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動き出した運命①

「おい、くそジジィが! お母様から離れろ!」 「あぁ? おいチビ。皇帝陛下に向かって『くそジジィ』となんだ? 貴様、この国から追放されたいのか?」 「恋路に皇帝陛下なんて関係ないだろう? お前はお母様に馴れ馴れしいのだ!」 「当り前だろう? 仔空(シア)皇后は俺のものだ」 「今は、だろう? 俺だって乾元(アルファ)だ! いつかお前からお母様を奪い去って、俺がお母様と番になるんだ!」 「――なんだと? いい気になるなよ? 俺と仔空皇后は運命の番なのだ。そうやすやすと奪われてたまるかよ」 「はぁ……」  先程から繰り返されるこの意味のない討論に、仔空は大きな溜息をつく。父親に向かって、しかも一国の皇帝陛下に向かって暴言を吐く少年も少年だが、そんな子供相手にムキになっている玉風(ユーフォン)も玉風なのだ。子供と本気になって口論しているなんて、大人じゃない。しかも、我が子相手に……。 「こら、颯懍(ソンリェン)。お父様にそのような言葉を使ってはいけませんよ」 「しかし、お母様……」 「お父様はこの国の主、皇帝陛下です。我々が尊ぶべきお人なのですよ」 「お母様……」  颯懍と呼ばれた少年が仔空のほうを見ながら泣きべそをかいた。  颯懍は国中が待ち侘びた皇太子である。玉風は子供を授かることができないと思われていた分、皇太子誕生に国中が湧いた。  しかし生まれてきた皇太子は、母親である仔空のように美しい姿をしているにも関わらず、性格が荒っぽく、口が悪いところは父親である玉風に似てしまったらしい。  二人は顔を突き合わせる度に喧嘩ばかり……颯懍は皇帝陛下である玉風を敬うどころか、『くそジジィ』と暴言を吐く始末。玉風も玉風で五つになったばかりの我が子に、本気で食ってかかっているのだ。  この光景を見かける度に、仔空は心を痛めている。「本当にいい加減にしてほしい」それが仔空の本音だった。 「フンッ。ほら言ったことか……」  仔空に叱られ鼻を鳴らす颯懍を見下ろし、玉風が満面の笑みを浮かべている。 「陛下も子供相手にムキにならないでください」 「は?」 「ふふっ。お父様だって叱られているではないですか?」 「なんだと?」 「二人共いい加減にしてください! 仔空は本気で怒りますよ!」  普段は声を荒げることのない仔空が大声を出すと、その場が一気に静まり返る。花弁がすべて散り、青葉をつけた桜の木がサラサラと音を立てながら初夏の風に揺れている音がする。キラキラと眩しい光が桜の宮の中に差し込み、春の終わりを告げていた。  先程までしていた雨音が今は聞こえてこないから、こんな大騒ぎしているうちにやんだのかもしれない。 「ほら、お前のせいで仔空皇后に怒られただろうが?」 「お父様が子供みたいに駄々をこねるのが悪いのです」 「なんだと? お前の入り込む余地なんてないのに、ギャーギャーと喚くからだろう?」 「だからジジィは黙っていろと言っているのです。僕はすぐにでも大人になって、お母様を妃として迎えます。だから引っ込んでいてください」 「だから、仔空は俺のものだ」 「いいえ僕のものです」  —―また振り出しに戻ってしまった……。  仔空はもう一度大きく溜息をついた。 「ふふっ。仔空皇后も大変ですね」 「申し訳ありません。見苦しいところを……」 「とんでもないです。仔空皇后をお二人で取り合うなんて、実に微笑ましいではないですか」 「礼儀の知らない子供と大きな子供が喧嘩をしているだけです」 「仔空皇后は本当に幸せですね」 「え?」  仔空が頬を染めながら目を見開けば、寝台の傍にしゃがみ込み診察をしていた侍医と視線が合う。優しく微笑む侍医は、つい最近王宮にやってきたばかりだ。  若くして妻を亡くした彼は町では有名な医者で、善蕉風(ぜんしょうふう)と同じく番について詳しかった。そんな才能を玉風に買われて王宮へとやってきたのだ。 「もう起きていただいて大丈夫ですよ。順調だと思われます」 「そうですか、よかった……」  その言葉に仔空は安堵した。 「大分お腹も大きくなられましたね。体調はどうですか?」 「はい。最近は食事も美味しく頂けるようになりました」 「頑張って、元気な皇太子殿下を産んでくださいね」 「ありがとうございます」  少しだけふっくらとしたお腹を撫でながら侍医に向かい頭を下げた。  仔空のお腹には二人目の子供がいる。紅葉が散り、粉雪が舞う頃には、きっと元気な二人目の皇太子に会えることだろう。そう思うと今から楽しみで仕方がない。

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