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68.週末レッスン④

誉が櫂と高等部で落ち合った丁度その頃、満は大学部構内を歩いていた。 普段、日が高いうちはあまり外を歩かないようにしているので、久しぶりの日差しが眩しくて暑い。 遊歩道を進んでいくと、カコン、カコンという独特なボールを打つ音が聞こえてきた。 それから、黄色い声援も。 その後直ぐに見えてきたのは、テニス場だ。 五面もあり、かなり広い。 その中の一つのコート前に、人だかりが出来ている。その大半が女性だったので、満は一瞬歩を止めて眉を寄せた。 彼は背が高いので、直ぐにその人だかりの原因がわかる。 この学校で一番の王子様、如月 航である。 彼が有名な大病院、如月病院の跡取りであることは周知の事実だ。そして家柄だけではなく、本人の資質も評価が高い。 故に、彼と関係を持ちたいと思う人間はかなり多く、特に女子の間では誰が彼を射止めるかという争いが常に繰り広げられている。 実は航には舞子という許婚がいるのだが全く公にはしておらず、また航自身も彼女の存在を隠し通している。 そのため一見彼はフリーな状態に見えるので、より周りの争いは熾烈さを極めていた。 ともかく航がサーブを打つたび、レシーブを返すたび、その一挙一動に対して常に黄色い声援が付きまとう。 これでは逆にやりにくかろうと思うが、そもそも羨望と称賛を浴びることに慣れきっている彼は、それに笑顔で応える余裕すらあった。 人だかりから三列ほど離れたところからその様子を観察していた満は、肩を竦めてため息をつく。 するとその時、 「満!」 と、声援の合間に大きな声が響いた。 満が顔を上げると、航の隣の面にいた青年がラケットを振っている。 するとそのタイミングでその声に反応し振り返った航と目が合った。一瞬その顔が強張ったのを満は見逃さない。 満に声をかけてきた青年は、名を山岡という。 山岡は、外部生である満と同じ高校出身の大学同期である。 ちなみに彼は医学部ではなく、工学部だ。 山岡は直ぐに満の方へ寄ってきた。 満も彼に合わせてフェンスの方と向かう。 「お前がこんなところに来るなんて珍しいな」 「たまには日光にあたった方が良いかなと思って散歩をしてたんですよ。早くも後悔していますが。そんなことより、こんなところにテニスコートがあったんですね」 「え、今?気づくの遅過ぎやしないか」 「興味がないので」 「よく言う。 まあいいや、折角来たんだ。 ワンプレイ、どうだ?」 「嫌ですよ、革靴ですし」 「いいじゃん、別に。 軽くでいいから、久しぶりにやろうぜ」 「うーん……」 自分のゲームが終わり、ふと隣のコートに目を見やった航はその光景に己の目を疑った。 満がラケットを握り、今まさにサーブを打とうとしている。そのフォームは素人のものではない。 「よっ!」 山岡がサーブを受け、満に返す。 満はすっと跳ねてレシーブを返した。 そのままスムーズにラリーが続いていく。 かなり上手い。 航は思う。 満の方が、山岡よりもずっと上手い。 突然現れたワイシャツにスラックス、そして革靴の男のプレイに、自然と周りの視線が集まった。 勿論、航も例外ではない。 その美しいフォーム見惚れ、興奮すら覚える。 満はテニスが上手い。 このサークルの誰よりも上手い。そう航が確信したところで、満がスマッシュを打った。山岡がそれを逃したのを見届け、満はラケットを下げる。 「お前、全然現役の頃から変わりないじゃないか」 満とは対象的に息を弾ませながら山岡が言う。 「いえいえ、かなり腕が落ちました」 すると満は、そうやんわりと微笑みながら返した。一方でもうこれ以上続きをするつもりはないのか、山岡にネット越しにラケットを返そうとする。それに思わず口を挟んだのは航だった。 「吉高、俺ともやろう!」 「えー……」 満は山岡の時とは打って変わって心底怠そうにそう返したが、航は全く意に介さない。 大好きなテニスの事となると、周りが見えなくなるのだ。 「吉高がテニスするなんて知らなかった」 「航は知らないと思うが、コイツうちの高校のエースだぜ。関東大会いってるし」 「そうなんだ!」 山岡が入れたフォローに、航の瞳が更に輝く。 「エースだなんておこがましいですよ。 関東大会だなんて偉そうなことを言っても、初戦敗退ですしね」 「それはお前が団体戦しか出なかったからだろ。個人戦だったら絶対もっといいとこいったって」 「本当に全然知らなかった! 吉高、早くやろう!」 「嫌ですよ、もう疲れました」 「駄目、嫌だ。俺、絶対満と試合する!」 「駄々っ子ですか」 「あーあ。 満、航に目をつけられたらもう断るのは無理だ。コイツ、テニスのこととなるとすげーしつこいからな。諦めて付き合ってやれ」 「えー……」 満はまたため息をついて腕を組み、何かを考える素振りをした。そして少しした後、ピッと人差し指を上げながら航に向き直る。 「わかりました、付き合いましょう」 「ホント?!やった!」 航の顔がパッと輝いた。 「しかし、やるからには本気です。 この装備では貴方には到底かないませんから、きちんと準備をさせてください」 「そうか!そうだな、わかった!」 「そんなわけで如月君、準備をしたいので、自宅まで付き合ってくれませんか」 「勿論!」 「あ、わざわざ帰らなくても道具なら予備がいくらでも部室に」 「山岡くん、そういうことじゃないんですよ」 「ですよねー」 満にスッとした瞳で冷たく睨まれ、山岡はヘビに睨まれたカエルのごとく大人なってそう返す。 「さ、如月くん。 善は急げです、行きましょう」 「おう!」 そして航は何の疑いもなくそんな満の後を嬉しそうについて行く。 「……って、何でだよ!」 「何がですか?」 ノコノコと満のマンションまでついていき、一緒にシャワーを浴びてベッドに組み敷かれたところで航が叫んだ。 「テニスの準備するんじゃなかったのかよ?!」 「セックスの後にしますよ」 「何でセッ………っ、が、先なんだよ!」 「ジムのテニスコートの予約が午後八時からしか取れなかったんですよ」 「大学でいいじゃんか!」 「嫌ですよ、あんなに沢山の女子に囲まれてたら落ち着きません」 「女子?女子なんかいたか?」 「え、貴方は何を見ていたんですか。 あんなにファンサしてたのに」 「名前呼ばれたから返しただけだ」 「なるほど。貴方と櫂って結構似てるところがあるんですね」 「は?あんなのと一緒にすんな」 「はいはい。わかったから大人しく足開いて」 「テニスは?」 「だから、午後八時から」 「ホントにテニスしてくれる?」 「貴方がセックスでへばらなければ」 「それは大丈夫、体力には自信がある」 「へえ。それでは今日は手加減なしでいきましょう」 「えっ、今まで手加減してたのか?!」 「かなり」 「かなり?!?!」 そして満はわざとらしいほどニッコリと微笑みながら航に言う。 「楽しみですね、若さま」 航はそんな様子を見て半分引きながら、アハハと乾いた愛想笑いを返すことしかできなかった。

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