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79.ダブルデート⑤

大水槽の前で、カイは「ふわぁ」と息を漏らした。こんなに沢山の魚が泳いでいるのを見たのは勿論初めてだ。 その赤い瞳が上下左右を行ったり来たりしながら、魚の姿を追っている。 まるで小さな子供のようだ。 誉は微笑ましく思いながら生き生きしたカイの表情をしっかり写真に収めた。 眼鏡を外させて正解だった。 くるくると変わるその表情はどれも可愛らしい。 一方で魚料理を魚の死骸だと忌み嫌うカイなので、そもそも魚自体が嫌いなのだと誉は思っていたが、どうやら違うようだ。 一貫性に欠ける彼の好みを正確に掴むのは、なかなか難しい。 「沢山お魚さんがいるねえ。 カイはどれが好き?」 「魚、食べられない」 「食べる方じゃなくて、見る方」 「んー、あの大きいの」 「あぁ、あれはエイだね」 「ニヤニヤしてるように見えて面白い」 「確かにあのお口、笑ってるみたいだねえ」 「エイヒレって美味しいですよね」 「ちょっと炙ると日本酒と合うよね。 なら、あそこのアジはタタキにしたいかなあ」 「なめろうも捨てがたいですね」 「あぁ、いいねえ」 「コラコラ、お前ら話題がズレてるぞ」 すると、ふと水槽に張り付いて魚を見ていたカイが言う。 「うちも昔、魚、沢山いたよね」 航の表情が一瞬固まったのを、誉と満は見逃さなかった。 「そういえば、玄関ホールに大きな水槽がありましたよね」 「へえ、今お花が飾ってあるところ?」 「そうです。玄関入るとすぐに水槽が見えて。 熱帯魚が沢山泳いでいて綺麗でしたよ」 「あぁ、母が一時期ハマってた事があってな……」 航は珍しく歯切れ悪くそう返す。 早く話題を変えたそうな様子だが、そんなことを気にしないカイが、更に呑気な声で続けた。 「オレがエサをあげる係だったんだけど……。 そういえば何でなくなっちゃったんだろう」 そしてそんなカイの言葉に、航は驚いたように眉を上げた。 やはり何かありそうだ、誉と満は顔を見合わせる。 すぐに表情を戻した航は、一度咳払いをし、さも何も無い事のようにカイへと返した。 「機械が壊れて駄目になったんだったろ」 「ふうん」 「それより、あっちの方行ってみようぜ。 ペンギンさんがいるらしいぞ」 「ホント?行きたい」 「あぁ」 航に背を押され、カイは水槽から離れていく。 並んで歩く兄弟の背中を追いながら、満が言う。 「かつての如月家は、結構な数のペットがいたんですよ。熱帯魚、鳥、ウサギ、確か犬もいたかな。老犬でしたけど」 「へえ、そうなんだ。 今は池に鯉がいるくらいだよね」 「そうですね。 そして、それらはある時期に一気にいなくなりました。熱帯魚も同時期です」 「……」 「航に後で確認します」 「で、その結果を俺に教えてくれる気はあるわけ?」 「さあ、貴方の心がけ次第かな」 「はあ。相変わらずいい性格してるよな」 誉は満を睨むと、彼は肩を小さく肩を竦めくつくつと笑う。そしてすっと指さしをしたので誉がその方を見ると、 「誉、はやくー」 と、向こうでカイが大きく手を振っていた。 誉はもう一度満に冷めた瞳を向けた後、その表情をコロリと笑顔に変えてその方へ急ぐ。 カイは近づいてきた誉に手を出した。 それを誉が握ってやると、ニコッと笑って言う。 「ペンギンさん、あっちだって」 「うん、楽しみだね」 そして当たり前のように握り返してくれたその小さな手の感覚に多幸感を覚えながら、誉はカイと共に歩く。 途中、深海魚とクラゲの展示を経て辿り着いた海洋動物コーナーに、如月兄弟は元気よく駆け寄った。カイはわかるが航までそうなのが誉は可笑しくて仕方ない。 最近、誉はこの兄弟が実はとてもよく似ていると思うことが増えた。満も同じようで、兄弟の背中を微笑しながら見つめている。 「ペンギンさん、たくさんいる!」 「あはは、滑って落ちたぞ。ドンクセー。 お前そっくりだな」 「あんなに丸くないし、足も短くないし」 「そうか?ヨチヨチ歩きなところなんてそっくらじゃん」 「ヨチヨチしてねえし!」 そこまでいつもの調子で意地悪を言った所で横の満がスッと握った右手を上げたので、 「か、可愛いってことだよ。褒めたんだ」 と、慌てて航はフォローを入れる。 「可愛くないし」 カイはふくれっ面をして誉の後ろに隠れたが、落ち込んではなさそうだ。 軽くからかわれた範疇内で今回はお咎め無しということで満が手を下げたから、航はホッと息をついた。 一方で、カイはじっとペンギンを見つめ、 「ペンギンさん、可愛いなぁ」 と、改めてそう言った。 「そうだな、可愛いよなあ」 航もその横でそう返すと、スマートフォンをいじり始める。写真でも撮るのかと思いきや、 「意外と安いんだよ、飼うか」 と、突然の御曹司ムーブである。 「そうなの?」 「おう、ホラ。て、画面見えるか?」 「ん、ちょっとなら……。これ、安いの?」 「安い、安い。ウチの池の鯉より全然安い」 「そうなんだ!ペンギンほしい」 「だよな。母さんが放置してる温室改造したらいけるんじゃねーか? 繁殖難しいらしいし、チャレンジしてみたいな。そうすると本体は番で最低二匹、飼育員は二人で三交代として9人…いやキリよく10人にするか。そうだ、確かこの前仲良くなった南保のお父さまが海洋動物の権威だったような……」 「その2匹が合うって限らないから、2ペアはいたほうがいいんじゃないの?」 「確かに、たまにはいいこと言うなお前」 「えへへ。あと一杯いたほうが可愛いし」 「たしかにな〜。群で生活するらしいしな」 「待って待って、どこに向かってるの君たち」 「無駄な行動力の高さね」 「全く。群で生活する生き物を引き離したら可哀想だよ。 櫂くん、またペンギンさんに会いくなったら僕がまたいつでもつれてきてあげるからね」 「ホント?誉とまた来れる?」 「うん、勿論」 「やった! 水族館、日に当たらないし、眼鏡いらないし、好き」 「そうだね、安心して遊べるね」 「子供の個体買ってくれば平気じゃねえか? そういうもんだと思うだろ」 「もう個体って言っちゃってる時点でダメでしょ」 「他人任せ前提ですしね。 まるで実験動物扱いですね」 「ペットの犬だって繁殖させるやついるじゃん」 「普通はペットを個体なんて言わないの。 自分で世話すらする気もない飼い主は駄目ったら駄目。可哀想。 ペットにはこうやって愛情を持って接しないと」 誉はそう言うとカイをぎゅっと抱きしめてその頭に頬ずりしながら言い張る。 「えへへ」 「櫂、お前も満更でもないみたいな顔すんな」 「そうそう、ペットは愛情持って……。 ねえ、航?」 「何で俺の方見るんだよ」 「ペットといえば満兄さん、猫飼ってるんでしょ?」 「え、お前んち、猫なんかいたか?」 「無自覚かあ〜」 「ねえねえ、今度見に行ってもいい?」 「勿論いいで」 「駄目に決まってるでしょ」 「俺も見たい」 「航はもう少し客観的に自分見て」 「?、誉はさっきから何の話ししてるんだ?」 「あぁもうややこしいな……」 ここまで匂わされてまだバレてるとは露程も思っていない航の鈍感力に誉は逆に感心する。 その面倒だ。満を睨むと、バラしたら殺すとばかりにニッコリして返してきた。 勿論易々と殺されるつもりもないが、満のその手がペンギンに夢中なカイの背に添えられていたので、誉は急ぎそれを払ってカイの背後ポジションを取り戻した。 「さて、一通り見ましたね。 イルカのショーまではあと三十分ほど。 ショーは屋根があるとはいえ屋外ですから、櫂はギリギリに来たほうがいいでしょう。 私と航で席を取っておきますから、二人はもう少し中を見ていて下さい」 「おや、君にしては珍しく気が利くね」 「ええ、どうせならいい席で櫂に見せてやりたいので」 「……何か企んでる?」 「親戚の優しいお兄さんとして当然です」 「うっ、親戚ムーブ腹立つ……」 「私と櫂の間には僅かとは言え同じ血が流れてますが、こればかりは仕方ないですね」 「ううう」 「ねえ誉、オレ、もう一回クラゲ見たい」 「勿論いいよ! あそこは丁度いい暗がりもあるしね!」 「暗がりで何するつもりなんですかねえ」 「うるさいなっ。もう行こう、カイくん! 満、航、席取りお願いね!!」 「若さまに当たり前のように席取りを命じられるなんて誉くらいですよね」 「まあ、そこが誉のいいところだ。 俺は好きだよ、誉のああいうところ」 「……」 「えっ、なんでスイッチ入れんの。 やめ、やめろ……っ!」 そして誉達と別れた航と満はイルカショーのステージ前座席へと赴く。 まだ少し早いこともありお目当ての席がまだ残っていた。 「最前列より一個後ろの方が見やすくないか?」 「この席はイルカが一番近づいてくるんですよ」 「詳しいな」 「デートの定番ですからね」 「へぇ。水族館なんて子供が行くものだと思ってたよ」 「全く、これだから……。 いつもコンサートとディナーのデートばかり繰り返していると、直ぐにマンネリ化して飽きられてしまいますよ」 「いつも舞子のリクエストの通りにしてるだけだし。つーか、何で知ってんの?」 「さぁ、何ででしょうね」 首をかしげる航を横に座らせ、ちゃっかり渡された誉のカイお世話グッズが入った大きなカバンを横に置き、そこから勝手に大判のタオルを取り出す。 そしてそれを航の膝にそっとかけた。 「これは何だ?俺、別に寒くないぞ。 寧ろ暑いくらい……」 「かけておいた方がいいと思いますよ」 「へっ?」 そして更に首をかしげる航に、満は例のリモコンを見せつけながら、にっこりと不敵に微笑んだ。

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