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60.如月家

それは某高級ホテルのスイートルームでのこと。 「はぁ…」 黒のアッパーに赤い靴底が映えるハイヒールを履いた己の足を見つめながら、誉はため息をついた。 「ほ、誉くん、もっと踏んでくれ」 本日の客である目の前の男に請われ履いたものだが、よくこんな大きなサイズのハイヒールがあったものだと逆に感心する。 そのヒールの先は、荒縄できつく体を亀甲縛りで拘束され四つん這いになった男の背中に食い込んでいる。鬱血した跡を避け、誉はグリグリとそれを押し付けて更に痣を増やしてやった。 男の汚い喘ぎ声をBGМに、誉はスマートホンを取り出す。開くのはスマートウォッチのアプリだ。 カイのものと常時同期されているそれを暇を見つけてはチェックし、愛しいその子が今何をしているのか妄想することが、目下一番の誉の趣味だ。 リアルタイムでトラッキングしている数値によると、カイはようやく眠ったようだった。 おやすみのメールが来てから3時間。 今日はいつもにも増して寝付きが悪かったようだ。可哀想に、なかなか入眠できずきっと辛い思いをしただろう。 もしかしたら、薬を飲んだのかもしれない。 やけに寝入り直後の睡眠が深い。 「誉くん、もっと……っ」 「ああもう、うるさいな!」 楽しい考察の邪魔をされて、誉は強めに男の背中を踏みにじる。するとまた彼は嬉しそうに嬌声を上げた。 誉はスマートフォンをベッドに投げ出すと、足を組み直してグッ、グとその背肉にヒールを押し込む。 ついでに首輪から伸びた鎖を引くと、彼は顎をのけぞらせ、ビクビクと腰を震わせる。 床が湿っていく。 それを汚らわしいと誉は吐き捨て、更に鎖を引く。酸欠により失神するギリギリのところでスッと離す。すると彼は勢いよく床に崩れ落ちた。 起き上がろうとする上身を絶妙なタイミングで踏みつけた。彼はまた体を震わせ達する。 「気持ちいいですか?」 誉は膝に肘をつき、頬杖をつきながら彼に問う。 「あぁ、いい、もっとしてくれ」 彼は上ずった声でそう言うと、誉の方を振り返った。 「もっと罵って、虐めてくれ」 誉は目を細め、それを見下ろす。 そしてわざとらしいほど深くため息をつき、冷たい声で言い放った。 「とんだ変態ですね、如月院長」 そして靴底全体でその背中を蹴り押す。 前のめりになった彼は豚のような声を上げて悦んだ。 彼は由緒ある如月総合病院の院長だ。 言わずもがな、航と櫂の父親である。 この関係の始まりは、昨年、如月家に世話になったときに声をかけられたことだった。 ちなみに彼の妻とも同じきっかけで"アルバイト"をしているわけだから、似た者夫婦だと誉は思う。 ただ彼の方が地位と金に物を言わせて男女関係なくのべつ幕なしに好みの若者に手を出しているのだから、より悪いのかもしれない。 ちなみに彼は本宅には殆ど戻らず、大半を別宅で過ごしている。実際、如月邸で顔を合わせたのは 数回だけだ。妻との折り合いも悪く、長男の航からも特段慕われている様子はない。勿論次男は言うまでもなく、である。 初回の"お食事"の後早々に肉体関係を示唆されたのは少々驚いたが、蓋を開けてみればこの変態ドMである。流石の誉も退いたが、こんなでも如月家の当主なのだ。良い関係を築いておいたほうが後々役に立つのでそのまま今に至る。 金、地位、名誉、まわりからの称賛。 生まれながらにして何もかもを手にした男は、逆にこうやって何の力もない男に虐げられ、罵られることに快感を感じるらしい。その心情は全く理解できないが、下手に手加減をすると逆に不満に繋がるので、ストレス解消も兼ねて誉も思い切りやらせてもらっている。 院長の汚い背中を踏みつけながら、トンビが鷹を産むとは、この事を言うのだろうと誉はひとりごちる。 こんなクズの塊のような両親に対し、息子である航の聡明さと勤勉さはまさに奇跡だ。 弟の櫂もまたそうだ。 この悪魔のような両親から、あんなとびきり可愛らしい天使が生まれるなんて俄に信じがたい。 そこでふと誉は、興味本位でずっと感じていた違和感を院長にぶつけてみることにした。 それは、彼の異常ともとれる次男への態度だ。 こう見えて、普段の院長の人当たりは悪くない。 テレビや雑誌にもコメンテーター的な役割で度々登場するが、理解ある優しい権威者としてのキャラクターを貫いている。 勿論航に対しても同様で、そのふるまいに不自然なところはない。 それがこと次男の櫂に対しては当たりがきつい。 誉が見る限り櫂には会話はおろか、視線一つ向けることはなかった。まるで最初からその存在が無いかのように扱っている、そんな印象だ。 カイが言うことを是とするならば、家族だけの時は暴言もあるようだが、いずれにせよそれは虐待だ。 「貴方、どうしてそんなに櫂くんへの当たりがきついんですか?」 「……っ、なんのこ…あぁっ」 股間に靴のアッパーを押し当て潰しながら誉は問う。 「櫂くんがね、貴方の虐待のせいで傷ついてるんですよ。可愛い生徒が泣いているのは、家庭教師として見過ごせないでしょう?」 「あぁ、くっ…」 「答えて?でないと潰しちゃいますよ」 「はあ、はあ……」 足の先に力を込めていくと、院長のペニスがどんどん硬さを増していく。こんなことにすら興奮するのだから、本物だ。 誉は固くなったそこを靴でスリスリと擦りながら、首輪から伸びる鎖を引く。空いた方の足のヒールで腰のあたりを踏んでやると、ペニスがビクビクと脈打ったので、根本に靴先を押し付けて射精できぬように止めてやる。 あぁっとまた声が漏れた。 「答えたらイかせてあげますよ」 「あれ、は」 息を弾ませながら院長は言う。 「生まれてくるべきではなかった。 私は堕ろせと命じたんだ、なのにあの女」 あぁ、とまた院長は情けない声を上げるたが誉は押し黙り、話の続きを待つ。 「お父様もお父様だ。 許せない、許せるわけないだろう」 そしてその言葉で誉はこの歪んだ家族の事情を察し、 「あれを私の息子にしろだなんて、これ以上ない屈辱だ」 続いたそれで確信した。 「まさか、櫂くんは」 流石の誉も口に出すにはおぞましく、それ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。 櫂の母親は紗栄子である。 それは間違いない。 あの女が実の息子以外をあんなに可愛がるとは到底思えない。 そしてその夫である人物が"お父様"と呼ぶ人物はその実父しかいない。 つまり櫂は現如月家当主であるこの男の妻と、その実父の息子だということだ。 誉は足の力を緩める。 情けない声を上げて院長が達するのを見下ろしながら、彼にしては珍しく動揺を見せている。 「その事を、櫂は知っているのですか」 「さあ、あれのことは何もわからない、知りたくもない」 院長は早々にそう答えた。 「では、航は」 それに続く院長の言葉はなかったが、誉はそれを是と捉えた。 だからこそ彼は弟を一族とは何の関係もない自分に託したのではないだろうか。 これらが事実だとすれば、全てのことに合点が行く。例えば、兄と弟を執拗に比較する祖父。 それは実孫よりも、自分の血を直接継ぐ息子のほうが優れていると示したい気持ちの現れだろう。 あわよくば航ではなく櫂を後継にとすら考えているのかも知れない。 そして、母親。 彼女は元は夜職をしており、院長と出会い恋に落ちたとされている。ではそれが院長ではなくその父親の方だったのだとしたら。 それは、航よりも櫂に執着する理由になる。 櫂については、どこまで真実を知っているか残念ながらわからないが、少なくとも祖父、いや、正確には実父の思惑に気がついているように思える。そう考えれば、試験の点数を調整していたことと、自分は"それでいい"という言葉が一つにつながるのだ。 「さぁ、話したぞ。誉くん、はやく」 「しつこいですね。 貴方、さっきしっかりイったでしょう」 誉の感情は渦巻き、ざわいている。 腹いせに再び院長を強く強く踏みしめる。 すると彼は再び嬉しそうに嬌声を上げ、誉に更なる加虐を強請る。 それに侮蔑の視線を投げながら、誉はあの無垢で憐れな少年のことを思い量った。

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