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第6話 クラヴィーア

 その時、ふと気がついた。照史おじさんが子供を可愛いと思っていることは、間違いない。それならば、隠し続けていたことを明かすことで、永心が過去の行いを悔いてしまうことだって想像出来たはずだ。  取り返すことの出来ない時間を悔いることほど辛いことはない。それなのに、これほど長く黙っていたことには、どうしても納得がいかなかった。  俺は、意を決してもう一度だけ口を挟むことにした。 「照史おじさん。四人ともおじさんと野明の子供であるなら、どうして黙っていたんですか? みんな親が同じなら、子供には話していても良かったのでは無いですか?」  誰か一人でも状況が違うのであれば、その人の事を守るためにも隠す意味はあるのかも知れない。ただ、この件は少なくとも三人は同じ条件だったわけだから、隠す方がリスクがある。  実際、永心は愛人ばかり構う父親に嫌気がさして、13歳で家を出た。そしてそんなふうにするしか無かった家を恨んで、ずっと連絡を取らなかったのだ。でも本当のところは、愛し合う者同士が仲睦まじく暮らしていただけだったという事になる。しかも被害者だと思っていた多英おばさんも協力者だった。それなら、子供には話しておいた方が良かっただろう。  その上で、隠す理由はなんだろうか。 「そうだな。ある程度大きくなってから話す事は可能だったかも知れない。それでも、実は母親が違う人で、しかも男になっているという事実を受け入れることは可能だろうか? それに、池内がインフィニティであったことで、もしバレると事件に巻き込まれる危険性があった。だから隠し続けることにしたんだ。それと、この関係性は当事者にとっては自然であっても、部外者から見れば異常だ。その事実をお前たちに背負わせたく無かった。それなら、大人が悪人になろうということになったんだよ。父親が不倫していてギクシャクした家だと言うのはありふれたものとして捉えてもらえるからね。それと……多英自身にも一つ秘密があって、それを隠すためでもあった」 「秘密? 母さんの秘密ですか? でも、もう亡くなって何年も経ってるのに……」  そこまで言った永心が、口をつぐんでしまった。そして、三人で顔を見合わせた。何か三人とも思い当たる節があったようだ。それを澪斗さんが口にしようとしたところ、それまで黙っていた和人くんが割って入ってきた。 「多英さん……って、もしかして僕が7歳になるまで時々会いにきてくれていたおばさんですか?」 「「「えっ?」」」  三人揃って勢いよく和人くんの方を向き直って、そのまま身を乗り出した。澪斗さんに至っては、テーブルに体を乗せそうな勢いだったため、翼さんから嗜められていた。 「僕は去年までアメリカで日本の小学校から高校にあたる一貫校にいました。でも、7歳までは日本人の女性に育てられていて、そこに会いにきてくれていた日本人がいました。そのおばさんの名前が確か多英さんでした。僕の育ての親が日本に帰らないといけなくなって、寮のある小学校に入ったので、それ以来会っていないです。でも、確かまだ生きているはずですよ。育ての親と一緒に暮らしているはずです。僕、あの人に産んでもらっていたんですね。全然知らなかった……」 「母さんが、生きてる……? 本当に?」  永心兄弟は、絶句してしまった。母だと思っていた人が、母では無かった。実の母は、ずっと近くにいた人だった。その人が人を殺めそうになって自殺した半年後に母で合った事を知り、そして、死んだと思っていた母だと思っていた人は、実は生きていた。  部外者の俺でさえ、話がややこしくて信じがたくて、困惑していた。ふと見ると、三人の体の周りを困惑の煙のような物体がぐるぐる回っていた。それでも、それは真っ黒ではない。どこか安心した気持ちが含まれているようだった。ほんのりと暖色の光が混ざっていた。 「和人、申し訳ないがそのくらいにしてやってくれ。実は今調べていることがあって、多英がどこで誰と暮らしているのかは、まだあまり知られない方がいいんだ。時期が来たら、私から話そう」  照史おじさんは、そう言って和人くんに微笑んだ。和人くんは返答に困ったようで、不安気な顔をして晴翔さんの方を見ていた。晴翔さんは和人くんに向かって優しく微笑むと、わずかに顎を引いた。その表情にはとても包容力があって、これまで俺が見てきた晴翔さんとはまるで別人のようだった。 「父さんの希望を聞いてあげてくれ。心配しなくていいから」  それを聞いてやや安心したようで「はい、わかりました」と言うと、笑顔をみせた。しかし、ふと何かを思い出したようで「あ」と口を開きかけたのだが、発言していいのかどうか迷いがあるようで、そわそわと落ち着きを無くしたようにしていた。チラリと照史おじさんの顔を覗いては、晴翔さんの顔を見ていたのだが、決心がつかないようで顔を真っ赤にしながら口をもごもごと動かしていた。 「和人くん、なんかあんの? その、多英さんやその周りのこと以外なら言ってもいいんじゃないか? それを確認して話してしまえよ。溜め込んでおくの気持ちわりーだろ?」  翼さんが和人くんに向かって言葉をかけると、和人くんはパッと顔をあげて花が咲いたように笑った。一緒に暮らし始めて日が浅いのだが、よほど晶さんから翼さんの事を好意的に紹介されていたようで、和人くんの翼さんへの信頼の厚さはかなりのものだ。こくこくと首がもげそうなほど頷くと、照史おじさんに向かって問いかけた。 「あの、僕、日本に来て恋人が出来ました。その人はセンチネルなんですけど、結構頻繁にケアが必要になります。もしそれがセンチネルの特性なんだとしたら、多英さんはケアはどうしていたんですか? おじさ……お、お父さんは多英さんのペアじゃ無かったんでしょう?」  俺もそれは気になっていた。そもそも、多英さんは永心家に嫁いできたセンチネルだ。それはつまり、家長である照史おじさんのペアとしてミッションをこなしていたという事になる。その時のケアはどうしていたのだろうか。永心家にはガイドはたくさんいる。それでも、多英さんが照史おじさんのケアを受けていなかったと知れたら大問題だろうから、家の者には頼んでいなかったはずだ。 「その答えは、これだ」  照史おじさんは、徐にポケットから小さなビニール製の袋を取り出した。その中には、白くて丸い錠剤が入っていた。数錠がアルミケースに封入された状態で入っている。直径5ミリほどのその錠剤の表面には、ClViaと印刷されていた。 「え!?」  晴翔さんはその印字を確認すると、手を伸ばして袋を奪い取るように受け取った。そして改めてしっかりと表記を確認すると、照史おじさんに詰め寄った。 「父さん! どうしてこれを父さんが持っているんですか? これはまだ開発段階の薬のはずです。外部への持ち出しは……」  そこまで言った後に、はっと我に返った。「そう言うことですか……」そう呟くと、和人くんの方を見て説明し始めた。照史おじさんは、まるで何かを悟ったような目をして、じっと遠くを見ていた。その手は、池内が座っている椅子の座面に乗せられたままだった。 「これは、うちのセンターで開発中のセンチネル向けの抑制剤だ。クラヴィーアって言って、ゾーンに入りかけてしまって、もうマメントやフィルコでも対処しきれない場合に飲む強い薬なんだ。能力を均してバランスをとるために作られてる。ただ、本当に強いから安全性を高めるために、長い期間のデータを取ることにしてあるらしい。何度も改良されてきて、今この形になったものだ」  そう言って、手元にある錠剤を改めてまじまじと見つめた。ここにあることが本当に信じられないようで、何度も印刷面を確認しては首を捻っていた。 「これ、確か俺が生まれる前から開発が進められているもなんです。もしかして、母さんはこれの初期段階からの被験者なんですか? これの製造元は、白崎製薬です。そこは母さんの実家ですよね?」  照史おじさんは、「そうだ」と呟くと席を立ち、窓際へと歩いて行った。おじさんが立ち上がると、池内と番の鳳凰も一緒について行った。窓辺に立つおじさんの後ろに、池内も立つ。少し日が高くなった窓際では、明るい日差しが差し込み始めていた。その中に、背の高い照史おじさんと、金色とオレンジに輝く池内の姿が見えた。ただ、その姿は最初に見た時よりもやや薄れているように思えた。照史おじさんは、右手の薬指にはめているシルバーとホワイトの有機体のリングを、指で擦って微笑んだ。 「先ほども言ったが、多英には一つ秘密がある。私と結婚したのは、同情や献身では無く利害の一致なんだ。それも家同士の様な話ではなく、俺と多英と未散の個人的な利害が一致した。その時唯一問題となったのが、ケアをする相手をどうするかと言うことだった。それを解決するために、抑制剤の開発に踏み切ったんだよ。大きなリスクを抱えても叶えたい望みが。多英にはあったんだ」 「母さんの望み……」  澪斗さんが小さく呟いた。澪斗さんには、兄弟の中で唯一、多英おばさんと野明未散の二人がいた頃の記憶が残っている。そして、多英おばさんにあまり悪い気持ちを抱いていない。それは晴翔さんもそうだった。おそらくその理由は、二人がガイドだったからだろう。多英さんに特定のパートナーがいなかったことを考えると、小さなケアは子供との親子愛で解決していたと考えられる。  そう考えると、永心が多英さんとの思い出が薄いと嘆いていたのも理解できる気がした。センチネル同士で接触した場合、相手の負のエネルギーの影響を受ける可能性があるからだ。恐らく、本当は二人とも永心にもたくさん触れてあげたかったのだろう。俺の目には、多英さんも優しい人で、永心に向けていた視線の中には、オレンジ色の光を含んでいるように見えていたからだ。 「多英の望みが何なのかは、俺の口から話す事はできない。和人が言うように、多英は生きている。そして、おそらく近いうちに、晴翔、お前とは顔を合わせる事になるだろう。その薬の開発も、責任者はお前だろう? 完成後の発表の際には、功労者として多英は表に出てくるだろう。その時、本人の口から聞いてもらえると助かるよ。そう言う約束をしているから」 「表に出てくるんですか? でも、亡くなった事になっていますよね。別人になっていると言う事ですか?」 「そうだ。まあ、会えばわかるだろう。……いや、言っておかないと騒ぐかも知れないな。それはそれで困るのか……」  すると、二人の会話に永心が割って入った。心はついていけていないようだが、思考は整理がついているようだ。冷静な目をしたまま、貰ったばかりのカプチーノを口にしながら淡々と話し始めた。不安のエネルギーが時折揺らいで出て来てはいるが、俺は敢えてそれには気がつかないフリをしておく事にした。 「いや、想像つきます。多分、野明未散になっているんでしょう? 野明は元々孤児でしたよね。親類がいない人間の方が、戸籍を誤魔化しやすいでしょうから。……言ってて具合が悪くなりそうですけれど」  警察にいれば、時折そういう非合法な話を耳にすることもあるのだろう。綺麗事だけでやっていけるほど、この家の人間の住んでいる世界はいいものじゃない。できればそう言う話は子供の前ではしないで欲しかったが、関係者である以上和人くんには聞いてもらわねばならなかった。ただ、翔平と鉄平を連れてきたのは間違いだったかも知れないなと、俺は少々後悔し始めていた。 「他の人の子供を四人も産んで、その子達を育てて、死んだ事にして違う人間として生きている……よほどの覚悟があったんでしょうね。俺は母さんとはあまり触れ合った思い出はありませんが、精神的に強い人だと言うことはわかりました。センチネルだけど、辛そうにしているのをあまり見たことがありませんでしたから。それで、今も母さんが野明になりすましていることを知られていないと言うことは、おそらく顔も野明の顔にしてあるんでしょう? それとも、池内ですか?」 「未散は死亡した事にはしなかったのでね。行方不明だった未散が見つかった事にしてある。だから、多英の見た目は野明未散だ。髪型と服装は元々の多英と同じだから、未散が生きていた頃に鉢合わせても問題はなかった。未散自身が気が付かなかったくらいだからな」 「ああ、そうですよね。あの手紙、見せていただきましたから……」  それは、野明未散が飛び降りた際、照史おじさんに残していた遺書の話だ。多英おばさんが亡くなったと書いてあった。野明は多英おばさんは亡くなったと思ったままだったようだ。もしどこかであった時に、自分にそっくりな人が多英おばさんだと気がついていたら、あの遺書の内容にはならなかっただろう。 「それにしても……最初から野明と結婚していれば、こんなにややこしい問題は起きなかったわけですよね。拓史(タクジ)さんの頭の硬さが招いた事で、こんなに多くの人間が傷ついたり苦労したりして。立場や血筋ではなく、実力で動く世の中になってほしいですよ、本当に」  蒼が力強く言い放った。それまでずっと堪えていたのだろう。蒼はずっと永心拓史に怒っている。  永心の祖父である拓史氏は、池内家の人間を執事にして家に置いていた。その人はセンチネルだったのだが、能力が使い果たされるまで働かされた挙句、ゾーンアウト仕掛けたところを放置されていて、そのまま亡くなっている。拓史氏がその池内氏を置いてきた理由が、別の愛人と会う予定があったからだと言うことで、世間に最も嫌われている政治家として有名だ。   「そうだな……でも、私が父を説得できず、未散があの提案を受け入れてしまったこともいけなかった。責任は私たち二人にあるよ。多英ももう一人も、いくらメリットがあるとはいえ、かなりの苦痛を強いられているのに協力してくれただけだ。責めるなら、私にしておいてくれ」  そういうと、照史おじさんは子供たちの前まで戻ってきた。その後ろには、もう池内の姿は見えなくなっていた。番の鳳凰もいつの間にか消えていた。 「澪斗、晴翔、咲人、和人。謝ってすむ事では無いのは重々承知している。これは、俺の自己満足のための謝罪だ。本当に、すまなかった」  腰が直角になるまでの最敬礼をして、おじさんは謝罪した。子供達は、父のその姿を見つめながら、呆然としていた。許すと言うのも何か違うのだろう。怒る気も起きないと言った顔をしていた。 「何か……悪いことをしたのですか? 父さんは結局、愛した人を大切にしただけなんですよね。できる限りのことをした。確かに僕たちは翻弄されたと思います。それでも、今はパートナーに恵まれて、あなたの言いたいこともよくわかります。もう、いいのでは無いですか? 兄さん、咲人、和人はどう?」  珍しく晴翔さんが中心に入って話している。確かに、この状況だと晴翔さんが中心にいるのが自然だった。これまでの晴翔さんの人生を考えると信じられないが、これからはこうやって人を引っ張っていくのだろうなと思わせるほどに威厳があった。 「恥ずかしながら、僕にはパートナーはいませんから、まだその気持ちはわかりません。でも、息子として父さんを責める気はありません。ずっと近くにいましたから。池内の次に父さんを理解しているのは、僕だと言いきれます。謝罪なんて、今更ですよ」  澪斗さんはそう言って微笑んだ。その姿は、ついさっき消えていった池内に本当によく似ていた。俺に伝言を頼んだ時の微笑みに、信じられないくらいに似ていた。 「俺は、父さんと母さんは俺を必要としていないんだとずっと思っていました。でも、俺に冷たかったのは俺がセンチネルに生まれてきたからで、強くなってほしいんだろうって鍵崎に言われたんです。小さい頃、お前は愛されていたよと。母さんからも、池内からもそうだと言われました。だとしたら、それを素直に受け取れなかった自分の気の短さが悔やまれます。それだけです」 「お前は、いきなりいなくなってしまったからなあ。俺は本当に悲しかったよ。でも、これから先のことを考えると、早めに自立してもらった方がいいかも知れないなと言う事になってな。会いにいくのを我慢したんだよ。それも悪かったんだろうな。すまなかった」 「そうだったんですね……本当に、俺は、もう……バカだったんだなあ」  そう言ってポロポロと涙をこぼした永心を、家族が愛おしそうに見つめていた。照史おじさんは、一人ずつぎゅっとハグをした。そして、四人に向かって宣言した。 「今日、最も伝えたかったことは、これなんだ。これからの永心家は、継げる者が継ぐ。無理な世襲はしない。親戚で無理であれば、無理に続けることもしない。だから、お前たちは自分の愛する人と家庭を持つんだ。もう二度と、俺たちのような思いをする者を生み出さないように」  永心の子供達は、皆涙を流しながら「はい」と返事をした。澪斗さんは仕事のし過ぎでパートナーが探せず、そのことを気にしていた。家を継ぐプレッシャーから解放されたからだろうか、号泣に近い泣き方をしていて、弟たちは必死にそれを宥めていた。和人くんもそこに入っていて、「これからみんなで頑張って生きていこうな」と話していると、照史おじさんの指輪がパキンと音を立てて割れた。 「あっ!」  シルバーのリングに挟まれた白い部分が、粉々になって雲散してしまった。繋ぎ目を失ったリング部分は、二つに分かれて床へ落ちた。カツーンという乾いた音と共に、二手に分かれて転がり、どこかへと消えていった。 「未散は待っていてくれているそうだ。それまで、頑張って生きていくから、思い出に浸りすぎるのもよく無いのだろうな」 「そうは言っても、マメントは必要ですよ。まだ遺骨あるはずですから、もう一度作っておきましょう」  そう言って、今度はどんなものにするかという話し合いが始まった。その姿は、大きな問題を乗り越えた一つの仲間のようにも見えた。  ただ、俺は見落としてしまっていた。この時の和人くんを、もっと真剣に見ておいてやるべきだったのだ。これから先、大変な問題に巻き込まれていく彼を、もっと早くに救ってあげられたのかも知れない。そう考える日々が来ようとは、この時は思いもしなかった。

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