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後宮に嫁いだ坤澤④
「翠花 よ、幸せになるんだよ」
店主が見たことのないような笑顔を翠花に向ける。無理もない。翠花を妃に迎えるにあたり、豪邸が何軒も建つ程の金銭が贈られたことだろう。
「本当にお前は、幸せを呼ぶ鬼神だよ」
それを聞いた翠花は小さく溜息をつく。
結局自分は、お金により売買される商品に過ぎない。売られた場所が花屋から王宮に変わっただけ。自分の主人が、この狸のような店主から皇帝陛下に変わるだけだ。
翠花はどこに行っても自由なんてないし、好きでもない男に抱かれる日々は変わらない。
そして雨露期 になれば『幸せを呼ぶ坤澤』として、更に高値で売られる。
翠花は自分が幸せを感じられない場所にいるのに、そんな自分が他人を幸せにできるはずがないと思っている。
(僕だって幸せになりたい)
翠花はいつも苦しかった。
もし王宮へ嫁ぎ、皇帝陛下の妻となったら幸せになれるのだろうか。
(そんなはずはない、か……。あぁ、でも今後は雨露期に不特定多数の男に抱かれることはなくなるといいな……)
翠花の心の中を、まだ冷たい春の夜風が吹き抜けて行った。
その日はまるで翠花の門出を祝うかのように、一斉に城下町の桜が花開いた。甘い花の香りが町中を満たし、小さな薄桃色の花に人々は歓喜する。
道端には可愛らしい野草が咲き乱れ、新しい生命の息吹を含んだ風が桜の木を優しく揺らした。
翠花は皇帝陛下から頂いた紅色の着物に身を包み、見慣れた町並みを見下ろす。何度ここから逃げ出したいと思ったことか。今日翠花は、花屋に来て以来初めて店の門の外へと出ることとなる。ずっと、ここから逃げ出したかったはずなのに、今はそれが酷く怖いと感じた。
翠花の世界は、いつの間にか小さくてつまらない物になってしまっていたが、その狭い世界が辛くとも安心なものになっていることも事実なのだ。
「わぁ……翠花様、お綺麗……」
翠花が振り返ると、ずっと自分の世話をしていた少年がうっとりと自分を見つめていた。
「綺麗、ですか?」
「はい、とっても」
翠花との別れが寂しいのか、瞳にはたくさんの涙が浮かんでいた。
「ありがとうございます」
「翠花様、お幸せになってください」
「はい、貴方もね」
翠花が少年に向かって微笑んだ瞬間、店の外が賑やかになる。
(来たか……)
翠花はそっと息を吐いてから、スッと背筋を伸ばした。
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