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51.如月邸 お泊まり⑥

瀬戸に髪を拭かれながら、カイは大きな欠伸を一つする。ウサギさんはおネムのようだが……。 「爺、お茶会する」 「これからですか?」 「うん」 「もうお疲れのようですから、明日になさってはいかがですか」 「明日じゃ誉帰っちゃうじゃん」 「しかし……」 「やだ、する。誉のクッキー食べるの」 「坊ちゃま、明日にしましょう」 「やだ、いやだ」 カイは頑なに譲らない。 髪の毛を拭き終えた瀬戸が困った顔をしている。 それを見た誉は苦笑いをしながら、 「夕食の時、僕が思いつきで土産のクッキーを渡してしまって。そうしたら、夕食を止めて食べるなんて言うものですから、ならば、お風呂から出たら食べようと約束してしまったんです」 と、助け船を出した。 「そうでしたか……」 「あと、爺のサンドイッチも食べたい。 卵焼き入ってるやつ。 なんかお風呂入ったらお腹すいた」 「お夕食を召し上がらないからですよ」 「だって今日のオレが嫌いなのばっかだったじゃん」 「ですが」 「いやだ、食べたい。 このままじゃ、お腹すいて眠れない」 カイは子供のように駄々をこね始める。 「爺、だめ?」 それはとても悪い癖だと思うが、それに対し、 「……かしこまりました。 では準備いたしますから、その前に大人しく体を拭かせて下さい」 と、結局言うことを聞いてしまう瀬戸にも問題があるように思う。 「じゃあ、誉にしてもらう!」 「えっ、僕?」 「坊ちゃま」 「だめ?」 「や、そもそも自分で出来るようにならないとね?」 「だめなの?」 「………やります、やらせていただきます」 前言撤回である。 そんな可愛らしい顔で上目遣いをされて断れる人間がいるだろうか。 誉はため息をつきながらタオルを広げ、飛び込んできたカイを拭いてやる。 「卯月さま、申し訳ありません……」 「いえ……瀬戸さんも大変ですね……」 そうして、カイに上等なパジャマを着せ、しっかり髪の毛まで乾かし終えてお風呂タイム終了だ。 二人で脱衣所を出た所で、カイが誉の手を取る。 ぎゅっと握り返して見下ろすと、ニッコリ笑って返してくれた。 可愛いの暴力だよなー、これ……。 誉はニヤけそうになる口元を抑えながら、カイと共に部屋に戻る。 一階の浴室から二階に続く階段を登っていると、後ろから足音がした。 二人揃って振り返る。そこにいたのは航だった。 「え?誉?」 航は誉を見るや否やそう驚いたように声を上げる。 「お前、何で………あ、櫂、お前だな」 反射的に誉の後ろに隠れたカイを目敏く見つけ出し、航が声を低くする。 「お前またワガママ言ったろ」 階段を登り近づきながら航が声を荒げる。 「まあまあ、航。そんな怖い声出さなくても」 「いや、こいつのワガママは目に余る」 「ワガママいしてねーし、誉もとまりたかったって言ったし!」 「それは社交辞令ってやつだ。 お前と違って誉は忙しいんだよ、いい加減にしろ」 「そんなことないし!」 「まあまあ、ふたりとも落ち着いて。 航、君こそどうしたの、こんな時間にお出かけ?」 「そうだよ、門限破りだ。母さんに怒られるぞ」 「俺は成人だ。未成年のお前と一緒にすんな。 それに、ジョギングしてただけだし」 「ジョギングー!?」 「……なんだよ」 「いや……元気だね?」 確かによく見ると航は上下ジャージ姿だが、誉は心から驚いた。 だって昨夜満に無理矢理犯され、確実に今朝も犯され、しかもどう考えても、優しくなんてして貰えてないし、初体験だったはずなのに。尻も腰も痛いはずなのに。 「本当にジョギングしてきたの?」 「したって程じゃねえよ、小一時間だし」 「充分だよ!」 やばい、こいつ体力のお化けじゃないか。 メンタルの強さはこの肉体の強さから来るのか。 航は目を細め、カイにもう一度睨みをきかせたあと、誉に向き直った。そして、 「誉、本当にすまないな。断ってくれて全然いいから」 と、頭を下げた。 「いや、本当にいいんだよ。 今日はカイくんもお勉強頑張ったからね。ご褒美」 「ご褒美ねえ…」 誉がそう助け船を出すと、それ以上航は追求してくることはしなかった。 方向が同じなので、誉と航は他愛もない話をしながら部屋に向かったのだが、誉の手を握り後をついてくるカイは黙ったまま二人の様子を見守っていた。 そして自室前で別れるところで、彼はおずおずと誉の影から口を開く。 「兄さん、なんか元気ない? 満兄さんとケンカでもした?」 その言葉にバッと二人は揃って勢いよく振り返り、カイを見た。 誉は眉を思いっきり寄せ、航は顔を強張らせている。 「カイ、今何て言った?」 思わずいつもの猫かぶりも忘れて素で問い返したのは誉だ。 「へっ?」 その声色が聞いたこともない位低かったので、カイはその手を離して一歩引く。 「な、なんでもない、ごめんなさい」 「いや、誤摩化さないで。今満って」 「何でもない」 「何でもないこと無……」 「坊ちゃま、卯月様、お茶の準備が整いましたよ。おや、若さまもお揃いですか」 と、その時タイミング良く瀬戸がカイの部屋から出てきてそう穏やかに声を掛ける。 「あ、爺っ」 カイは誉から離れて瀬戸に駆け寄るとその後ろに隠れる。 「おやおや、どうされました?」 「お茶会やめる、もう寝る」 「坊ちゃま?」 「あはは、カイ、何言ってるの」 誉はそう言うと、そんなカイの手を取り直し、強引に引っ張る。 「瀬戸さん、準備ありがとうございます。 さ、カイ、お茶会しようか。楽しみだね」 「……俺も入れてもらおうかな」 すると今度は航もカイのもう一方の手を握り捻り上げた。 「勿論、大歓迎だよ。ね、カイ」 「イタタっ、ちょっ、やっ」 そして二人揃ってカイを引きずって部屋に入っていく。 取り残された瀬戸は、3人の背中を見送りながら、 「おやおや、仲が宜しいことで。 良かったですね、坊ちゃま」 と、穏やかに微笑んだ。 「もう、やだっ」 部屋に入るなり、カイは半泣きでそう叫び逃げ出そうとする。が、誉がスッと抱き上げてしまったので、それは叶わない。 そのままゆっくりソファーに運ばれ下ろされる。すると彼はカフェテーブルの上のサンドイッチとクッキーには目もくれず、ソファーの端っこで丸くなり二人を拒絶した。 「櫂、お前、吉高を知ってるのか」 次に声を掛けたのは航だった。 「ふたりとも急に怒るから、もうやだ」 「カイ、違うんだよ、怒ってないよ」 ぐずっと鼻を啜る音が聞こえ我に返った誉が、優しく背を撫でながら言うがカイのご機嫌は治らない。とうとうウワーンと泣き出したので、誉と航は思わず顔を見合わせ、揃ってため息をついた。 そこから何とか誉と航二人がかりでカイを宥め落ち着かせるためにかかった時間は30分。 誉が膝に乗せ、航がクッキーを割って口に運んでやるとようやくカイは話を始めてくれた。 「昨夜、満兄さんからがメールきたんだよ。 兄さんは満兄さんちに泊まるから、今夜は帰らないよって」 「うーん、そこじゃなくて……。 というか、聞きたいことが増えてしまったな」 誉は頭を抱えながらため息を付く。 一方で航は冷静だった。カイの特性を把握した彼は、今度は努めて穏やかに尋ねる。 「櫂、改めて教えてくれ。 お前、吉高満を知っているんだな」 「うん、親戚のお兄さんでしょ」 「その通りだ。 では、何でお前が吉高のことを知ってるんだ。 接点があるとは思えないが」 「だって毎年来るじゃないか、ひいじいさんの命日に、お線香上げに」 「成る程、そうか。 誉、今の如月家の礎を作ったのは、曽祖父でさ。だから、ウチには毎年曽祖父の命日には親族が仏壇に線香をあげに来る習慣がある。確かに、吉高家も毎年来る。お前には言ってなかったが、俺たちは親戚なんだ」 航はそう補足をし、クッキーの欠片をカイの口の前に差し出す。カイはそれをはむっと食べると、今度はサンドイッチを指さして誉に要求した。 よくクッキーとサンドイッチを行ったり来たりできるなと誉は思うが、余計なことを言うとまたへそを曲げるので黙ってそれに従う。 それに、ウサギさんへの餌付けは可愛いし楽しい。 「次はオレが聞く番だよ。 兄さん、さっきからなんか元気ないでしょ。 満兄さんとなんかあったの?」 「いや……」 普段は他人の機微に疎いくせに、やけに鋭い質問だ。言葉を詰まらせる航に、今度は誉が助け舟を出してやる。 「航、二日酔いで調子が悪いんだよ。 昨夜、お酒を飲みすぎちゃってね」 「ふうん……」 カイはじっと赤い瞳で兄を見る。 射るような視線だと航は思った。心臓がバクバクと鳴り始める。 まさか、こいつ、察して。 しかしこいつは"あんな行為"自体を知らないだろう。だからそんな筈はない、大丈夫。 そう思いながら航はその赤い瞳を同じ様に真っすぐ見返す。 反らしたら負けてしまうような気がして、踏ん張った。 「ならいいけど」 するとカイは急に興味を失ったのかそう返し、ふいと目を反らした。そして航がほっと息を付く間に、カイは今度は誉が差し出した紅茶を飲み始めた。

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