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悲しき坤澤の運命②

 翠花(ツイファ)が生まれ育った村には古くからの言い伝えがあった。黒色以外の瞳を持つ子供が生まれるとその村に不吉なことが起こる、というものだ。  その謂れは遥か昔、翠花が生まれた村に青い目をした男の赤ん坊が生まれたことだ。その赤ん坊は女の子のように愛らしく、ほんのり桜色に染まり蝋のように滑らかな頬に、艶々と輝く黒髪をしていた。  月玲(ユーリン)と名づけられた青い目の赤ん坊が16歳になる頃には、まるで天女のように美しい青年へと成長をした。  しかしその頃から、彼の周りで不思議な出来事が起こり始める。月玲の体からは甘美な香りが漂い、村中の男がその香りに夢中になったのだ。甘い香りを放ちながら美しい容姿で若い男を誘惑すれば、あっという間に男たちは月玲の虜となってしまう。  月玲の住む館には、そんな男達が昼夜問わず通い詰め、村の若者達は少しずつ狂っていった。最終的は、月玲に魅了された男達は廃人となり死んでいったそうだ。  それ以来、月玲は『鬼神(きじん)』として、人々に語り継がれている。 「すまないな、仔空(シア)」 「いいえ、父様。今まで僕を育ててくれてありがとうございました」   仔空は、肩を揺らして泣く父親をそっと抱き締める。 「殺されなかっただけ幸せです。大丈夫、僕はここで生きていきますから」  何度も何度も「すまない」と繰り返す父親に背を向けて、仔空は館の門をくぐった。  その館は木造の古い建物で、紅い外壁に小さな窓がたくさんついていた。外壁には、黄色の塗料で番の竜や四聖獣が描かれている。屋根には高価そうな瓦が惜しみなく積まれ、その周りに色とりどりの行灯が揺れていた。豪華な刺繡が施された布が入り口に飾られており、館の中までは見ることができない。 「綺麗だなぁ」  仔空はポツリと呟いた。  ここは、この村で一番有名な売春宿『花屋(かおく)』。仔空は今日、ここに売られてきたのだ。  仔空の家は息子を売る程貧しい訳ではなく、城下町に栄えた五代家と呼ばれる裕福な家の一つである。  それでも仔空がここに売られてきたのには、ある事情があった。 「ほう、お前さんかい……今日売られてくる上玉っていうのは。いらっしゃい」  仔空が『花屋』に足を踏み入れた瞬間、ムワッと甘ったるい香りが鼻を突く。お香の香りだろう。顔を顰めた仔空に、この店の主人であろう男が声をかけてきた。 「ほうほう……これはなかなか……」  仔空の体を舐めまわすように眺めた後、ペロリと舌なめずりをする。その醜い姿に、仔空の背中をゾッと冷たい物が走り抜けていった。 「お前さん、本当にべっぴんさんだなぁ。まるで後宮にいるお妃みたいじゃねぇか」  そう言いながら、店主は仔空に体を擦り寄せる。 「肌は雪のように白いくせに、髪はこんなにも艶々と黒光りしている。それに、楊貴妃みたいに綺麗な顔してんだな」  店主は仔空の細い腰に腕を回し、強引に顔を覗き込んでくる。生暖かい息が頬にかかり、仔空は思わず顔を背けた。 「それに、本当に翠色の目だ。これが伝説の『鬼神』の生まれ変わりか……」  そう呟きながら、じっと顔を眺めてくる。その気持ち悪さに吐き気がする。 「伝説の『鬼神』も綺麗な男だったらしいが、お前さんも本当に綺麗な顔をしている。幼さの中に潜む色香が堪らないじゃないか」 「……………」 「せいぜい、その顔と体で稼いでくれよ。ワッハハハ」  店主は上機嫌に笑いながら、店の奥へと消えて行った。  仔空はこの日、翠花となった。  なぜなら、仔空の瞳は伝説の鬼神と同じ黒色以外の瞳をしているのだ。だから実家にいられるはずなどない。生まれ育った村で、仔空の瞳を見た大人達は「村に災いを招く前にどっかにやってしまえ」と口々に叫んだ。鬼神の生まれ変わりと噂され、仔空は村に不幸を招く……と多くの人に恐れられる存在だった。それにも拘わらず、16歳になるまで仔空の両親は彼を大切に育ててくれたのだった。  しかし、16になったある日、仔空の体から何とも言えない甘い香りが漂うようになる。それは、伝説の鬼神を思わせるものだった。その甘い香りは、仔空の感情とは無関係に若い男達の下心をくすぐり欲情させた。  ある晩仔空の寝込みを襲う若者が現れたことが、村人達の我慢の限界だったのだろう。 「そんなに男が好きなら、売春宿へ売り払ってしまえ!!」  口々にそう叫ぶ村人達が、仔空が住む館へと押し掛けるようになる。  元々、由緒正しい皇帝へと仕える家系だったこともあり、仔空は両親と家督を守る為に自ら『花屋』に行くことを志願したのだった。  仔空の第二性は坤澤(オメガ)。優秀とされている五代家の人々は全員乾元(アルファ)であり、仔空のような坤澤が生まれてくることはこれまでなかった。そして伝説の鬼神である月玲も、坤澤だったと言い伝えられている。 「これが僕の運命だったんだ」  仔空は、もう何度も何度もそう自分に言い聞かせる。  それでも涙が頬を伝う時は、唇を噛み締めて、優しかった両親を思うのだった。  

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