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77.ダブルデート③
「みつる、もう無理……」
「大丈夫、頑張って」
「マジで無理、もげる」
「もげません」
「このままだと壊死する」
「いいんじゃないですか。
どうせもう使わないんでしょうし」
「なっ、使うし」
「勃たせるから痛むんです。
萎えさせたままイけばいいんですよ。
ナカイキを意識すればできるようになりますよ。ね、誉」
「突然僕に振らないでよ。あとカイくんの情操教育に悪いからやめてくれる?」
「誉、ナカイキって何?」
「ほらー、変な言葉覚えちゃったじゃないか。
もう、お馬鹿なお兄さんたちは放っておいて、カイくんはお外でも見てようね。
ほら、海が見えてきたよ」
「海…!」
誉は呆れた目線を二人に向ける。
航は、横の満がニヤニヤしているのが疎ましい。
一方でカイは窓に張り付いて海の方を夢中で見つめている。そのまるで子どものような様子に、もしやと思い
「カイくん、もしかして海見たの初めて?」
と誉が尋ねると、カイは案の定こっくり頷いた。本当にこの子にどんな教育をしてきたのだと、誉は航をジト目で見やる。
すると彼はバツが悪そうに横を向いた。
「そっか。じゃぁ、水族館の後お散歩してみる?歩ける場所があったはずだから」
「大丈夫かな……」
カイは露出した腕を擦りながら心配げに言う。
色素が無いので、彼は日差しに弱いのだ。
誉はにっこり微笑んで、
「ちゃんとアームカバーも日傘も帽子も持ってきたから大丈夫だよ」
と言ってやると、カイは安心したのか嬉しそうに頷いた。
「なあなあ、誉の実家は島だって言ってただろ」
「そうだよ。よく覚えてたね」
「うん、誉のことはちゃんと覚えてるよ」
「それは……凄く嬉しいなあ……」
「だからさ、誉の家はやっぱり海が近かったりするのか?」
「勿論。家の目の前が海だよ」
「そうなんだ!
じゃあ、海で泳いだりした?」
「小さな頃はね。
いつも学校から帰ると祖父からバケツを渡されて、何か獲って来いって言われてさ」
「獲る?どうやって?」
「貝は砂浜か潜ればいくらでもあるし、海藻は普通に落ちてるし。
魚は……銛って知ってる?こういう長い矢みたいな道具で獲るんだよ」
「本で読んだことはあるけど……。
あの魚を突いて獲るやつ?」
「そうそう。僕、結構上手いよ」
「それで、獲ってどうするの?」
「夕飯にするんだよ……って、満、笑ってるね?」
「いや、ふふっ。どこの部族の話かと」
「満、その地域ごとの文化がある。それを笑うのはどうかと思うぞ」
「貴方も相当笑いをこらえてたくせによく言う」
「あまりにも野生みが強すぎて、今の都会的な誉のイメージとのギャップを笑いそうになっていただけだ。あと、まだ笑ってない」
「もー、二人共、ひっどい」
前席の都会っ子を疎ましそうに誉が見やる横で、のんびりとカイが言った。
「誉が生まれたとこ、行ってみたいな」
その言葉に一番驚いたのは航だった。
今まで他人に興味なく、家から出るという発想すらなかった弟だ。
それがこんなことを言うまでに誉に懐いていることに本当に驚いた。
「いいよ、連れて行ってあげる」
一方で、誉もまたそれを優しく受け止めている。恥ずかしながら、今までこの弟のことを、こうやって受け入れた人間は誰もいなかったと航は思う。
「ただ、もう少しカイくんが元気にならないと難しいかな」
「喘息のこと?」
「それ以外も。カイくんはやっぱりまだまだ体が弱いからね。島は簡易的な施療院しかないんだ。だから、何かあると手遅れになりかねないから、ね」
「そか……」
「だからね、もっとご飯も食べて、よく寝て。
体力がもっとついたら連れていってあげる」
「どっちも難しいよ」
「うん、一人では難しいね。
だから、一緒に頑張ろうよ」
「誉も?」
「勿論。
カイくんがたくさん食べれるように、美味しいもの作るし、よく眠れるようにぎゅーってしてあげる」
「それなら頑張れるかも」
「うん、お利口だね」
「えへへ」
大きな手で頭を撫でられて、カイが本当に嬉しそうに笑っている。その姿は、まるで本当の兄弟のようだ。航の胸の奥がチクリと痛む。
「誉は上手ですよね」
すると、ハンドルを切りながらそれを見透かしたように満が言う。
「貴方は下手くそですけど」
「うるせえ」
横を向く航の頭を、今度は満が撫でた。
「やめろ」
「嬉しい癖に」
「嬉しくねえよ、子供じゃあるまいし」
「では、こちらにしますか」
「や、そのスイッチ入れるのはやめてくれ、マジで。って、あ、いれんのかよ……っ、頭撫でるな」
「貴方は余計な事を考えすぎるんです。
もう少し思うがままに振る舞っても良いと思いますよ。
とりあえず欲求に従って一回イッておきましょうか。ナカイキを意識してくださいね」
「やめ…っ!」
「シッ、大きな声出すとバレますよ」
「ううっ」
不安になってちらりと見た後席2人組は、窓の外に夢中だ。助かったと息をついた瞬間、一段振動が強くなった。
「てめ」
「着くまでに一度中でイくんですよ。
わかりましたか?」
「うう」
「お返事は?」
「ハイ……」
いや、全然余裕でバレてるからね!
誉は前席の様子を伺いながら心の中で全力で突っ込む。カイの気を反らしてやっている自分はなんて善人なのだろうと独りごちる。
ただ、意外だったのは航が満に懐き始めていることだ。あんなことをされて、こうも簡単に絆されるものなのだろうか。それとも、単純に如月兄弟がちょろいだけなのか。
そういえば、航の口から、両親との思い出話を聞いたことはない。あの家に世話になったていた間、何度か家族と食事を共にしたが、会話らしい会話も無かった。無言で黙々と豪華な食材を口に運ぶだけの虚しい食卓は、如月家の冷え切った過程を象徴しているように今だからこそ思える。
きっと、航も愛情不足のまま育ったのだろう。
満はそういう人間の心の隙に入り込むのが非常に上手い。実際、カイのこともこんなに手なづけているし、自分も付き合い始めた最初の頃は……と、そこまで考えて誉は思考を手放した。
いや、やめよう。
その時のことはもう思い出したくもない。
誉が人知れず深い溜め息をついたところで、車が駐車場へと入っていく。
「満兄さん、着いた?」
「はい、着きましたよ」
その言葉に、カイはパッと顔を輝かせた。
車を降りる前に、外を歩くからとカイは再び眼鏡をかけた。表情が抜けた彼だったが、ドアを開いて誉が手を差し出すと少しだけその口端が綻ぶ。
「ちょっと高いから気をつけてね」
「はい」
櫂はちょんと車から降りると、意外にも真っ先に兄の方へと向かった。
そして、兄の顔を覗き込みながら、
「兄さん、具合大丈夫ですか?」
と尋ねる。
「あ、あぁ……大丈夫だよ」
航は若干動揺しながらもそう答えて、櫂の頭を撫でる。すると櫂は、良かったと呟いて少しだけモジモジと視線を右往左往させた後、兄のシャツをついと掴み続ける。
「水族館、やっと兄さんと来れました」
「え?」
話が見えぬ航が問い返そうとしたが、櫂はそのまま誉の方へと踵を返してしまう。
そして誉はそんな櫂を優しく迎え、手を繋いで日傘までさしてやっている。本当に仲が良さそうだ。
そしてその様子を見ていて、ふと航は思い出す。
昔、まだカイが小学校に上る前だ。
夏休みに瀬戸が兄弟を水族館に連れて行こうとしてくれたことがあった。
かねてから航が両親と行った水族館で見たペンギンの話をしていたので、櫂は実物を見るのをとても楽しにしていた。しかし櫂はその日の朝に急に熱を出して行けなくなり、結局自分一人が他の使用人と行ったのだった。
それで兄弟で行こうという話はうやむやになり、兄弟で水族館に出かけたことは、この後結局一度も無かった。
ようやく櫂の言葉の意図を理解した航は、誉と仲睦まじく歩き始めた弟を見やる。
誉に手を繋いでもらう彼は、表情こそ乏しいがとても幸せそうだった。
その間に今更割って入るのも気が引けた航は、"そうだな"とだけ人知れず呟いて、前を向く。
「誉は基本、他人に興味がないんですよね」
するといつの間にか横に合流した満が言う。
「そんな訳ないだろ、あいつは」
「他人に興味がないからこそ、ああやって誰にでも人当たり良く振る舞えるんです。
一方で、だから恋人とも長続きしないんです。愛情の一番の裏返しは無関心ですから。
思い当たることはありませんか?」
「………」
ある、と、航は心中で答えた。
誉は、元カノの川栄がテニスサークルの一員であることを知らなかった。言ってくれなかったからとは言っていたけれど、それは彼からも聞かなかったということだ。
航と誉の関係は大学に入ってからだった。
最初から一貫して、彼は一つも自分のことを詮索することがなかった。そして自分が如月家の跡取りだと知った後も、それは変わらなかった。あくまでも航のことを、如月家の跡取りではなく、学友の航として扱ってくれていたのだ。自分を如月家の色眼鏡にかけず、そんな風に接してくれたのは彼が初めてだった。
それが良くも悪くも他人に興味がないからなのだと言われると、非常に納得がいく。
「それがどうですか、この櫂に対する興味と執着心の強さ」
その言葉に、航は満を見上げる。
すると満はふふっと笑って続けた。
「彼は、櫂に恋をしているんです。
しかも、とびっきり重たい初恋です」
「……何でそんなことわかるんだよ」
航は思わず言い返す。
すると満は、当たり前のように航の手を握って答えた。
「彼と私が、とても良く似てるからです」
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