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後宮に嫁いだ坤澤③

「そんなことはありません。陛下は貴方のことを大変気に入っておられます。おい、あれを」   香露(コウム)が後ろを振り返り視線で合図を送れば、付き人が真っ白な布に包まれた何かを香露に手渡す。その白い布には真っ赤な糸で小さな花の刺繍がしてある。触れなくても、それがどれ程肌触りの良い物かわかってしまうようだった。 「これを貴方に」 「……これを、僕に?」 「はい。皇帝陛下からの、贈り物にございます」 「皇帝陛下から……」 「はい。是非、お手に取ってご覧ください」  翠花(ツイファ)が震える手でその白い布を開けば、中から紅色をした鮮やかな着物が出てきた。白い襟には金色の糸で刺繍が縫い込まれており、恐らく紅花で染められたであろうその着物は、朝日でキラキラと輝いて見えた。着物には薄桃色や薄黄色の桜の花がたくさん描かれており、風に吹かれた花弁が一斉に舞い散っている様子が眩いくらいに美しい。 「皇帝陛下が、貴方には色鮮やかな紅色が似合うだろうと……」 「そんな……」 「皇帝陛下は、貴方を初めて見た瞬間桜の花のような人だったと言っておりました」 「桜の花?」 「はい。実は、皇帝陛下はずっと前から貴方の事を知っていたのですよ」  香霧が翠花に向かってニッコリ微笑む。 「皇帝陛下が、僕の事を知っていた?」 「はい。陛下は時々お忍びで城下町に出掛けることがあるのですが、その時に偶然貴方をお見かけになられたのです」  そう言われても、翠花には皇帝陛下に会った記憶などなかった。あんなに美しい人なのだから、会ったことを忘れるはずがない。必死に記憶の糸を辿るものの、自分がいつ皇帝陛下に会ったのかなどわからなかった。 「あれは行燈祭りの日でした。満開に咲き乱れる夜桜を、あなたはあの窓から見つめていたそうです」  そう言いながら香霧は部屋の中の窓を指さす。 「その姿がまるで籠の中の鳥のように儚くも、満開の桜のように華やかにも見えたとのことです」 「行燈祭りの日……」  この城下町では、年に1回桜の時季に行燈祭りが開かれる。軒先や店先には色とりどりの絵の描かれた行燈が吊るされて、夜には蝋燭に火が灯される。元々は、春の訪れを祝う祭りだったらしいが、今では夜桜の見物をする客で町は大賑わいとなるのだ。  勿論、そんな祭りに花翠が自由に出掛けられるはずもなく、毎年この店から眺めるだけだった。そんな翠花を、皇帝陛下が見ていたというのだろうか。 「陛下は生まれた瞬間から皇太子の運命を担ってきました。幼い頃から命を狙われ、生きた心地などしなかったでしょう。そのため、確かに『幸せ』という物からはほど遠いお人かもしれません。けれど……」  香霧が悪戯っぽく微笑む。 「自分を幸せにして欲しいなんて、ただの口実です」 「口実?」 「はい。陛下は天邪鬼な方なので、貴方に一目惚れしたから妃に欲しい……と、素直に言えなかっただけなのです」 「え? 一目惚れ……」 「貴方のことを『運命の番』だとまで仰っていました。可愛らしい方でしょう?」 「……………」  翠花は俯いてしまう。 (皇帝陛下とこんな自分が、運命の番であるはずがない)  どう考えても、自分が皇帝陛下の妃に選ばれるような特別な存在には思えない。だって、自分は汚らわしい坤澤(オメガ)なのだから。 「大体、僕を抱いた相手が幸せになるなんてこと自体が、事実かどうかもわからないではないですか」  翠花が寂しそうに笑う。 「僕をお抱きになった直後、偶然幸福が訪れただけかもしれません。自分がこんなに不幸なのに、他人を幸せにしてあげられるなんて思えません」 「しかし現に……」  香霧がそっと翠花の頬に手を当て、優しく上を向かせてくれた。 「皇帝陛下は貴方にお会いすることができて、恋を知りました。貴方は他人に喜びや幸せをもたらすことのできる鬼神の生まれ変わりだと……少なくとも皇帝陛下はそうお考えですよ」 「皇帝陛下が……」 「はい。明日の正午、お迎えにあがります。この着物を着て、王宮にいらしてくださいね」  そう言いながら、香霧はまるで春の日差しのように微笑んだ。

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