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78.ダブルデート④
水族館に入って直ぐに、アシカのオブジェの前で写真を撮るブースがあった。
真っ先に食いついたのは誉だ。
「カイ、撮ってもらおうよ」
「えっ、ええっ?」
カイが状況を把握する隙を与えず、誉はさっさとその前にカイを立たせ、勝手に眼鏡を外して撮影係のお姉さんの方を向かせる。
「お願いします」
「はーい、撮りまーす」
「えええっ」
嫌だと言える雰囲気ではない状況に追い込まれて、カイはそのまま写真に収まった。
勿論、ちゃっかり誉も一緒に入っているのでツーショットだ。
「お前ら遅いぞ。何やってんだ?」
先を進んでいた航と満が、なかなか後の2人がついてこないのを不審に思い戻って来た。
「あ、丁度いいね。皆でも撮ろう」
「えっ、嫌」
「いいですよ。ね、航?」
「……ハイ」
そして兄さん二人が加わって、もう一枚。
ドサクサに紛れて誉がカイの頭に可愛らしいペンギンのカチューシャをつけたのだが、本人は気づいていないようだった。
写真を撮り終えて、それを外す段階で怒り始めたので、誉は可笑しくて笑ってしまった。
「はい、どうぞ」
「?」
「さっきの写真だよ。あっちで大きいのを印刷してくれるんだ」
「あ、ありがと……」
誰かとの写真なんて、これが初めてだ。皆と自分が写っている写真を見つめながら、カイは口元を綻ばせる。
誉はそんなカイに、
「一緒の写真、これからたくさん撮ろうね」
と、優しく声をかけた。
そもそもカイは、写真が大嫌いだった。
人と違う醜い自分の姿を見るのも、それが残るのも嫌だった。
けれど、大好きな誉と一緒の写真は、悪くない。
カイは、誉に出した写真を差し出す。
誉は受け取ったそれを元の袋に戻してカイに返してやった。するとカイはそれを抱え、
「わかった」
と、嬉しそうに答えた。
一つ目のイベントを早くも終えた一行は、この水族館のウリの一つである大水槽に向かい歩を進める。その道すがら、誉が入口でもらったリーフレットを開きながら満に問う。
「ペンギンのイベントは何時から?」
「14時半からですね」
「今は、11時か。
あ、12時半からイルカのショーがあるよ。
それを見てから何か食べて行くとちょうどかな?カイくん、イルカさんのショーは見たことある?」
「ない」
「ですよね〜。航」
「なんだよ、俺のせいじゃねえし。
これまでの機会損失はこいつが身体が弱すぎるせいだし」
「航、またそうやって意地が悪いことを言う。
お仕置きが必要ですね」
「へっ?あ、ちょっ、こんなとこでやめ……っ」
「兄さん、どうしたの?大丈夫?」
「ほらカイ、あっち。大きな水槽が見えてきたよ。早く行こう」
「う、うん……。でも兄さんが」
「気にしない、気にしない。
あと、さっき航が言ったことも気にしなくていいからね」
「気にしてない。本当のことだし」
口ではそう言うものの、カイは俯いてしまった。
「カイは俺のために初めてを全部とっておいてくれたんだもんね」
カイが顔を上げると、誉の笑顔が見えた。
別に取っておいたわけじゃないと天邪鬼な口が言いかけたのをカイは飲み込む。
今までカイは心身の都合で諦めることばかりの人生だった。そして、そのせいで人よりもいろんな経験が足りていないことを、誉と過ごすようになって、カイ自身も気が付き始めている。
家の外は怖い。
新しいことをするのも、怖い。
カイはずっとそう思っていたけれど、誉とならやってみてもいい、寧ろやってみたいとさえ思える。進学の話だってそうだ。
誉に言われなければ、医学部を受けようなんて思いもしなかった。
だから天邪鬼は辞めて、素直な気持ちを伝えようとカイは誉に返す。
「うん、オレの初めて、誉に全部あげる」
「ちょっと待ってくれる」
まさかそう来ると思わず、誉は目を丸くして頭を抱え、その場にしゃがみこんだ。
「えっ、えっ、誉?どうした?大丈夫?」
「ちょっと待って、ホント待って。
ちょっと無理かもしれない」
「ムリなのか?!」
「違う、違う。
無理なのはそっちじゃなくて。
ダメ、今ちょっと顔見ないで」
「誉、顔が真っ赤だ」
「だから見ないでって言ってるでしょ」
誉はそう言うと、顔を覗き込んで来たカイを人目も憚らず抱きしめる。
「カイが可愛すぎて勃った」
「は?うわ、ええっ!変態!」
「これは君が悪いよ。あんなこと他の人に言っちゃ絶対ダメだからね!」
「言わないし。誉だけ特別だし」
「うう、恋人が可愛さで殺しにかかってくるよう。今すぐ初めてをもらっちゃいたいよ……」
「こら、人の弟に何してんだお前」
「あーあ、お邪魔虫が来た」
「誰がお邪魔虫だ。
全く、公衆の面前ではしたない」
「公衆の面前でイき散らかしてる方が余程はしたないと思いますけど」
「満」
すっと横を向く満に、それを睨む航。
満がとても楽しそうなのが印象的だ。
いつも無表情且つ無感情な印象の満だ。
こんな顔ができたのかと誉は今更ながら思う。
これは航、逃げられないな……。ご愁傷さま。
誉が心の中で手を合わせた、その時。
突然、航が大げさな素振りで後ろを振り向いた。
皆驚いてその方を見ると、そこには小柄な女性の姿があった。
「航さま、ごきげんよう。
驚かせてしまいましたね、申し訳ありません」
彼女は朗らかな声でそう言って頭を下げる。
完璧な角度のお辞儀は、とても美しい。
「ま、舞子?」
航は明らかに動揺しながら彼女に向き直った。
一方で舞子は穏やかに微笑み、航を見上げる。
「カイ、あの人は」
誉は舞子の明らかに普通とは異なる上品なオーラに若干引きながら、小声でカイに問う。
「舞子姉さんだよ。兄さんの許婚」
「許婚?!」
「うん。大学出たら結婚するんだって」
「え、そうなの?凄いね……」
航にアプローチをかける女性は数多くいるが、彼がそれに靡いたことは一度もなかった。
彼は医師への道に実直且つ真面目なので、あまり色恋沙汰に興味がないのだと思っていたのだが、将来を誓い合う相手がいるとするならば納得だ。
しかし、そうだとすると。
誉は満の方を見やる。
スッと表情が抜けてあからさまに面白くなさそうな顔をしているのが面白い。
お得意のポーカーフェイスが出来ていない。
それだけ彼も航について本気なのだと思うが、これはちょっとややこしい且つ面白いことになりそうだ。
「吉高さまもお久しぶりです」
「おや、名前を覚えて下さっていたのですね。
光栄です」
「ええ、勿論です。
大切な如月家のご親族さまですもの」
「舞子、驚いたよ。凄い偶然だね」
「はい。お姿をお見かけして、つい居てもたってもいられずお声をかけてしまいました。
折角お楽しみのところを、お邪魔して申し訳ありません」
「いや、構わないよ。俺も顔が見れて嬉しいよ。ええと、君もお友達と遊びに来たの?」
「いいえ、今日はガールスカウトの子どもたちの引率で参りました」
「そうか。いつも感心だね」
「いいえ、好きでやっていることですから……。
航さまは今日は……あらっ、櫂ちゃん?」
すると舞子はカイの姿を見つけ、目を丸くした後はんなりと微笑んだ。
カイは眉を寄せながら、誉に眼鏡を催促をする。その通りに誉が渡してやると、カイは観念したように眼鏡を掛けながら彼女に歩み寄った。
「舞子姉さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう!ご加減はいかがですか?」
「ありがとうございます。
お陰様で、このように普通に生活できる程になりました」
「そう!良かったわ、本当、見違えるようね。
背もこんなに伸びて……まぁまぁ、私より大きいわ!さすが男の子ね」
「ありがとうございます」
そのやり取りを遠巻きに見ながら、誉は目を細める。なんて美しく無邪気で純粋な女性だろう。この世の中の卑しいものなんて一つも知らない、まるで天使のような女性だ。
航の許婚になるくらいなのだから、きっと大切に育てられた良家のご令嬢なのだろう。
「航さま、本日はご兄弟と皆さんでお楽しみにいらっしゃったのですね」
「まあね……。あぁ、誉」
そこでようやく誉に声がかかる。
誉は櫂の横に立ち、彼女に軽く会釈をして微笑んだ。
「立花 舞子。
ちょっと機会を逃していて紹介出来ていなかったけれど、恋人だ。
舞子、こちらは卯月 誉。学友だよ」
立花。聞き覚えのある苗字だ。
そうだ、立花総合病院だ。
如月総合病院と並ぶ、歴史ある大手病院。
成る程、そういうことかと誉は察した。
「卯月さま、はじめまして。立花 舞子と申します。よろしくお願い致します」
「卯月です。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
「はい!実は航さまから卯月さまのことは伺っておりました。
お話に違わず、素敵な方ですね」
「おや、それは光栄です」
「ちょ、舞子」
「ふふ、勿論航さまが一番素敵ですわ」
「おや。若さま、嫉妬ですか」
「違っ」
「……仲いいんだね、あの二人」
航と舞子を遠巻きに見ながら誉は櫂に言う。
ついでにカイの眼鏡も外して回収した。
「うん、あの二人は昔から仲いいよ。
もともと、父さん同士が仲いいんだ。
小さな頃はよくウチに遊びにも来てたんだけど、舞子姉さんが帰った後の兄さんは、機嫌が悪くて大変だった」
「そう。ほんっとに腹立つくらい普通に仲いいんですよ、あの二人」
「うわ、満。ビックリした。
あと今そのスイッチ入れるのは流石にやめてやれな」
「……」
「満、顔。顔怖いよ」
「まあ、既に体は私のものですからね。
心なんて後でどうでもなりますから」
「まぁ、それはそうだね」
「ふたりとも何の話してんの?」
やがて舞子は子供たちに呼ばれ、頭を深々と下げた。航はそれを見送った後こちらに戻ってきたのだが。
「えっ、ちょっ、満……っ」
「男の嫉妬、怖……」
カチッカチッと無表情なまま手の中からスイッチと音を響かせる満を見、完全に引く誉だった。
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