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第5話 告白
「それでは、始めようか」
永心家の朝食会という名の家族会議に呼ばれた俺と蒼は、照史おじさんとは最も距離をとった末席に座らせてもらった。今日の話は、全容を知っているのはおそらく照史おじさんだけで、息子たちでさえ把握していない内容のようだったからだ。
ただし、どれほどの衝撃が走るのかが全くわからないため、永心の隣には野本を座らせている。そして、何かあった時のために、今日も晴翔さんの部屋は空けておいてもらっていた。
晴翔さんは、昨日晶さんの法要を終えていて、今朝は本家に顔を出していた。結婚の約束をしていたパートナーに大怪我を負わせた相手の法要に出るのは、やはり辛かったのだろう。今日は幾分すっきりした顔ではあったけれども、晴翔さんの隣にも今のパートナーである翼さんがいた。精神的に支えとなる人がいないと聞けない話なのだろう。
翼さんの息子の翔平と翔平のパートナーである鉄平、そして引き取って親子になったばかりの和人くんがその隣に並んでいて、和人くんの隣には田崎に座ってもらっている。和人くんにはパートナーがいない。今日の話の内容によっては、バースどうこうではなく、子供として心を痛める可能性があるからと、面倒を見る人間を一人用意しておいて欲しいと、照史おじさんから頼まれていたからだ。
「まず初めに、全てを隠していたことを詫びさせてくれ。これは、俺と二人の女性の間で取り交わされた密約だ。墓場まで持っていく約束になっていた。ただ、晶さんの事件の事があった以上、お前たちには知っておいてもらわないといけないと判断したんだ」
そう言って、照史おじさんはその場にいる全員の目を見ながら黙り込んでしまった。
春先の朝は、本来ならばまだ少し冷え込む。ただ、センチネルにとって体が冷えるということがかなりの精神的苦痛を伴うことを、この家はよく知っていた。センチネルに支えられ、政敵からの妨害を撥ねつけてここまでやって来た家だ。そのため、この家はセンチネルに優しいように作られている。
その家にいても震えが来てしまうほど、緊張感で体が冷え込んでいった。俺でさえそうなのだ。ふと見ると、永心がぶるぶると体を震わせていた。野本がそれに気づき、膝掛けをもらってかけてあげていた。照史おじさんもそれに気がついたようで、野本を見つめる永心の視線の柔らかさに、ふっと目を細めていた。
——やっぱりな。ずっとあの目で見ていたはずだ。
センチネルとして覚醒したなら、永心も気がついてはいるだろう。これから先、その感情を認められるかどうかで全てが決まる。野本が永心の心を溶かしてくれることを願うしかなかった。
「最初に伝えなくてはならないことは、池内大気は私の愛した人だということだ。そして、私が愛した人は元々女性だった。お前たちもそれは知っているだろう? 事件の時に聞いたはずだ」
一瞬、重苦しい空気がその場を支配した。晴翔さんと翼さんがグッと歯を食いしばったのがわかった。
野明未散として生まれた池内大気は、晩年また女性として生きていた。その姿を二人とも思い出していたようだった。晴翔さんの背中を、澪斗さんがそっと支えたのが目に入った。そして、翔平が翼さんの手を握ってあげていた。それに支えられた二人は、お互いに手を握り合うと、顔を照史おじさんの方へ向けて、スッと背筋を伸ばしていった。
「すみません、大丈夫です。続けてください」
照史おじさんは、その晴翔さんの姿を見て、また目を細めた。研究しかしていなかった晴翔さんは、ずっと他人に興味を抱かなかった。その彼を変えた晶さんの存在に照史おじさんがとても感謝していたことは、実は結構知られていた。この間、ケイさんが俺に教えてくれた。身近な人物ほど、そのことを知らなかっただけだったらしい。
「うちの店、たまに軽食のケータリング頼まれてたんだけど、その紹介が永心議員の秘書だって言われる事が結構あったのよ。澪斗さんは晶のことは知らなかったみたいだったから、照史さんが澪斗さんに店を教えて支援するように頼んでたんでしょうね」
晶さんの店は、一時期売り上げが落ちてしまい、結構困っていたのだそうだ。晶さんは、VDSの仕事に参加し過ぎていて味覚が狂ってしまい、調理ができなくなっていた時があった。本来なら俺がしなければならないサポートを、照史おじさんがしていてくれたらしいのだ。
「息子の幼馴染を助けたら、その対象が息子の恋人の店だったという偶然があったね」
先日お礼を伝えたところ、そう言われた。晶さんが何者なのかを知った上で、ずっとその支援を続けていたようだった。晴翔さんもそのことは知っていたらしい。それを知ってから、父親の見方が変わったと言っていた。晴翔さんが照史おじさんへ返す視線には、淡い山吹色のキラキラした光が纏われていた。あれは、相手に好意がないと出ない色だ。
「ああ。……二人ともいいパートナーに恵まれたようだ。唯一無二という感じがするだろう? 私にとっては、未散がそうだった。どうしても失いたくなくて、それでも他の人と結婚しなくてはならない立場にいた自分の人生が心底嫌になった時期があった。私たちは死ぬか、駆け落ちするかというところまで追い込まれていた。その時、父から提案されたんだ。『未散を池内に入れたらどうか』と」
池内に入れるということは、永心家の愛人になるということを意味する。
元は数代前の家長が男色であったため、相手を大切にしたくて敷地内に住まわせたのが始まりだとは言われていた。
ただ、今は違う。
永心の人間が、責任は取りたくないけれど手放すには惜しい相手を、養子にして縛り付けているような状態だと言われている。日陰の身として生きていく事を強いられるため、時折耐え難い苦痛に見舞われる事もあるそうだ。
ただし、永心の親族として、亡くなってからも手厚い待遇を受けることが出来る。そして何よりも、池内の人間はほぼセンチネルだ。ガイドが多く生まれてくる永心家のためにペアとなって働き、死ぬまで側にいる事ができる。当事者達からすれば、いいことしかなかったそうだ。
しかし、それも相手が男性であればの話だ。
しかし、野明未散は女だった。だから、照史おじさんは駆け落ちするかと追い詰められていたのだった。
「池内に入れるのは不可能ではないのですか? と俺が問うたところ、父は可能だと言って来たんだ。そして、その方法は未散にすでに伝えてある、と。その夜、俺に未散が教えてくれた。それが、妊娠に関する機能を失えばいいという話だった。未散はそれを受け入れたいと言って来た。だが、私は反対した。そうなると、私が他の人と結婚して子を持つ人生を、未散は隣で見続けることになる。そんな残酷なことはしたく無かった」
プレートに乗っている美しく彩られた卵焼きを、フォークに刺して食べながら照史おじさんは話していた。表情だけを見ると穏やかなのだが、明らかに体温が下がっていて、わかりやすいところで言えば、小刻みに手が震えていた。修羅場を潜ってきた政治家であるにも関わらず、隠せないほどには緊張の色が濃く、不安気な空気を纏っていた。
「でも、結局は野明未散は池内大気として生まれ変わったんですよね。今言われた通り、野明の下腹部には手術痕がありました。生殖機能を失い、男性へと変わるための手術がされていたのは間違いありません。結局はその辛い生活をさせることを選んだのですか?」
晴翔さんがそう尋ねると、照史おじさんはぴたりと動きを止めた。さらに激しい緊張が彼を襲っていた。それは誰の目にも明らかなことだった。グッと拳を握り締め、テーブルを見つめたまま口を開くまいとしていた。張り詰めた緊張の糸は全員をがんじがらめにしていく。誰もその糸を切ることが出来ず、ただそのまま待つことしか出来なかった。
その時、ほんの少しだけ照史おじさんの周りにキラキラとした空間の歪みが現れた。それはまるで、南極の空に輝くオーロラのカーテンのようなものだった。はじめに俺がそれに気がつき、その姿に気がついた翔平がその方向を凝視していた。そして、ガタッと立ち上がるとその場にいる全員の心臓が止まりそうなほど大きな声を上げた。
「あっ!」
それまでの静寂に対してあまりにも突然の大声だったため、センチネル以外はみんな「なんだよ急に! 心臓止まるだろ!」と抗議の声を上げていた。センチネルは翔平が大声を上げそうなのが肋骨の動きでわかっていたので、少し身構えていたのでなんとか大丈夫だった。
「あれ! 父さんが捕まった時にいた鳥です! なんだっけ!?」
そう言って、照史おじさんの方を指さしていた。
「ちょっと、翔平! 人を指差すんじゃねーぞ!」
翼さんがそう言って、翔平の手を下ろした時だった。
「鳳凰だ。それに……」
照史おじさんの後ろに、オレンジ色に輝く鳳凰の番と、池内大気が立っていた。池内は照史おじさんの背中にそっと手を触れた。その時何かを感じたのだろう。目をハッと見開いて、とても幸せそうに微笑んだ。
「おじさん、後ろに池内と鳳凰の番がいます。翔平には池内は見えないみたいです。でも、俺は池内を知っていますから。思念が見えるみたいです。あなたの背中に手を当てて、微笑んでいます。背中、温かいんでしょう?」
池内はこれまで見たこともないくらいに、明るい笑顔で微笑んでいた。おそらく、俺たちには見せない顔だったのだろう。今のあの顔を、照史おじさんに見せることが出来たらいいのにと心底思った。
「そうか、未散はいるのか。もう私には見えないからな……鳳凰も去った。能力的にはほぼミュートと変わらないからな」
池内は、俺の方を見るとニコッと笑いかけてきた。そして、口を動かして何かを伝えようとしていた。
『一緒にいます、と伝えてください』
そして、おじさんの隣に座った。
「一緒にいますと伝えてください、と言っています。そして、そちらの席に座ってます。鳳凰の番も一緒にいます」
俺がそれを伝えると、「そうか。いてくれるのか」と言って、その椅子の背もたれにそっと触れていた。そして、晴翔さんの方へ向き直ると、ハーッと一息吐いて話し始めた。
「俺と未散は、自分たちの子供を持つことにしたんだ。そうすれば、俺が誰と結婚しても、俺たちには子供がいる。そこで繋がっていられるからという決断をした。未散が大学を卒業してすぐ、性転換手術を受ける前に妊娠した。神様はいるんだなと二人で喜んだよ」
「でも、野明未散は23歳で亡くなったことになっていますよね。その時の子供がいるとしたら、今35歳くらいですか? 一度も父さんに会いに来なかったんですか? 僕ですらそういう話は聞いたことがありませんけれど」
澪斗さんが照史おじさんにそう訊いたところ、晴翔さんの表情が曇った。眉間に拳を押し付けて、何かひどく考え込んでいた。その姿は、何かの可能性を考えているというよりは、自分の推測が当たっているのだろうという絶望感に近いように見えた。二人が望んだ子供を産むということが絶望につながるとしたら、それは一体どういうことだろうか。
「そこが、一番の秘密だったんだ。それを俺たち三人以外に知る者は、協力してくれたあと二人だけだ。一人は産婦人科医、その人は生殖医療の専門家。そして、もう一人は多英だ」
「母さんが父さんとその子供が会いに行くのを、俺たちにも隠してくれていたということですか?」
「いや、そういう話では無い。そもそも、俺は子供に会うために隠れる必要がなかった。いつでも会うことが出来たからだ」
「どういうことですか? 身近だということですか?」
「そうだ。いつも一緒にいたからな」
ガタン、と音がした。椅子を蹴飛ばす勢いで、晴翔さんが立ち上がった。そして、青ざめた顔で照史おじさんを見ていた。ただ、その表情は、責めているわけでも怒っている訳でもなく、悲しみや同情を含んだ絶望だった。晴翔さんは、興奮しかけている自分を必死に抑えようとしていた。張り上げてしまいそうな声を、可能な限り小さく抑えようとして意識をそこに集中させていた。
「つまり、それは、母さんが……代理母だったということですね? 野明が23の時の子なら、今年齢は35のはずです。でもその年齢の子供はいない。つまり、受精卵を凍結保存して、母さんに産んでもらったということですよね」
一瞬、空気が凍るのがわかった。澪斗さんと晴翔さん以外の人間が、一斉に照史おじさんに視線を向けたのがわかった。澪斗さんの目は、遠くを見たまま物思いに耽っているようだった。晴翔さんは、自分で調べがついていたのだろう。永心は家を離れていたから、本当に何も知らない。今初めて、母親だと思っていた人がそうではなかったという事実にぶつかった。
「ほ……本当ですか? 父さん。え? じゃあ、和人くんだけじゃなくて、四人とも父さんと野明未散の子供なんですか?」
照史おじさんは、隣の椅子の座面にそっと手を触れながら、永心をじっと見つめていた。そして、ゆっくりと顎を引いて、それを肯定した。ショックを受けた永心は、「そんな……」と言ったままテーブルに突っ伏してしまった。野本は永心の背中にそっと手を当てて、気遣った。
そう簡単には受け入れられない話だ。「嫌味な野郎」だと思っていた教育係が、自分の母親だったのだから。そして、ずっと自分への愛が薄いと思い悩んでいた人が、実は母親では無かったのだから。これまでの人生のほとんどのことを後悔することになるだろう。俺は、永心が気の毒でならなかった。
そして、俺は永心に多少罪悪感を感じていた。実は昔一度だけその可能性を疑ったことがあったからだ。
センチネルの能力が強まっていた小学生の頃の話だ。
池内の持つ匂いと永心が持つ匂いに、共通点があることに気がついた。ただその頃は永心が親子関係に悩んでいたので、深く詮索しないことにした。存在を否定して泣く永心を、それ以上傷つけたく無かったからだった。
——おじさんの匂いが池内に映っているのだろう。永心もきっとそうなんだろう。
そう思って、それ以上考えないことにしていた。
あの時そのことに気がついていたとしても、それはそれで永心を傷つけていただろう。俺はそう思うことにして、自分の後悔を収めたかった。それに、もう一つ確認しなければならないことがある。それは、澪斗さんのことだ。
「おじさん、部外者がすみません。でも、この空気だと本人からは訊きづらいかなと思って……代理母出産だったのなら、年齢が合わないのはわかります。でもそれは、23歳の頃より後であれば可能だという話ですよね。そうなると、澪斗さんはどうなるんですか? 澪斗さんは、当時3歳だったはずです。多英おばさんが産んだことに変わりは無いんだと思いますけれど……」
照史おじさんは、少し困った顔をして笑っていた。そして、澪斗さんの方を向くと、じっとその顔を見つめていた。澪斗さんは、儚い雰囲気が池内に似ている。同じ仕事をしているからなのかと思っていたのだが、親子だから似ていたのだろう。そうなると、疑問はやはり妊娠したタイミングだった。
「澪斗は、それよりも早い段階で凍結保存していた受精卵を、結婚してすぐに多英に代理母出産してもらった。だから、四人とも状況は一緒だ。ただ、最初の凍結の時は保険のつもりだった。いつか必ず未散と結婚しようと思っていたから、未散自身に産んでもらうつもりだったんだ」
澪斗さんは、じっと照史おじさんを見つめていた。ほんの少しだけ、頬が紅潮していた。感情が昂るのを、静かに抑え込んでいる。
「23の時の凍結は、多英と結婚することがほぼ決まっていて、未散は性別を変えることが決まっていた。そうなると、もう二度と採卵出来なくなる。必ずやらなければならなかったんだ。三人男の子が生まれるまで、子供を作れと言われていたから、それが可能になるように手を尽くした。それが、全員未散の子供だという意味だ」
照史おじさんの声が止まると、しんと静寂が戻った。そのすぐ後に、パタっと音がした。音の方を見ると、澪斗さんが手を組んで俯いていた。そして、その手の下のテーブルクロスに、パタパタと音を立てて涙が落ちていた。ぎゅっと目を瞑り、嗚咽を堪えている姿を見て、驚いていたのは照史おじさんだった。
「お前、気がついていたんじゃ無かったのか。未散が母親かも知れないということ……」
その言葉を聞いて、澪斗さんは被りを振っていた。組んだ手をぶるぶると震わせて、瞑った目にますます力を入れていく。何か話そうとしているのに言葉にならず、ただ子供のように泣き続けていた。
しばらく、澪斗さんの嗚咽だけがその場に響き渡っていた。何かを話そうとしているので、誰かが言葉をかける事も出来ず、ただ彼が話し始めるのを待つしか無かった。
そうするうちに、ヒクヒクと痙攣するように泣いていた澪斗さんが、自分を取り戻したように落ち着き始めた。ガイドの澪斗さんは、精神鍛錬を積んでいる。ここが家族会議の場でなければ、こんな姿は見せないだろう。そして、自分を取り戻してしまえば落ち着くのは簡単だった。
「僕っ……だけ、母が違うのかと……ずっと、晴翔と、咲人が……二人が可愛かったので……僕だけ他人だったらどうしようかと……」
永心の家は、ずっと冷たい印象だった。この家に生まれた長男は、家を継ぐという呪いからまだ逃れることが出来ていない。照史おじさんも澪斗さんもそうで、大切なものがあったとしても、それが家のためにならなければ、次々と奪われてきたと聞いたことがある。それを耐えてきたのは、兄弟がいたからだと澪斗さんはいつも言っていた。
俺がこの家に遊びに通っていたのも、澪斗さんと晴翔さんが俺と遊んでくれていたからだ。二人は、弟の友達である俺のことも大切にしてくれていた。永心は気分屋で、呼びつけておいて急にどこかに行ってしまう事もあった。そんな時は、いつも二人が俺の相手をしてくれていた。
そして、永心の家が明るくなる時は、いつも澪斗さんが笑っていた。ずっとこの家に明るさを保っていたのは、澪斗さんだった。
「僕は家族がとても大切です。だから自分だけ違っていたらと思うと、怖くて仕方がありませんでした。良かった、みんな一緒なら怖いことはもうありません」
そう言って、さめざめ泣いている澪斗さんを、晴翔さんがぎゅっと抱きしめた。そして、二人の背中にしがみついて、永心が泣いていた。
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