それから先輩の部屋を出る。時間が時間なので、外はすっかり暗くなっていた。街灯がぽつぽつと周囲を照らして、なんだか幻想的に見えてしまう。 　多分、俺も酔っているんだな。そう思って、口元を緩めた。 （……なんだか、どうでもいいや） 　先輩に話を聞いてもらったら、なんだかすっきりとした。 　俺にだって、いつかは運命の人が現れるだろう。その人物は、亜玲にも靡かなくて、きっと俺を、俺だけを愛してくれる。 （なんて、子供じゃあるまいに） 　ぎゅっと胸の前で手を握って、苦笑を浮かべる。誰もいない道を見ていると、まるでこの世界に俺だけが取り残されたかのような錯覚に陥る。 　……あぁ、寂しい。 　ふと、そう思ってしまった。 　けれど、その考えを打ち消すように首を横に振る。 （っていうか、そもそも亜玲が俺の恋人を寝取らなきゃ……） 　こうは、ならなかったんだ。そんな考えが頭の中に浮かび上がると、怒りがこみあげてくる。 　……先輩は、亜玲と話すのが一番だと言っていた。……正直なところ、話したくもない。顔も見たくない。 （だけど、さすがにこのままだとダメだよな……） 　そっと視線を彷徨わせる。……ここは、亜玲の住むアパートの近くだ。……少し、話がしたいと言いに行こうか。 （そうだ。これは、俺自身のため。亜玲の愚かな行動を、改めさせるためなんだ） 　自分を正当化するような言葉を頭の中に並べて、俺は足を踏み出した。 　亜玲の住むアパートは、五階建ての立派なものだ。これは裕福な学生が住まうアパート。……俺みたいな平々凡々な一般人には縁のない場所。 （……確か、亜玲は……） 　三階の角部屋に住んでいたはずだ。……階段を上っていると、なんだか心臓がバクバクと嫌な音を立てていた。 「……亜玲は、俺に抗議されてどう思うんだろうな」 　ぽつりとそう言葉を零してしまう。亜玲は俺のことを見下しているのだろう。だから、あんなことが簡単にできるのだ。 　……考えるだけで、腹が立つ。 　亜玲の部屋の前に立って、一旦深呼吸。……とりあえず、インターホンのボタンを押そう。 　インターホンのボタンを押そうと、震える手を伸ばす。瞬間、後ろからその手を掴まれた。 「――っ！」 　驚いて、慌てて振り返る。そこにはとても見知った顔。――亜玲が、いた。 「こんな深夜に誰が訪問してきたのかと思ったら、祈だったんだ」 　亜玲は暗闇でもわかるような笑みを浮かべて、俺を見つめる。奴の手にはビニール袋。……コンビニにでも、行っていたのか。 「っていうか、こんな深夜に訪ねてくるなんて、初めてじゃない？」 「……昼間に訪ねたこともない」 「そうだっけ？」 　きょとんとした表情を浮かべつつ、亜玲は部屋の鍵を開ける。扉を開けて、俺に目線だけで「入れ」と促す。 　……俺は、ただその場に立ち尽くした。 「……入らないの？」 　亜玲が目をぱちぱちと瞬かせて、そう問いかけてくる。……別に、話がしたいだけだし。 「……別に、ちょっと話がしたいと思ってきただけだし。……立ち話でいい」 　小さな声で、そう言う。亜玲は、少し考え込むような素振りを見せた。 「……立ち話って言っても、深夜だしね。ここで立ち話をするのは、ほかの住民に迷惑なんだけれど？」 「っつ……。わかった。入る」 　そう言われたら、入るしかなかった。俺が恐る恐る亜玲の部屋に足を踏み入れる。 　玄関で靴を脱いで、リビングらしき部屋に入る。……ワンルームじゃない。さすがは、立派なアパート。 「……それにしても、祈がここに来るなんてね」 　亜玲がそう呟いて、部屋の扉を閉める。……扉の閉まる音が、やたらと生々しく聞こえたのは気のせい、なのだろうか？ 「それで、話ってなに？」 　ニコニコと笑った亜玲が、俺のほうに近づいてくる。部屋の電気をつけて、俺を見つめてくる亜玲。 　……心臓が、また嫌な音を立てた。 （だけど、ここで逃げだすわけには……） 　折角来たんだ。せめて、抗議くらいはしなくては。 「……寿々也の、ことなんだけれど」 　亜玲を睨みつけて、出来る限り低い声で。俺は、亜玲に元恋人のことを切り出した。