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66.週末レッスン②

誉がオムレツを口に運ぶ様子を、カイは緊張の面持ちで見つめている。 食事を作ったことも、それを他人に食べてもらうことも勿論カイには経験がない。 こんなに緊張するものなのかと思う。 そして、 「うん。すっごく美味しいよ」 と言ってもらえた時のうれしさと安堵感をきっとカイは一生忘れないだろうと思った。 それと同時に、いつも食事の多くを残してしまうことに幾ばくかの罪悪感を覚える。 自分の毎日の食事だって、誰かが自分のために作ってくれたものなのだ。 「ねえ、カイ」 一気にオムレツを食べ終えた誉が、急に神妙な顔つきでカイに向き直る。ドキッとして思わず背筋を伸ばして次の言葉を待つと、彼は少し頬を赤く染めて続けた。 「またこうやって、カイが作ったご飯食べたいな」 「えっ?」 「本当に美味しかったし、好きな子に食事を作ってもらえるのってこんなに嬉しくて幸せなんだなって思って……駄目?」 「いや、ええと、いい、けど……」 その瞬間、誉がふにゃっと幸せそうに微笑んだので、カイも恥ずかしくなって赤面してしまう。 「嬉しい、ありがとう」 「そんな礼言われるようなことじゃないし……誉の方こそいつも作ってくれるし……」 「ふふ、俺、カイにご飯作るが好きなんだよね」 「そうなの?何で?」 「俺が作ったものがカイの体の一部になるんだと思うと物凄く興奮するんだよねえ」 「は?」 「あとシンプルにカイが美味しい美味しいって食べてくれるのが嬉しいんだよね」 「うん、理由はそっちだけで良かったよ…」 「そしてカイが作ってくれたものが俺の体の一部になるって考えるとそれも凄く興奮するからまた作ってほしい」 「いや落ち着け、マジで一回落ち着け」 カイは半ば退きながら誉を見るが、誉はそんなことお構いなしだ。大きな手でカイの頬を撫でると、そのまま身を乗り出して不意打ちのキスをしてくる。 そのまま舌が出てきたのでカイは焦った。 誉の目が細める。 はぁっと息を吐いたのがわかった。 駄目だ、コイツ完全に興奮してる。 さっきのは冗談じゃなくてマジなのか? 受け入れざるを得ない誉の舌の感覚で思考が焼き切れる前に何とか逃げなければとカイは思考するが、口内からの甘い刺激はあっという間に頭に周り、ふわふわして考えがまとまらなくなる。 するとその時、カイのリュックから携帯電話の着信音が鳴った。まさに渡りに船だ。 「ちょっ、も…っ、電話!」 着信音を無視して圧しかかってくる誉の肩を押し返し、カイは脱兎のごとく逃げ出した。 誉は肩を竦めて舌打ちをする。 今度からは着信音を切らせておかないとと思ったところで、カイが電話に出た。 「もしもし……あ、満兄さん」 そしてカイのその一言で、誉の米神がビキッと脈打つ。 「え?明日…?」 カイが誉の方を不安そうに見る。 誉もカイの方に向き、手を差し出す。 携帯を渡せの意だったのだが、何故かカイはその手をぎゅっと握ってきた。 非常に可愛らしくてとても良いが、違う、そうじゃない。 「水族館…?みんなで? えと、ええと……」 「カイ、代わって」 誉は半ば強引にカイから携帯電話を取り上げる。 「何の用?」 『おや、誉。今日も櫂と一緒なんですね』 「いや、絶対知ってたでしょ」 誉はいつもの通り悪態でもついてやろうと思ったが、不安げにカイがこちらを見ていることに気がついたので、ぐっとその言葉を飲み込む。 少なくとも満はカイにとって数少ない信用できる"お兄さん"なのだ。ましてや誉よりその歴は長い。 下手に無下にするとこちらの立場が悪くなってしまう。 「それで何?わざわざ俺のカイに直電してくるなんて図々しいにもほどがあるけど」 『赤の他人のお兄さんにそんなことを言われる筋合いはないです。それにすぐムキになって可愛いですね、抱きますよ』 「抱かれないし、親族ムーブ腹立つ…! 殆ど他人でしょ君も。用がないなら切るよ」 『今日は用があるからかけたんです。 明日、水族館に行きませんか?』 「いちいち引っかかる言い方して性格悪いなあ、もう。それに水族館?!何で急に。 俺たちが君となんか行くわけないでしょ」 『そうですか?櫂は満更でも無さそうでしたけど。ちなみに如月くんも来ます』 「えっ、どういう風の吹き回し……あ、そういうこと?」 『流石、察しが良いですね』 「あのさぁ、そちらのプレイに俺たちを巻き込むのやめてくれる?」 『櫂、ペンギン好きなんですよ。知ってました?』 「……」 『ずっと本物を見てみたいって言ってますよね」 「……」 誉は電話から耳を離し、通話口を指で塞いでカイを見る。 「カイ、ペンギン好きなの?」 「うん、好きだよ」 「本物のペンギン、見たいの?」 「うん、見たいよ」 「聞いてないけど」 「聞かれてないし」 「いや、なかなかピンポイントでペンギン好き?見たい?とは聞かないよね……。 ちなみにペンギンのどこが好きなの?」 「可愛いところ」 「君が動物に興味があったことと、その理由がごくごく普通なことに逆に驚いてるよ、俺は」 「ぬいぐるみ持ってるし」 「あぁ、確かにベッドに一つあるね……」 満がまた一つ自分よりカイのことを知っていたことが非常に気に入らない誉はそう言うと、仏頂面のまま再び電話に出る。 『いつも人気で取れないペンギンさんと直に触れ合えるアトラクションのチケットを譲ってもらったんです。櫂、喜ぶでしょうね』 「……」 『水族館に入ったら別行動で構いませんよ』 「…………そのチケットの話はカイにした?」 『最初にしました』 「……」 誉は高速で携帯電話の背面を人差し指で叩きながら返す。 「わかったよ、行くよ」 瞬間、パッとカイの顔が明るくなったのを見て余計にイライラが募る。今回は満の勝利だ。 しかしそれはカイのことを自分が一番わかっているという油断と驕りが招いたことだ。 「オレも満兄さんとお話したい」 カイが電話を返すように誉に催促してくる。 それがまた気に入らないが、機嫌を損ねるとこれからの行為にも影響するので仕方なく返してやる。するとカイは嬉しそうに満と話し始めた。 「満兄さん、チケット、ありがとう。 うん、うん…」 誉は何を話ししているのか気になって仕方がない。通話の盗聴も出来るようにしてやると、手持ち無沙汰で徐ろに通販サイトを見始める。 満も含め、ダークホースが今後現れないとも限らない。これからは完璧にカイの人間関係も好みも把握してやる。誉のカイへの執着心に、完全に火がついていた。 その時、 「ところで満兄さん、ネコ飼ってるの?」 と、カイが放った言葉に誉の指が止まる。 「なんかさっきから鳴いて……発情期? ふうん、大変だね」 誉は直ぐに察したが、カイは勿論その意味を知らない。 だから、お前たちのプレイに俺達を巻き込むなと言っただろうが。 スマートホンをおろし、もうそんな電話は切らせてやると手を伸ばしたところで、カイは満に「バイバイ」と告げて電話を切った。 そしてそのまま誉に振り返り、 「誉、ありがとう! ペンギンさんに会えるの楽しみ。 生で見るの初めてなんだ」 と、輝くほど可愛い満面の笑みを向けてくれたので、誉のため息が下がる。 この笑顔はずるい、攻撃力が高い、何でも許してしまう。誉はそう思いながらさり気なくカイの携帯電話の電源を切り、 「水族館行ったことないの?」 と、改めて問うてみた。 「ないよ」 「そっか。ならまあ、良かったかな。 カイの初体験に場にあいつがいることだけが気に入らないけど」 「オレは誉と満兄さんとお出かけ、嬉しい」 航も来るのだけれど、もしかして知らないのだろうか。ふと誉はそう思ったけれど、兄も来ると知ると物怖じして嫌がるかもしれないので黙っていることにした。 席に戻り、夕飯を再開する。 大半食べ終えた誉は、ちまちまと食べているカイを微笑ましく見つめ言った。 「俺、まだまだカイのこと知らないこと多いんだなあ」 「それ言ったら、オレだって誉のこと全然知らないよ」 「そんなことないでしょ」 「例えば誉がどこで生まれて育ったのかも知らないよ」 「あれ、話してなかったっけ」 「うん。まあ、俺も聞いてないからね。 興味なかったし」 「うう、なかなか手厳しいね……」 「けど、今は知りたいと思ってるよ。 だって……あ、いや、なんでもない」 カイはそこまで言うと口ごもった。 誤魔化すようにパンを一口頬張ると、俯いてモゴモゴしている。 「だって、何?」 誉がその顔を覗き込むが、カイは横を向いて一向に続きを言おうとはしなかった。 「カイ、教えて」 「……」 「カーイ」 「しつこいなっ」 「"だって"の続き、気になるもの」 「………」 カイはごくんとパンを嚥下し、唇をついと尖らせながら、半ば睨むように誉を見上げた。 それから顔を真っ赤に染めて、 「好きな人のことだから、知りたくなったの!」 と、乱暴に答えて横を向いた。 「いいよ、教えてあげる だから、カイも教えてね。 これまでのこと、いまのこと、これからのこと。たくさん、たくさんお話しよう」 「うん」 これからのこと。 誉が付け加えてくれたその一言がカイはとても嬉しかった。

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