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76.ダブルデート②

"カイ"は普段あまりお行儀の良い方ではないのだが、今日に限ってはシートクッションに対して浅めに腰を下ろしピンと背筋を張っていたので誉は不審に思い声を掛ける。 すると彼は、神妙な面持ちで、 「兄さんがいるから……」 とだけ返してきた。 どうやら緊張しているようだ。 「そんな風に座ってたら疲れちゃうから、楽にしていいよ、大丈夫だから」 「けど……」 「見てご覧よ、航だってあんなに足を開いて楽に座って……あ、今は見ちゃ駄目だな」 「?」 誉が前席の様子を伺うと、航が口元を抑えながら息を殺している様子がわかる。全ては見えないが、コンソールに押し付けられた膝の頭が震えていた。 その時、満の手が航の方にのばされた。 それが胸のあたりを弄ると、航の膝がびくんと揺れる。絶賛お楽しみ中である。 一方で、車が右折すると、体幹がふにゃふにゃのカイは体勢をキープできずにその通りにぶれてしまう。シートベルトをしているとはいえ、曲がるたびにそれでは本当に危ない。 「大丈夫だから、ね。 航が何か言ったら、俺が怒ってあげる」 「うん……」 カイも早くも限界を感じたようだ。 誉の言葉に頷いて座り直した。 それでもまだまだ緊張は解けぬようで、神妙な面持ちだ。 「ペンギンさん、楽しみだね」 誉はそれを解すようにカイの頭を撫で、そう言って意識を逸らしてやろうとする。カイは頷きはするものの、やはりその表情は固いままだ。 カイは、航の何にそんなに怯えているのだろうか。確かに彼は、弟に対しては多少扱いも雑で口うるさくなる節はあるが、他の家族に比べれば言っていることもやっている事もまともだ。 「櫂、航もペンギンさん好きなんですよ。 知ってました?」 すると満が、前席からそう助け舟を出してくる。カイが顔を上げる。 「え、航が?」 「別に好きじゃねえし」 「嘘仰い。ぬいぐるみ買うの楽しみにしてるじゃないですか」 「いや、マジでそこは楽しみにしてねえし」 「ぬいぐるみ?」 「ん?カイも欲しい? 好きなだけ買ってあげるよ」 「オレの部屋のペンギンさんのぬいぐるみ、兄さんがくれたやつ……」 「え、そうなの?」 「あれ、まだ取ってあんのか?」 「ベッドに置いて、毎日一緒に寝てるよねえ」 「ちょっ、誉、それ兄さんにはナイショ」 「えー、何で?いいじゃない。 そっか、航からもらった子を大事にしてたんだ。弟にそんなことされたら、嬉しくてたまらなくなっちゃうよ。ねえ、航、そう思わない?」 カイは顔を赤くして俯いてしまう。 一方の航は、いつもの彼らしくない調子で冷たく言い放つのだ。 「つーかそんな古いの、捨てろ。 ホコリまみれだろうし喘息に障るぞ」 誉からはその耳が赤くなっているのが見えるので、それがこと弟に関しては不器用な兄の照れ隠しだとわかるが、当然カイには通じない。 ますます俯いてしまったカイを慰めてやろうと誉が手を伸ばした時、意外にも満が口を挟んできた。 「航、その言い方はどうかと思いますよ。 全く、素直にずっと大事にしてくれていて嬉しいって言いなさい。天邪鬼なお兄ちゃんには、お仕置きが必要ですね」 「え?あ、ちょっ、やめ……ッ」 誉は満の手元からカチッカチッと音が響くのを聞かなかったことにしながら続ける。 「そうそう、航はカイくんのこと可愛くて仕方ないんだよ。この前だって、兄弟デートのランチの場所悩むくらい考えちゃってたし、眼鏡買ってやったから大分距離詰めたって喜んでたし。ほんとは弟と仲良くしたいくせに何でそういう事言うかな」 「別に喜んでねえ、し! も、満、やめ……っ」 「ん、私?私が何か?」 「うう……っ」 航は息も絶え絶えで窓に額を押し付けて動かなくなった。 「兄さん、なんか調子悪いの?大丈夫?」 流石に鈍感なカイも兄の異変に気づいて、心配そうに身を乗り出した。 「ちょっと酔ったみたいですね。 この車、航の車より車高がかなり高いですから。それに、普段自分で運転する人ほど、他人の運転は酔いやすいものなんですよ。 航、お薬飲みますか」 「お前が出す薬だけは絶対飲まねえ」 「おや、学習してますねえ」 「??」 満が航の太ももを擦ると、またその体が跳ねる。序盤からこんなに飛ばしていて大丈夫かと誉は呆れを通り越して心配になってきた。 一方で満は涼しい顔で続けるのだ。 「櫂、弟を嫌いな兄なんていませんよ。 ただ、その距離の近さ故に物言いが悪くなることはあります。航はその傾向が強いだけで、別に貴方のことを嫌ってるわけじゃないんですよ。わかってあげてくださいね」 「……わかった」 「ちょっとずつね」 「うん」 「何だか満らしくないことを言うね。 ちょっとビックリしたよ」 「そうですか?」 「そもそも君、兄弟いるの?」 「いますよ、弟が一人」 「えっ、そうなの?!知らなかった」 「ええ、貴方には言ってないですからね」 「トゲのある言い方するなあ。 ちなみに航は知ってたの?」 「あぁ、知ってるよ、学くんな」 「おや、名前までご存知でしたか。流石です」 「知ってるに決まってるだろ。 お父さまがわざわざ挨拶に来て下さってたし。そういえば、そろそろ幼稚園だよな。 うち受けんの?」 「来年ですね。 いや、受験はさせない様ですよ。 実家からだと地味に遠いですから、ここ」 「ちょっと待って、弟、いくつ?」 「二歳です」 「二歳!」 「そこまで離れてると、そりゃ可愛いよな」 「ええ、可愛いですよ。 もう弟というよりは自分の子供みたいな感覚に近いですけどね」 「そうなるだろうね。それにしても、ホント凄く年が離れてるね。 ご両親は仲がいいんだねえ」 「いやいや、うちの両親は長いこと別居しているくらい険悪ですよ。学は父の愛人の子なんです」 満が平然と放った突然の爆弾発言に、思わず航と誉は勢いよくその方を向く。カイはというと、その赤い目を丸くした後、俯いた。 「父のお気に入りの嬢が勝手に産んでしまったのですが、彼女、学をアパートに残したまま飛んでしまったんですよね。何日か放置されて死にかけてたんで、ちょっとしたニュースになりましたけど、ご存知ないですか?」 「ご存知あるわけないでしょ。 というか、壮絶過ぎるでしょ……」 「あのな、お前。 それはあまり明け透けに言う事じゃ……」 「そうですか?あの子の出生がどうであれ、私の弟であるという事実は変わりません。 そうそう、先日お土産に玩具を買ってやったら凄く喜んで。そのままパン屋ごっこに3時間付き合いました。私に似てなかなかの集中力としつこさです。将来が楽しみですね」 「はは、その頃の子は興味持つとずっとそればっかりになるよな。俺も櫂にせがまれて、同じ絵本を毎日何度も読まさせられてた時期があったよ、懐かしいな」 「そうなんだ。うちは双子だからあんまりそういうのなかったなあ」 「双子だと、兄弟というよりは親友に近い存在になりそうですね」 「そうだね。弟というよりは、親友の方がしっくりくるね」 「ねえ、満兄さん」 すると、そんな三人のお兄ちゃんトークの中に、意を決したようにカイが顔を上げて割って入った。 「弟のこと、好き?」 「ええ、大好きですよ」 「お母さんが、違っても?」 「弟に向ける気持ちに、母親は関係ないですよ」 「お父さんが、他の女の人を好きになって生まれた子でも?」 「それは父と相手の問題で、弟とは無関係です」 そして、このタイミングで航が口を挟んだ。 「櫂、親と子供は別の人間だ。 親がどんな悪人でも、子供は悪人ではない。 親の業を子供が背負うことはない。 だから、兄にとっては、弟は弟。それ以上でもそれ以下でもない。 その出生がどうであれ、兄弟という関係と、兄として弟に向けるべき感情は、変わらないんだ。少なくとも俺はそうだし、満もそうだということだろ」 「はい、そうですね」 誉はカイを見る。また俯いている。 ぎゅっと握られた拳が、膝の上で震えていた。 それを見た瞬間、誉はその全てを察してしまった。 カイは自分の出自を知っている。 そして、彼が極端に航を恐れるのはそのことで兄に対して罪悪感と負い目を感じているからだ。 そしてまた、だからこそ先程の航の言葉が彼にとってどんなに救いになるかも誉は知っている。 航もきっとそれを分かっていて、敢えて口を挟んだのだろう。 満のことだから、もしかしたら最初から航にこれを言わせるためにこの話題を投げたのかもしれない。それを確かめるため、誉は満を見る。すると彼が、クスリと笑ったのが見えた やはりまんまと満の掌の上で転がされてしまったようだ。 カイは再び顔を上げた。 そして少しだけ濡れた目の端を手で拭って、 「兄のことを嫌いな弟も、いないよ」 と言い、にっこり笑う。 その意外な言葉に対し兄三人は思わず顔を見合わせた。 そしてすぐに揃ってその顔をほころばせた。

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