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56.放課後レッスン①
満がワイングラスを持ち上げ微笑む。
航も合わせて同じ様にするが、その表情は固い。
両親もワインを好んで飲むが、航はどうもこれが好きになれない。香りは悪くないが、この独特の渋みが苦手だ。
しかしそんな感情を一切表に出す無く、航は卒なくそれを口にした。
どうやら満はワインが好きなようだ。
昨日は気が付かなかったが、リビングにはワインセラーが設置してある。遠目で見た限りだが、中身は満杯だ。
綺麗に盛り付けられたつまみも、既製品では無い。あまり食に興味がなさそうな印象だったので意外だ。そしてその拘りの強さを感じる。
「おや、ワインは苦手ですか」
するとそんな事を言われ、航は一瞬動揺する。
今まで何度もこなしてきている、見破られたことはない。
「いや、そんな事無いよ」
「貴方、苦手なものを前にすると、ここが一瞬痙攣するんですよ。気づいてますか?」
満がそういって眉尻を指さした。
思わず航はそこを抑えるが、勿論意識したことは無い。
「ウィスキーもありますけど」
一方で、航は満の前で色々と取り繕うのが面倒になってきた。彼には最大の弱みを握られているわけだし、もうどう思われても関係ないだろう。
だから航は髪の毛をぐしゃぐしゃと乱暴に掻くと、ワイングラスをテーブルに置き答える。
「いや、まだワインの方がいい。
酒はあまり得意じゃないんだ。
一昨日のことで知ってるだろ」
「あぁ、そうでしたね」
あれさえなければ、こんなことには。
ふとそんな風に航が思ったその時、満は二杯目のワインを手酌しながらぬけぬけと言った。
「まあ、あれは薬が入ってましたからね。
いつもより早く回ったんでしょう」
「は?薬?」
「睡眠薬と、媚薬を少々。
とっても気持ちよかったでしょ?」
満はにっこりと笑む。
一方で、航の気持ちは穏やかではない。
「お前、何てことを!犯罪だぞ!」
「そうですね。
警察に突き出してくれてもいいですよ」
「……っ!」
航はそう声を荒げたが、満は全く動じない。
航がそんなことをしない、できないとわかっているからだ。
「まさか、これにも何か入ってるんじゃないだろうな」
「そう聞かれて、はいそうですと言う馬鹿はいませんよ」
「う……」
「まあ、でも、もうそんなことはしませんよ。
目的は果たしたので」
「目的ってなんだよ」
「貴方と仲良くなることです」
「マジで意味がわからない。
仲良くなりたいなら普通に話しかけろよ。
あんなことをしておいて仲良くなれると本気で思ってんのか?」
「思っていますよ。
セックスは親密な行為の最上位ですから。
前も言いましたけれど、お手々を繋いでお話して仲良しこよしなんてあまりにも幼稚です」
ぐ、と航は言葉に詰まった。
彼女である舞子との関係を揶揄していることは航にも直ぐに分かった。
彼女と正式に交際がスタートしたのは高校に入ってからだったが、それ以前から幼なじみとしてずっと一緒にいた子なのだ。
それもあってか、なかなか"そういう"気持ちを抱けないのが本音だった。幸い彼女もそうなのか、過度に航を求めてくることはない。例え幼稚と言われようが、今のままで自分たちは幸せなのだ。
「好奇心で伺いますが、貴方、性欲はあるんですか?」
「どういう意味だよ」
「貴方を見ていると、まるで小学生男子のようなんですよ。
性に目覚める前の、ある意味中性的って感じの。
そういう意味では、櫂の方が余程性的な色気がありますよね」
「お前、やっぱり櫂のこともそういう目で見てたんだな」
「見ていますが、わざわざしようとは思わないかな。ちょっとストライクゾーン外れてるんですよね。来てくれるならウェルカムですけど」
「最低」
「褒め言葉として受け取りますよ」
「大体、櫂に色気なんかあるわけないだろ。
あんな痩せっぽちが」
「体型は関係ないですよ。まあ、誉の力かなあ」
「またその話か。だからあいつはそんなこと」
「あの子は誉に恋をしてるでしょう」
「恋?」
「そう。お人形さんが恋をしたんです、だから」
「櫂から望んでってことか」
「誉は優しい男ですからね」
「それはない。
あいつはそういう行為なんてそもそも知らない。
そしてあれは恋とは違う。単純に愛情不足だ。
本当なら俺がもっと……」
「おや貴方、もしかして弟に欲情するタイプ」
「何でそうなるんだよ。俺はヘテロだ」
「ふうん?その割には彼女と進まないですね。
やはり性欲が無いのか……」
「あるよ、ある。人並みにはある……と、思う」
「そこ自信ないんですか」
「そんな話、普通他人としないだろ」
「普通にしますけど。修学旅行とかで。
もしかして行ってないですか?」
「……」
「当たり」
「いいだろ、別に。
何かあったらいけないからって祖父から言われたんだよ」
「流石如月家の跡取りさま!
大切に大切に、化粧箱に入れられて育てられたのですね!」
「違うし」
航は気に入らなそうに満を睨む。
全く進まぬワインを早く飲むように促され、彼らしくない粗雑な飲み方で煽った。
満は次のボトルを開け、新しいグラスにそれを注ぐ。今度は白、赤よりは幾分マシだ。
「じゃあ、どれくらいの頻度で自慰をするんですか?その時のオカズは?」
「なっ、何でそんな事答えなきゃいけないんだよ」
「何で答えないで済むと思ってるんですか?」
満はそう言うとスマートフォンを見せつけ、トントンと叩く。航はギクリと肩を震わせた。
航は彼に弱みを握られているのだ。
その立場を守りたければ、拒否権はない。
「……月に」
「月単位?!」
「に……、1回」
「冗談でしょ?」
「な、なんだよ、じゃぁお前はどうなんだよ」
「私は自慰はしませんね。
相手には困ってないので」
「最低!」
「で?オカズは?」
「うるせえ、触んな」
「教えて、若さま」
「……」
ふわりと耳を撫でられ、航は顔を赤く染める。
そして諦めた様子でスマートフォンを開き、そ
の画面を満に見せた。
しかし満は眉を寄せる。そのスマートフォンを受け取って、もう一度改めて確認しそのまま止まってしまった。
「も、もういいだろ……返せよ」
「いや、え?これ?」
「そうだけど」
「貴方私をおちょくって………いや、本当に?」
航の様子を見て、これは本当だと確信した満は流石に動揺した。
だってそのスマートフォンの画面に出ていたのが。
「これ、我々が子どものときに活躍していたテニスプレイヤー」
「の、スマッシュを打とうとしてるところの写真」
「イヤイヤイヤイヤイヤおかしい」
「おっ、おかしくない!
凄いんだぞ、彼女のスマッシュは!」
「それは分かりますけど何でそれでヌけるんですか!」
「あのスマッシュ見ると興奮する」
「いや写真ですからね。
しかもこれ厳密には手前だから打ってませんからね」
流石の満も絶句である。
まさかここまでとは思わなかったし、どうしてこんな風になるまで放っておかれたのか。
箱に入れ過ぎるのも問題だと心から思う。
同時に、これの彼女である舞子が気の毒になってきた。これは色んな意味で大変な彼氏である。
「まだテニスウェアコスプレもののAVとかなら納得できたのに……」
「そ、そんなの見るわけないだろ、はしたない。
テニスへの冒涜だぞ」
「はあ……」
「やっぱりお前もこの写真興奮するよな。
わかるよ。この腕の角度からして違うんだよ。
他の選手だと」
「しません、勝手にわからないで下さい。
あと聞いてないです」
満は元より洞察力と観察力が高い。
故に、こと人間関係においては予想外の事が起きることはなかったのだが、これは面白い。
「わかりました、若さま」
満はクスリと笑って航の頬を撫でる。
「これは調教のしがいがありそうです」
「ちょ、調教?」
直ぐに体を強張らせる航に、満は言う。
「気持ちいいこと、沢山お勉強しましょう。
私好みの奴隷さんになれるように。
ね、若さま」
そして満はにっこりと微笑む。
対して航は、改めて自分が置かれた立場を理解しその顔を強張らせた。
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