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第4話
身体が不調だと伝えてもソリテは仕事を休むことはなかった。哀斗が不在の日、倒れて以来社長はソリテに対する当たりがさらに強くなった。
周りの社員からのこれ以上社長の機嫌を損ねるなという圧力。
それらも相まって休むという選択肢は彼の頭の中から排除された。少しばかりの休憩にクーラーを効かせた車内でぼうっと過ごす。
「……あいつ、元気かな」
あれ以来啓影と会うことはなかった。まあ、オレがあいつへの配達を拒んでいるのもある。ある、のに。何故かあいつのことが気に掛かる。こうやってなにもしてない時とか寝る前とか。不意に思い浮かぶ。
あんな最低なことをされたってのに、バカだなオレって。自嘲気味に笑みを浮かべゆるりと頭≪かぶり≫を振り次の配達先に向かうべくソリテは車を走らせた。
全ての配達が終わったのは22時過ぎ。タイムカード打刻は既に改ざん済み。街灯が1人寂しく灯る道を歩く。駐輪場までは少しかかる。
ぴたっとソリテは歩みを止めた。街灯の先に誰かいる。
少し目を凝らしその人物を見つめる。まるで影に揺らめく陽炎のようにその人はそこから微動だにしない。
こんなとこで待ち合わせか? 首を傾げながらオレは止めてた足を動かす。
それとも売春とかそういったのか? なんて思う。この辺、ホテルないけどな。
人が立っていた街灯が近付く。人物はゆらゆらと影のように揺らめいている。一瞬疲れすぎておかしくなったのかと思いソリテは目を擦る。
ソリテが近付く度に人物は揺らめく。
「……は?」
一瞬啓影の姿を形どったかと思うとそれは消えた。あいつストーカーになったのかよと思う間もなく。
幻覚だと言うようにそこにはなにもない。ぞわっと背筋に言葉にできない恐怖心が駆け上ってオレは駐輪場目掛けて走る。
ストーカーよりも質の悪いなにかを見かけたが案外無事駐輪場に着き荒い息を吐き出す。
「なんだよ、あいつ……!」
悪態を吐いたってそこにはもうなにもない。恐らくいない。
疲れてんだ。そう。オレは疲れてる。
ソリテは何度も言い聞かせてバイクのロックを外す。ヘルメットを被り深呼吸を一度してからバイクを走らせた。
――――
会いたい。逢いたい。
その思いが俺の影を動かす。ソリテに、逢いたい。
ゆらゆらと陽炎のように揺らめく啓影の影がソリテを見つけた。にぃと不気味に笑む影。
ソリテの影に重なるように啓影は動いた。疑似セックスみたいやねぇ? なんてソリテ不足で可笑しくなった俺はそんな事を思った。
彼の眼が、影を捉える。視線が疑心から恐怖に移り変わる。
あは。乾いた笑みが俺の口から零れ落ちる。その瞳に映るのは俺だけでいい。ずっと。
でも、ソリテは俺を振り払うようにバイクで走り去る。
――あえて追いかけなかった。
一先ず逢えたから。
目的は達成したとばかりに影は闇に消えていった。
――――
流石に今日はあの変な影はなかった。
独り地面を睨むオレは傍から見たら変な奴だっただろう。
でも、またあれが来るかもしれないと思うとなんだか恐ろしかった。
ホラーは苦手なんだ。昔から。
『また、怖いの見てるの? 嫌いなのに。寝れなくなるよ?』
『その時はママと寝るもん!』
『もう……。今いくつよ、ソリテは』
「……ちっ」
嫌な記憶が蘇りオレは頭≪かぶり≫を振った。なんで今更あの人が出るんだ。なんで、思い出すんだあの女を。
「お前のせいだ、啓影」
悪態を吐く。少しその場に立ち尽くし過去にふたをした。
大丈夫。なにも思い出してない。そうだ。
いつも通り過ごせばいい。
出勤するとなにやら上機嫌な社長に呼び出された。
気持ち悪いぐらい笑う社長に吐きたくなる。日頃の体調不良のせいじゃない。多分。
「聞いてくれ。汐崎」
「……なんすか」
「なんとこの会社の株を買ってくれた人がいるんだ!」
はぁ。物好きな奴もいたもんだ。こんな傾きかけてる会社に。
ああ。だからか。金がなによりも好きな社長はだから喜んでるんだ。
で、なんでオレなんかにそんなことを言うんだ?
徐々に冷静になるソリテは密かに首を傾げる。下っ端に態々そんなことを報告するほどなのだろうか。
第一それを報告するのは飾りの部長とかそこらじゃないのか? とソリテは思う。
いつクビにされてもおかしくないバイト社員に言うことじゃない。
そんなソリテの疑問に社長は喜々として言う。
「お前を買いたいって奴がいてな」
「……は?」
「だけど、“大事な部下”であるお前をタダではやれないって思ってな」
いや。待て。なんだ買うって。
は? 人身売買? 日本で?
疑問が尽きないほど浮かぶ。
大事な部下なんてどの口が。ともソリテは思うも寸でで飲み込んだ。返ってくるのは絶対怒声なのは考えなくてもわかることだった。
「お前の一生の給料と退職金の10倍くれたら売ってやるって言ったんだよ」
理解が、追いつかない。こいつはなにを言っている?
給料なんてそんな幻想とあるはずもない退職金?
――人身売買はこの際置いとくが、本人の意向もなしにそんなことをしてたのか? こいつは。
ふつふつと怒りが煮えたぎりオレは口を開く。言葉を発する前に社長が言葉を発した。
「あっさりと出したんだよ! しかも希望を上回る額でな!」
「……」
もうなにも言えなかった。
開きかけた口を閉じる。これになにを言っても無駄だと思ったと同時にオレはもうそれは覆せない事実なんだと理解した。
「加えて株も買ってくれてなぁ。よかったなぁ、役立たずのお前が会社の役に立てて」
嬉しいだろ? 嗤う社長に虚ろに返事した。
それに気をよくした社長はさらに哂った。ああ、耳障りだな。
溢れそうになるため息を押し殺す。
「ああ。その人はここに来いってさ」
乱雑に投げ出された住所の書かれた紙を手にする。
どこだここ。
ナビで出るかわからない。でも、行かないといけないんだろう。
「ほら、出ていけ」
最後は追い出されるように社長室を出た。押し殺したため息を今度は吐き出す。
引き継ぎなんてしなくたっていい。元々大した仕事も任されていない。
自身の荷物を取りに行けば周りの視線に気付く。
「お世話になりました」
形式の言葉を言えばようやく厄介者がいなくなったというような雰囲気に逃げるように会社を出た。
「……どこだよ」
地図アプリに住所を打ち込みそれに従いバイクを走らす。景色はやがて数少ない民家を追い抜き鬱蒼とした森が広がる山道に続く。
この先に山小屋かあるいは作業所とかなんかあるのかアスファルト舗装されているため走りにくさはない。
多分1時間ぐらいバイクを走らせている。でも、目的地は未だ見えない。
休憩するかとバイクを止めヘルメットを外す。軽くバイクに寄りかかりながら集落の売店で買ったコーヒー缶のプルタブを起こした。
「……あま」
見慣れない会社が出しているカフェオレと書かれたそれはひどく甘かった。
都会はうだるような暑さなのにここは木立ちが多いからか風が吹けば涼しかった。普通のツーリングならばよかったのにな。
「売られた、のか」
改めて口に出せば鈍く実感じみた重さを感じる。戦争のせもなくて。平和で安全なこの国でオレは売られた。
貰えるかもわからない自身の給料達の倍で。誰に売られたかもわからない。
思えば生まれた頃から厄介者だったのかもしれない。
『Pourquoi m'as-tu donné naissance ?!』
なにをしたのかは憶えていない。ただ、押し当てられたアイロンの熱さと母の金切り声だけは覚えている。
がり、とガーゼの上から傷跡に爪を立てる。
この世に生まれ落ちたことが罪で。息しているたびにその罪は膨れ上がる。
教会で何度もなんども己の罪を懺悔した。
赦されるとは思わなかった。
だけど、あの日。
啓影は、オレを、
「違う。違う……!」
好きでいてくれたなんてそんなの幻だ。
愛おしいとばかりに自分を見つめる瞳は幻影だ。愛を渇望したあまりの幻想だ。
「……Je suis désolé d'être né」
「……ここか」
日暮れになる前に着いてよかった。後ついでにガス欠になる前で。
あの甘ったるいカフェオレ以来飲まずにいるためだいぶ喉はからからだ。腹も減った。
激務以来まともに飯食ってなさ過ぎて病院とはもはや友達だ。でも、もしかしたら。
今日でそんな日々は終わりかもしれない。こんな豪邸に呼ばれたんだし。多分、マシな生活だろう。多分。
邪魔にならない位置にバイクを停めオレはインターホンを鳴らそうとして
「あ……?」
そこで視界は暗転した。
「捕まえた♡」
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