航の胸の中にまだ大きなモヤモヤがある。 確かに彼は親戚筋に当たるが、これまでそれらしい家同士の付き合いはない。学校も大学で初めて同じになった。何度か実習が被ったことはあったが、プライベートでは殆ど話をしたことはない。 幾度と無く彼は若さまと自分を呼んだ。 自分が如月の跡付きだから、敢えて狙い近づいたのだろうか。 だとしても、その理由が見当たらない。 自分を失脚させたとしても弟の櫂がいるし、そもそも吉高ほどの遠縁まで跡継ぎの話は及ばない。 "貴方のことが好きなんです"と、彼は言った。 だとしても、やることがあまりにも酷すぎる。 少なくとも自分の理解の中では、到底好きな人にやることではない。 航は満が何を考えているのか、全く理解ができない。 満とそれなりに仲が良さそうな誉なら何かわかるかもしれないが、あんな事をされたなんて恥ずかしくて到底言えそうにない。何よりも親友である彼に軽蔑されるのが、怖い。 「航、どうしたの?難しい顔して」 「あ、いや…何でもない」 声をかけられてハッと気がつくと、誉が心配そうな顔でこちらを見ていた。 航は笑って誤魔化して、スニーカーを履く。 「吉高も、その、世話になった」 「いいえ、気になさらずに」 敢えて普通を装うと、彼もそれに応えた。 やはりこの関係を誉に知らせるつもりはないらしい。 しかし、そんな彼に背を向けた瞬間、耳元にその息遣いを感じる。 彼は航の耳のそばまで顔を寄せ、そして囁いた。 "また明日、ここに来ること" 航はその言葉に戦慄し、体を強張らせた。 「航、どうしたの?」 半分玄関から出ていた誉だが、なかなか航が続いてこないのでもう一度そう呼びかけてきた。 満は航の肩に振れ、 「何でもないよ」 そうにっこり返して、航の背を押した。 「如月くん。またね」 玄関ドアを閉じる間際、満が笑顔でそう言って手を振るのを、航は恐ろしいモノを見るような目で見つめていた。

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