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【最終章】新しい命①

「いいですか、仔空妃殿下(シアひでんか)。陛下は幼い頃患った大病のせいで子をなすことができないお体なのです。ですから雨露期(ヒート期)がきたらですね……」 「わかっております、善蕉風(ぜんしょうふう)先生。雨露期が来たら頑張りますから」 「仔空妃殿下には元気な皇太子を産んでいただかなければならないのです」   あれ以来善蕉風は仔空の元を訪れては「皇太子、皇太子」と耳にタコができる程繰り返し話してきた。さすがの仔空も今は苦笑いで聞き流しているのだけど……。   「まったく、皇妃をたった一人しか迎えない皇帝陛下など前代未聞なのです。おかげで今や栄華宮(えいかぐう)には仔空妃殿下しかおりません。先帝はあんなに女性がお好きだったのに、今の皇帝陛下の一途さときたら……」   仔空は善蕉風の話が嬉しくて、頬を赤らめながら「はいはい」と相槌を打った。 「皇帝陛下なら何人も皇妃をお囲いになるのが普通です。仔空妃殿下は余程陛下の寵愛をお受けになられているのですね。現皇帝陛下は本当に困ったお人だ……」  溜息をつきながら腰を叩いている善蕉風が可笑しくて、仔空は気付かれないようにクスクスと笑う。  大体、玉風(ユーフォン)が仔空を求めない日などない。精力旺盛な玉風は足繫く仔空の閨にやってきては、朝まで甘い時間を過ごしていく。おかげでいつも仔空は寝不足だし、玉風がきちんと公務をしているのかも心配だ。 「もうすぐ国民に仔空妃殿下をお披露目する日が来ます。どうぞ、お体は大切になさってください」   うやうやしく拱手礼をする善蕉風に、仔空も拱手礼を返す。  香霧(コウム)のその後が気がかりだった仔空は、自分の元を訪れる宦官(かんがん)や女中たちに香霧のことを聞いてみた。だが彼が今どこでどうしているのかを知っている者はいなかった。  季節は流れ、やがて寒い冬が訪れる。雪がヒラヒラと桜の花弁の様に舞うそんな日に、仔空を国民に披露する日がやってきた。  当日は朝から国中がお祭り騒ぎだ。国民達は浮足立ち、興奮を隠し切れていない。新しく皇后となった仔空を一目見ようと、黄龍殿(こうりゅうでん)の前には多くの人々が詰めかけた。 「新しく『皇后』となられる方は坤澤(オメガ)らしいが、まるで天女のように美しいらしい」 「それにとても優しい方のようだ」 「男の皇后は魁帝国(かいていこく)が始まって以来初だが……国民総出で祝おうではないか」  皆が皆目を輝かせ、玉風と仔空が登場するのを待ち侘びていた。 「予想以上に集まったようだな」 「はい……」 「なんだ? 恥ずかしいのか?」  顔を赤らめたまま俯く仔空の頬を、そっと玉風が撫でる。仔空が顔を上げれば、玉風が優しく微笑んでいる。金色の縁取りと立派な龍が刺繍された黒の着物。そして纏い赤い前掛け。頭には黄龍が彫られた王冠を載せており、大きな桜の模様がついたたすき掛けを胸の前にしている。  皇帝陛下が結婚式の時に着る伝統的な衣装なのだが、仔空はそのあまりの凛々しさに玉風を直視することができないでいた。  仔空も、朝早くから玲玲(リンリン)達女官に囲まれ大騒ぎだった。赤い着物に桃色や白い糸で刺繍された桜の着物を着せられて、鳳凰をかたどった冠を被らされる。首には、初めて王宮へやってきた日に玉風から貰った首輪をつけた。  薄く化粧された仔空を見て、 「仔空皇后、本当にお綺麗です」  玲玲達の涙を見た仔空の胸は熱くなる。  黄龍殿前の石畳には赤い敷物が敷かれ、宮殿の屋根からは赤、青、白、黒、そして黄色の布が飾られた。石畳の両脇には、来儀(ライギ)をはじめとした兵士達が並ぶ。その先には、国中で採れた作物や酒、線香を置くための祭壇が飾られている。  その祭壇の前で新しい皇后である仔空を披露し、仔空の髪を玉風が赤い紐で結わうのが、一連の儀式とのことだった。 「どうした? 緊張しているのか?」  玉風が心配そうに腰を屈めて仔空の顔を覗き込んだ。 「綺麗だぞ、仔空」 「陛下……」 「慕っている、其方を。狂おしい程に」  そっと触れ合うだけの口付けに、幸せを噛み締めずにはいられない。   「わぁぁぁ!! 皇后陛下、万歳!!」   黄龍殿の外が一際賑やかになる。皆が仔空を一目見たいと前のめりになっている。地響きがしそうなほどの歓声に、耳をつんざくほどの拍手。国全体が祝福に包み込まれた。 「参ろう、仔空皇后」  玉風が握ったその手を、仔空がギュッと握り返す。 「どうした?」 「陛下……」 「一体どうしたというのだ?」  「あの、どうしても陛下に聞いていただきたいことがあるのです」 「仔空、どうした?」  瞳を揺らす仔空を玉風が抱き締めてくれる。逞しい腕の中で、仔空はそっと呼吸を整えた。 「陛下、僕のお腹には新しい命が……」 「……なんだと?」 「神様から、大切な命を授かりました……」  「そうか、そうか……。よくやってくれた。仔空皇后、幸せをありがとう」  大歓声に包まれながら、玉風が優しく笑う。空からは桜の花弁のような粉雪がヒラヒラと舞い、2人を包み込んだ。

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