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64.お買い物

「ところで櫂くん、宿題はやってきたかな?」 歩きながら誉が櫂に問うと、彼はコクンと頷いた。鞄から丸まった紙を取り出して誉に差し出す。誉はそれを伸ばして中身を確認し、頷いた。 「オムレツか〜、この前食べたいって言ってたもんね」 「はい」 実は今回のお泊りの言い訳は、期末テストの対策である。櫂は殆ど義務教育に通えておらず、調理実習の経験がない。 また、育った環境もあり今回のテストの範囲にある献立を立てるという行為を行ったこともない。そこで誉は座学だけではなく、今回実際にやらせてみることにしたのだ。 そしてあわよくばこの体験を通してより食に興味を持ってもらいたい。そのために事前に今日の夕飯の献立を立ててくるように宿題を出しておいたのだった。 通常の調理実習のように、材料や栄養素もきちんと調べて書かせてきている。 サラッと見ただけだが、ちゃんとできている。これまでの勉強が活きているのを見るのは、"先生"としてもとても張り合いがあり嬉しい。 「それから野菜スープとパン、いいね」 「けど、誉先生のスープの材料がよくわからなくて……」 「大体合ってるよ。足りないのは、セロリかな」 「セロリ!気づかなかったです」 「煮ちゃうとクセが抜けるからねえ」 これから食材を買いに行くのだが、事前に聞いたところ、案の定櫂はスーパーに行ったことはないそうだ。だから誉は敢えて駅前の小さなスーパーではなく、少し離れた大きなそれに連れて行くことにした。食に興味がない櫂がどんな反応をするのか楽しみだ。 スーパーに着くと、櫂は出だしから首を傾げている。誉が持ってきたカートを食い入るように見つめているのだ。誉はそれを微笑ましく思いながらカゴを乗せて、尋ねてみる。 「押してみる?」 櫂は頷いて、恐る恐る押し手を握った。 「あれ!」 「ん?」 「子供が乗っています」 「うん、そういうタイプもあるよ。 櫂も乗ってみる?」 「えっ、流石に乗れません」 「そう?大きいのなら乗れそうだけど」 「そんなに小さくないです」 ふくっと膨らんだその可愛らしい頬をつつき誉はふふっと笑う。 「お野菜、たくさんあります」 「そうだね。今日何のお野菜買うかわかるかな?」 「わかります」 櫂はそう言うと、カートを押して野菜売り場に入っていく。 「マッシュルーム……二種類あります」 「俺がいつも使うのはブラウンの方だね」 「では、こちら」 「スープにも使うから、2パック買おうか」 「はい」 そんな感じで順調にカゴに野菜を入れていく。櫂が一応調理前の野菜の形を把握している様なので、誉はホッとした。 順当に野菜を選び終えたのだが、通り道の果物売り場の前で櫂がふと足を止める。 「どうしたの?」 「あ、いえ。こんな風に売ってるんだなと思って……」 それぞれの果物がパッキングされて売っているだけで、特に珍しい売り方ではないと誉は思うが、櫂は普通の子ではないのでその続きを待ってみる。すると彼は、 「籠には入ってないんですね…?」 と、顎に手を当ててまじまじとそれらを見ながら言った。 「ああ、なるほど。 お見舞いのときとかお祝いごとのときは、大きなかごに入ってるもんね」 「はい」 櫂にとって素の果物は籠入りが基本なのかと手を打つ。全く見ていて飽きない世間知らずぶりだ。 「折角だから何か買っていこうか。 さくらんぼなんてどう?旬だよ」 「はい、さくらんぼ、好きです」 「よしよし、じゃぁ美味しそうなのを櫂くんが選んでください」 「はい。ええと」 櫂は一生懸命パックを見ながら、その中から一つを手に取った。 「これにします」 「うん、いいね。美味しそう。 なかなかの目利きだね」 そう褒めてやると嬉しそうに口元を緩める。 こんな風に眼鏡付きでも表情が出てくるようになったことを、誉は喜ばしく思う。 そうやって買い物は進んでいく。 予定のものを買い終えたところでお菓子売り場に差し掛かった。 ふと目に止まったそれらを見ながら、誉が尋ねる。 「そういえば、櫂はお菓子って食べるの?」 「食べますよ。クッキーとか」 「いやいや、そういうのじゃなくてさ。 こういう普通のスナック菓子とか」 「うーん……。 こういうのは食べたことがないです」 まあ、確かにこの類は脂っこいし櫂の好みでは無さそうだ。 「じゃぁ、こっちは?」 次に見せたのはおせんべいだが、反応は芳しくない。 「ううん」 「こんなのとか」 「この形のお菓子は見たことないです」 「そっか〜」 いくつか定番のものを見せてみたが、ピンと来ていない様子だ。思った通り、殆どこういったスーパーにあるような一般的なお菓子は食べたことが無さそうだ。 「あ、これ。俺好きなんだよね」 「コアラ……?どうしてコアラなんですか?」 「さあ、そういえば何でだろうね」 誉が指さしたお菓子を櫂は手に取り、パッケージを見て首を傾げる。 「こっちのイチゴ味もほしいな。むしろイチゴが美味しい。あ、こっちも美味しいよ」 そのまま誉がドサドサとお菓子をカゴに入れていく。気がつけば夕飯の準備よりもずっとお菓子の方が多い。 それらをレジを通し、袋に詰めながら誉が 「お菓子、買い過ぎちゃったかな」 と、頭を掻きながら今更ながらに言う。 櫂はそれが面白くて眼鏡をかけている事も忘れて笑ってしまった。 「笑ったな」 「誉先生、お菓子好きなんですね」 「大好きだよ。三度のご飯より好きだよ」 「むしろお菓子は体に悪いからダメ!て言いそうなイメージでした」 「そう?俺、結構適当だよ。 普段の食事なんて惣菜で済ませちゃうし。面倒な時はホントこんなお菓子つまんで終わっちゃったりね」 「ふふっ」 「また笑ったね」 「いえ、ごめんなさい。誉先生のイメージと実態が全然違うのがおかしくて」 「やっぱりそう見える? 俺、何故かちゃんと生きてる様に思われがちなんだよね。一人暮らしの大学生なんて大体適当なもんだよ」 「誉先生が、いつもしっかりしてらっしゃるからですよ。……でも、嬉しいです」 「ん?何が?」 そして櫂は誉の腕に頬を軽くつけ、赤い瞳で見上げながらにこっと微笑んだ。 「ホントの誉先生を知ってるの、私だけです」 それがあまりにもあざとくて可愛くて、誉は思わず頭を抱えた。そのまま櫂がぎゅっと腕を抱くので、もう愛しさが爆発してたまらない。 「誉先生?、どうなさったんですか?」 「いや、うん……櫂、早く帰ろ」 「え?」 急にそそくさと荷物を入れ始めた誉を櫂は見つめる。何か怒らせてしまっただろうかと不安になった頃、誉はぎゅっと櫂の手を握ってきた。 そして、 「君が欲しい。 思いっ切り抱きしめてキスしたい。 もう、これ以上我慢できない」 「!」 誉はそう言うと横を向く。 その頬が赤かったので、櫂はまた笑ってしまった。 「はい、私もです」 そう言って誉の手を握り返した。 誉はこれまで恋人が途切れたことはなく、老若男女問わず何人も関係を持ってきたが、こんなにも心が揺さぶられる人はいなかった。 櫂が愛しくて愛しくて、たまらない。 こんな気持ちは初めてだ。 ふと見下ろすと、櫂が顔を上げてくれた。 ただ目が合うだけで、こんなにも胸が高鳴る。 まるで初恋のようだと自嘲するが、この気持ちは抑えられそうにない。 スーパーの袋を持って、二人で手を繋いで歩く帰り道。何だか新婚さんのようで凄くいいなと思った。 大好きな人の手を握りながら、誉は確かにこれまでの人生の中で、一番の幸せを感じていた。 同時に、この尊いぬくもりをを守るためなら、どんなことでもしてみせると心に決めたのだった。

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