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81.ダブルデート⑦
「信じられないくらい濡れたな」
「だからそう言ったじゃないですか」
イルカショーの最中、"そういう席"に座った一同は満の狙い通り惜しみなくバシャバシャとイルカに水をかけられた。
ちなみに櫂は全て誉がタオルガードしたので無傷だし、隣に座っていたのに満も何故か一つも濡れていない。
「でも、臨場感があったでしょ?」
「どっちかって言うと最後の方はもうやめて感が強かったな」
「ふふ、濡れてシャツが透けてますね。
航にも胸に可愛いハートの絆創膏をつけてやればよかったな、櫂みたいに」
「ん?櫂の胸が何だって?」
「満、黙ろうか」
誉は肩を竦める満を睨み、さっきからやけに大人しい櫂の肩を撫でた。
すると直ぐにわずかにそれが震えていることに気がついてギョッとする。
もしかして、大きなイルカが怖かったのだろうか。
誉がそう心配になったところで、櫂は低い声で言った。
「私、悪い子かもしれません」
「……え?」
「ペンギンさん一択だったけど、イルカさんも好きになりそう……。これって浮気ですよね?」
「いや、別に好きな動物が何種類いてもいいと思うが」
「いいんですか?!」
「動物はね。人間は僕以外ダメだよ。
あ、でも例え動物でも僕よりは好きになっちゃダメだよ」
「重たいな」
「ホント重たいですね」
「はい、わかりました」
「そこ、わかっちゃうんだ」
「櫂、イルカがそんなに気に入ったんなら飼うか?母さんが放置してるプール直せばイケるだろ」
「いいんですか?!」
「櫂くん、よくありません。
あと、航はすぐに何でも飼おうとしないの」
「意外と手頃なんだよ。
それにうまく繁殖させられれば」
「だから、それは最早ペットじゃないからね」
これだから金銭感覚が狂っている御曹司は。
そう毒づく誉の心の中を読んだかのように満が小さな声で囁く。
「貴方は知らないと思いますけど、航は既に会社を3つ持っています。確かに彼は理解しがたい金銭感覚をしていますが、基本は何をするにしても自分の稼ぎからですよ。寧ろかなり神経質に家のお金を使わないようにしているように見受けられます。学費も自分で払っているくらいですからね」
「えっ、そうなんだ?」
「高校生敏腕社長って結構話題になりましたが、流石に瀬戸内海の島までは届かなかったみたいですね」
「いちいち嫌味だなあ、もう。
知らないよ、興味もないし。
けど、航ってホントに何でもこなすね」
「勿論置かれた土壌が一般より恵まれているから、とも言えます。しかし何となく彼ならどこからスタートしても最後は同じ位置に収まる気がしますね」
「何だそれ。
君にしては珍しいくらいベタ褒めじゃないか、気持ちワル。もしかしなくても航のこと大好きだな?」
「ええ。
思った以上に堕としがいもあるし、最高です」
「本当に堕とす気あるの?
逆にかなり懐かれてるように見えるけど」
「ふむ、貴方目線で客観的に見てもそう思いますか。私もね、そこは今ちょっと理解しあぐねています」
「へえ、満でもそんなことあるんだ」
「如月家の人間は、どうも我々一般人の感覚や常識が通用しないんですよね」
「うーん、それは完全に同意」
「おい、さっきからお前等コソコソと何の話をしてるんだ?」
「いいえ、何も」
櫂から借りたタオルで体を拭いた航がそう言うと、誉と満はすっと離れてそれぞれのパートナーの横に向かった。
大事なところで揃って鈍い兄弟は揃って首を傾げるばかりだ。
「ところで櫂くん、お腹すいてない?」
「お腹はすいてないけど、クッキーは食べたいです」
「お前、またそうやって不健康を重ねるんじゃない」
「まあ、朝ごはんが遅かったからね」
「まだ少し時間がありますし、どこかベンチで休憩しましょうか。
航はお腹空いてませんか」
「なんかもうそれどころじゃない……」
「おや」
「おや、じゃねーよ。
誰のせいだと思ってんだよ」
「兄さん、やっぱり具合悪いの?」
「大丈夫ですよ、櫂。寧ろ絶好調です」
「なんで満が答えるんだよ」
「そう?なら良かった!」
「お前もすぐ信じるなよ」
そうしてようやく待ちに待ったペンギンとの触れ合いタイムである。
「ほら、櫂くん。ペンギンさんのごはんだよ」
「ペンギンさんて、魚の死骸を食べるんですね」
「死骸言うな」
「櫂くんは、ペンギンさん以外で動物さんに餌をあげたことあるの?」
「ありますよ。
さっきも話した通り、お魚さんにあげていました。それから昔は犬もいたのでらそれもあげてました」
「へえ、犬なんか居たんだ」
「はい、あとウサギと、鳥と……」
「母さんが一時期ハマってたんだ。
もうどれもいないよ」
すると突然、 2人の話を遮るように航が割り込んできた。更に、
「お、櫂、見てみろ。
ペンギンさんが出てきてるぞ」
「わあ!」
と、露骨に話をそらし、櫂の背中を押して先に行ってしまう。
「絶対何かありますよね」
その背を見守る誉に満が囁く。
「うん、あるね。
全部同時期にいなくなったんでしょ」
「はい」
「でも、いつも通り櫂は何も知らなそうだね」
「……そうですね」
「君、心当たりあるでしょ」
「あります。
が、今は憶測に過ぎないので何も言いません」
「……はあ、親戚のお兄さんはいいよね。
小さい櫂を知ってるんだもの。
可愛かっただろうなあ。
俺も、手取り足取りお世話したかったなあ」
「小さい頃、いやつい最近まで、かな。
櫂は"そういう感じ"ではなかったですよ。
長く入退院を繰り返してましたしね」
「それは体が弱かったからでしょ」
「入院する理由は、フィジカル的な疾患だけではないでしょ」
「……え」
「前当主さまの強いご意向で、診断はついていない様ですが」
「……」
それを聞いた真顔で黙り込んだ誉だ。眉を寄せ、細めた目は真っすぐ櫂に向けられている。
「誉?どうしました?」
口元を押さえた手がわずかに震えているのを見て、満は思わず問うた。
すると誉は長く答えを溜めた後、まさにうっとり、といった様子で答えた。
「なにそれ、すごく愛しい」
「はい?」
「つまり、つまりだよ。
カイはずっと一人ぼっちで心を病むほど追い詰められてたってことだよね」
「ええ、まぁ、そうなりますね」
「それなのに、見てよ今の櫂を!
どう見える?」
「ずいぶん元気そうですね」
「でしょ、俺が育てました!」
「………」
「完全にターニングポイントは俺でしょ。
俺に愛されて傷ついた心が癒されたからでしょ」
「……」
「俺の愛がカイを救ったんでしょ」
「……」
「聞いてる?」
「……アホらし」
「なっ、失礼だな!」
「はいはい、そうですね。その通りですね」
「絶対思ってないでしょ」
「……ほら。大好きな櫂が呼んでますよ」
するとその時、満が言う通り向こうから、
「誉せんせー、早くー!」
と、櫂が手を振っているのが見えた。
「見て、あの可憐ないい笑顔。
やっぱりカイには俺が必要なんだよ。
絶対結婚する。一生をかけて尽くし倒す」
「はあ、好きになさい」
それから少し並び、番が回ってきた。
憧れのペンギンを前にして、櫂は興奮気味だ。
差し出した餌をペンギンが一口食むたびに、嬉しそうにしながら誉の方を見て微笑んでいる。
「仲間に入らなくていいんですか、オニイサン」
「や、あの中に割って入ったら、流石に空気読めなさすぎるだろう」
「ねえ、まるでカップルみたいです」
「だから何度も言っている通り。……いや」
「?」
航は仲睦まじく肩を寄せる2人の背中を見つめながら、くしゃりと前髪をかき上げた。
それから、難しい顔をしたまま腕を組む。
「もしも、本当に二人がお前の言う通りなのだとしたら、俺はどうしたらいいんだろうな」
「おや、心境の変化が?」
「前なら許せなかったし、真っ向から否定したと思うんだ。でも、二人の、とりわけ櫂の様子を見ていると、正直俺はわからなくなってきている」
「仮にそうだとして、別に貴方に不利益があるわけではありません。好きにさせておけばいいのでは」
「あるだろ。
そもそも如月家の次男が男と、しかも大学の同期となんてありえな」
「おや、大嫌いなお祖父様みたいなことを仰るんですね」
「……っ」
「いずれにせよ、櫂が決めることです。
貴方に出来ることは、弟の幸せを願い見守ることだけですよ」
「……」
航は何も言わず、もう一度前髪をかき上げて息を吐いた。
「兄さん!」
そのタイミングで、向こうから櫂が駆けてきた。
「ペンギンさんに、魚の死骸あげられました」
そしてその天真爛漫な笑顔と言葉の雑さのギャップに思わず吹きだした航は、
「だから死骸言うなっつの」
と、いつもの調子で返すと、満を見上げる。
満もまた苦笑いしながら、肩を竦める。
「満兄さん、ありがとうございました。
とても楽しかったです」
「そうですか。喜んでもらえて良かったです」
「はい!」
そうして櫂は再び誉と手を繋ぎ、その顔を見上げて笑む。
航は、記憶の中の櫂とそれを重ね合わせ、確かに満が言う通りだと悟った。
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