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55.放課後 カフェテリア

それは麗らかな午後のことだ。 大学構内にある遊歩道の木の裏に隠れ、カフェテリアの様子を伺っている見覚えがある不審者に、航は半ば呆れながら近づいた。 「誉、お前は何をしてるんだ?」 「わっ、航。びっくりした」 背後から突然名を呼ばれた誉は跳ねるように立ち上がると、胸を抑えて息を吐く。 「君こそこんなところで何してるの」 「ジョギング」 「また?!君は本当によく走るね?!」 「ああ。走るのはいいぞ、スッキリするし」 「……」 実は誉は今日も航が家に来るから、さっさと荷物を持って帰れと満からメッセージを受け取っている。だから航は間違いなくスッキリを越えてげんなりする程搾り取られるだろうから、体力は温存しておいた方が良いと思うが、下手なアドバイスはやめておくことにする。誉は航と満の関係を知らない設定だからだ。 「で、お前は?」 「うん。 実は、カイくんからタレコミがあったんだよ」 「タレコミ?」 「そう」 そして誉は航にスマートフォンを見せる。 そこにはカイからのメールがあった。 "がっこうのあとみつるにいさんとかふぇいくよいい" 航は眉を寄せて言う。 「何だこの暗号」 「カイは文字変換が出来ないんだよ〜。 も〜可愛いよね〜」 「まじか、不器用過ぎるだろ。 って、"満兄さんとカフェ"?」 「そう、これからそこのカフェで満とカイくんがお茶するんだよ。昨日の今日でタイムリー過ぎてほんっと腹立つ。 あいつ知っててやってるんじゃないかな!」 「俺には櫂からそんなメール来なかったぞ」 「君、そもそもアドレス交換してないでしょ」 「あ」 「全く薄情なお兄さんだよ。そんなだから親戚のお兄さんに負けちゃうんだよ」 「別に負けてねえし。 この前眼鏡買ってやって大分距離詰めたし」 「ま、カイくんが大好きなお兄さんの頂点は僕だけどね」 「何の話をしてるんだお前は」 「あっ、きたきた。ホラ、航も隠れて」 「だから別に隠れなくても」 「頭が高い!」 「わっ」 今度は茂みからカフェの方を伺うと、丁度二人が店から出てきたところだった。 いつも無表情な満が、信じられない位優しく微笑んで櫂と談笑している。 ハッキリ言って気味が悪い。 櫂も櫂で、眼鏡付きだというのにリラックスした表情だ。全く警戒すること無く満の後を子ウサギのようについて歩いている。 「ぐ……楽しそうに話してる…悔しい」 「そんなに嫌なら行くなって返せばいいのに」 「だって櫂くん、無駄にあいつに懐いてるじゃないか!理由もなく駄目って言って嫌われたら、僕立ち直れないよ」 「昨日のでいいだろ、自分が一番じゃないと嫌だとか何とか」 「そんなこと言って重たい家庭教師だなとか思われたくないし……あくまでも自発的に且つ自然に誉先生が一番すき♡って魂に刻んで欲しいんだよ僕は」 「重たい家庭教師だな」 「あー!」 「今度はどうした」 「見て!ほら!櫂くんのほっぺについたドーナツの食べカス、満が取って食べた!」 「お前、さっきから視力がいいな」 「両目5.0だからね!」 「えっ、怖っ」 「もう許せない。 物理的にも社会的に殺してやる」 「物理的に死んだら普通社会的にも死ぬから」 「お口も拭いてあげちゃってるじゃないか! うっうっ、もうやだ…拷問にも程がある…耐えられない……屈しそう……」 「情緒が不安定だな、大丈夫かお前」 「そんなすました顔してるけどさ!航はいいの?櫂くんの大好きなお兄さんランキング第一位、あいつになっちゃうよ?!」 「…………それは癪だな」 「でしょ?!」 するとその時、誉と航のスマートフォンが同時に鳴った。確認すると、画面に出ていたのは「吉高 満」の文字、グループ通話である。 ハッと満の方を見ると、彼はこちらを向き不気味な程ニッコリ笑いながら、手招いていた。 二人は同じタイミングで顔を見合わせ、諦めたようにその方に向かう。 「誉先生、兄さん」 鈍感な櫂は、突然現れた二人に心底驚いた声を出す。 「全く、二人でコソコソと コーヒー飲むでしょう?どうぞ」 対する満は呆れ顔のまま、二人にコーヒーを一つずつ差し出した。 「何で僕たちの分があるんだよ」 「過保護なお兄さま方がきっと揃っていらっしゃるかと思ったので」 「満兄さん、誉先生と兄さんも誘ってたんですね。3つ飲むのかと思ってました」 「あはは、まさか。 誉にはケーキもありますよ。 新作ですって、食べるでしょ?」 「………」 「食べるのかよ」 「ケーキに罪はないから……」 誉はしっかり櫂と満の間に椅子を持ってきて割り込む。航もまた満から距離を取って立っていたが、どうぞと笑顔で横の椅子に座るよう促されて渋々腰を下ろす。 すると早速と言った感じで満は離し始める。 「如月くん、昨日私のメッセージ無視したでしょう。傷ついたなあ」 「わ、悪い、寝てたんだよ」 「ふうん」 「次からはちゃんと返すよ……」 「ええ、必ずお願いしますね」 一夜にして完全に力関係が出来上がっている。 見事というか、なんというか。 誉は肩を竦めながら両名を見る。 すると膝をトントンと叩かれたので、視線を移すと、櫂がこちらを見上げていた。 目が合ったので微笑んで返すと、櫂はほっと息をついた。満とのお茶を一応メールでは許可されていたが、不安だったのだろう。 本当は自発的に断って欲しいところだが、今の櫂ではきっと難しい。今後の教育が必要だ。 膝に伸ばされた手を握ると、櫂はモジモジしながら顔を赤くした。その態度から、自分が櫂の中のお兄さんランキング一位だと確信できたので誉のため息が下がる。実際は既にお兄さんを越えて恋人になったのだから殿堂入りの筈だが、強欲である。 「櫂くんもケーキ食べる?美味しいよ」 「胃もたれしそうだからいらないです」 「僕にもアーンさせてよう、満にはさせてたじゃないか。僕も櫂くんに餌付けしたいよう」 「餌付け」 「櫂、面倒だろうが一口食ってやれ。 さっきからうるさくてたまらない」 「わ、わかりました」 「わあ、小さいお口♡可愛い〜」 「重症ですね、これは」 「そうなんだよ。最近ちょっとこのまま弟を預けて良いものか心配になってる」 「ふふ、子ウサギさんは、とっくに狼さんに食べられてたりして」 「なっ、まさか誉に限って」 「本当にそう思う?」 「当たり前だろ、あいつはお前とは違って」 「無理矢理セックスしない?」 「なっ」 「こらこら、君たち昼間から何の話ししてるの。信じられない!櫂くんの情操教育に悪いからやめてくれる?」 すると誉が櫂の耳を塞ぎながら二人を諌めた。 だから満は航の耳元で囁く。 「では、"無理矢理"ではなかったとしたら?」 「まさか」 そう言いながらも、航の顔は強張る。 最近櫂はよく誉の家に泊まる。 そういえば昨日も一緒に風呂から上がってきたし、朝まで櫂の部屋で二人で過ごしたようだった。 考え始めると思い当たる点は幾つかある。 しかし、まさか。 誉に限って、まさか。 「意地悪が過ぎましたね、忘れて下さい」 満は航の肩を軽く叩きそう言い、目を細めた。 航は曖昧に返事をして、親友と弟を見る。 櫂がケーキの2口目を断固拒否し、誉が嘆いている。多少距離感は近い気がするが……。 その時、チリチリと航は米神のあたりが疼いた。 俄に宴会の夜のことがフラッシュバックする。 "ああ、駄目だよ。 全く、兄弟揃って仕方ないな…" あの、声は、一体誰の。 「…?」 駄目だ、モヤモヤしていて記憶がハッキリしない。航は額の真ん中を人差し指で何度か叩きながら考えたが、やはり思い出せない。 「航、大丈夫?走り過ぎて疲れてるんじゃないの。昨日の今日だし、ちょっと安静にした方がいいと思うよ」 すると誉がそう声をかけてくれた。 「あ、あぁ…」 航は顔を上げて、もう一度誉を見た。 彼は優秀で、誠実で、優しい男だ。 そんなはずはない。 航は思い違いだと自分に言い聞かせる。 「なんだ。 兄さんも誉先生も、満兄さんと仲いいじゃないですか」 すると大人しくしていた櫂が、そう不満そうに声を上げた。 「おや、櫂。どういうことですか?」 「昨夜、二人が満兄さんがどんな人かわからないからって私に沢山質問してきたんです。 満兄さんと仲良くなりたいんですって」 「へえ」 満はにんまりと笑む。 対し、二人は苦笑いをして誤魔化すしかない。 「でも、もう充分仲良いと思います」 「私も充分仲良くして頂いていると思っていましたが、そうですか。そう仰るならもう少し時間を取ったほうが良さそうですね。 善は急げです。 如月くん、この後いかがですか?。良いワインを手に入れたので、ご馳走しますよ。 ゆっくり話でもしながら飲みましょう」 「あ、いや……俺は……」 「嫌なんですか?」 「ええと、分かった、分かったよ」 「ちょっと待って、この流れで僕のこと誘わないの酷くない?」 「誉のことはよく知っているので結構です」 「誉先生と満兄さんは、もともと仲いいの?」 「櫂くん、細かいこと気にするのやめよう、ね」 「はぁ、わかりました」 「櫂、今日も多分お兄さんはウチに泊まることになるので、ご家族に伝えてもらえますか」 「いや、俺、今日は帰りたいよ……」 「ん?如月くん、何か言いましたか?」 「いいえ、何も」 「いいなあ、私も満兄さんの家に行ってみたいです」 「そうですか?これからお兄さんと一緒に来ま」 「絶対駄目」 誉と航は揃って被せ気味でそう返し、満を睨む。 対し、満は不敵な笑みを浮かべて返すのみだった。

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