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皇帝陛下を待ち侘びて⑧
「皇妃方の言う事はお気になさらないでくださいね」
「え?」
「ただの嫉妬です。若くて美しい……更に陛下からの寵愛をお受けになられている、仔空貴人 が羨ましくて仕方ないのですよ」
桜の宮に着いた仔空に、香霧 はそっと笑いかける。
「さぁ、仔空貴人。昼食の準備が整いました」
「わぁ……今日も豪華だ……」
居間の卓には、今日も豪華な料理が並べられていた。
「そんなことより仔空貴人、雨露期 は来そうですか?」
「それが……全くその兆候がないのです」
「そのようですね。仔空貴人からは信香 が全く感じられません」
「これでは妊娠どころではありませんね。どこまでも役に立たず申し訳ありません」
王宮に来てから数日が経ちそろそろ雨露期を迎えるはずの仔空に、その兆候が全く見られない。それを香霧は心配してくれているようだ。
「慣れない後宮生活で、疲れてしまっているのかもしれないですね」
「あの、もしかして香霧さんは乾元 なのですか?」
「はい。その通りでございます。でもご安心くださいね。仔空貴人が雨露期に入られましたら、お世話は女官達にお任せしますから」
「はい」
「今は1日でも早くここに慣れて頂くことが大切ですから。焦らずに、ね?」
雨露期さえ来ない役立たずの自分に焦りを感じていた仔空は、香霧の優しい言葉に胸を撫で下ろす。
「ふふっ。仔空貴人は本当に穏やかな方ですね」
「え? そうでしょうか?」
突然吹き出しクスクスと笑う香霧に、仔空の頬はどんどん熱を持っていった。
「この後宮の皇妃達は皆気が強く、いかに陛下の寵愛を受けるかに躍起になっています。そんな皇妃達を毎日見ているせいか、仔空貴人の穏やかさが本当に心に染み渡ります」
「そ、そんな……」
「陛下が寵愛なさる理由が、とてもよくわかります」
そう微笑みながら、香霧はいつものように食事の毒味を始めたのだった。
「仔空貴人、大丈夫そうです。安心してお召し上がりください」
「ありがとうございます」
何せ卓に並べ立てられた皿の数が多いため、香霧が全ての料理の毒味をするまでにはそれなりの時間がかかる。きゅるるるる……と、仔空の腹の虫が鳴き出してしまうこともしばしばだ。
「では、いただきます」
「はい。召し上がれ」
仔空は両手を合わせると、礼儀良く頭を下げる。そんな仔空を、お茶を飲みながら香霧が嬉しそうに見つめる。
王宮に来て仔空が1番気に入った料理である『文思豆腐 』を行儀良く箸で摘み口へと運んだ。
(あれ? いつもと味が違う?)
一口食べた瞬間、仔空の本能が危険を知らせる。いつもより苦く感じたのだ。舌先がピリピリと痺れ、まるで渋柿を食べた時のように口の中が麻痺していった。たった一口だけなのに文思豆腐が異常に熱く、食道を通り過ぎて胃に落ちる感覚さえも伝わってくるくらいだ。
(胃が……熱い……)
仔空は無意識に胸を鷲掴みにする。
(なんだ、これ……)
胃から何かが逆流してくるのを必死に堪える。心臓がバクバクと鳴り響き、呼吸がどんどん浅くなっていった。冷たい汗が滝のように流れ落ちる。
「どうかされましたか?」
香霧が心配そうに仔空の顔を覗き込む。
(毒……な訳がない。だって、香霧さんは普通にしているじゃないか。これが毒なら、香霧さんにも影響が出ているはずだ)
心配をかけたくない仔空は、無理に笑顔を作って見せた。
「なんでもありません。大丈夫です」
「本当ですか? なら良かったです」
きっと香霧が言ったように、疲れているのだろう……仔空はそう自分に言い聞かせた。
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