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第7話 タワーの危機

 家族会議を終えて一息つこうとしていると、ふと庭先の木が目に入った。それをじっと眺めていると、照史おじさんが隣に立って教えてくれた。 「あれが未散と約束した梧桐だよ。ずっとあの場所から私のことを見守っていると言ってくれた。だから安心して暮らしてくれと。そう遺書に書いてあったんだ。決して後は追うなと。あの木の下に樹木葬してあるんだよ。池内の墓には入らないと決めていたみたいなんだ」 「そうなんですか。じゃあ、あの木に手を合わせて来てもいいですか?」 「ああ、そうしてあげてくれ。君なら、何か分かち合えるかもしれないからね」  そう言って、照史おじさんは苦しそうな笑顔を見せた。そして、小さな塗香入れを差し出した。 「(しきみ)の香りは平気かな? 少しだけ、近くに撒いてあげてくれ。未散はこの香りが好きなんだ。今はこの木が未散の体のようなものだから、この木の周りに巻いてくれたらきっと喜ぶよ」  俺は、コクリと頷いてそれを受け取った。そして、「ちょっと付き合ってよ」と蒼に声をかけて庭に出ると、憧れのインフィニティの眠る場所に手を合わせることにした。 「梧桐って普通の木なんだな。結構どこでも見るよな、これ」  俺は、蒼と繋いだ手と反対の手を、梧桐の木の肌にそっと触れてみた。池内がインフィニティとなった日に、照史おじさんと二人で植えたというその木は、東を向いてすくっと立っていた。燦々と陽の光を浴び、真っ直ぐに空を目指しているその姿は、晩年の池内とは正反対のようだと俺は思ってしまった。  隠れていたと言うわけではないのだろうけれど、陽の当たる生活とは程遠い日々だっただろう。永心の家からは離されて、ずっと一人で暮らしていたらしい。  時折照史おじさんが訪ねてくる以外はほぼ一人で過ごしていて、寂しくなって外出しては人に疎まれてばかりの生活をしていたようだった。  俺が永心家で顔を合わせていたインフィニティは、とても美しく颯爽と歩くいわゆる美男子で、仕事も出来てしっかりと自分の足で立っているようなキリッとした人だった。  永心が池内の悪口を言うのを聞いて慰めている時でさえ、その内容を俄かには信じられないほどに、心酔しきっていた時期もあったほどだ。それほど、当時の池内は人を惹きつける力が強かった。 「インフィニティ、ここに眠っているのか」  俺は、照史おじさんに言われた通りに、樒の塗香を少量取り出した。そして自分の手のひらや口、体に塗る。それから残りを梧桐の周りにふわりと撒いた。蒼も同じようにして、二人でその木に向かって手を合わせた。  梧桐は鳳凰が羽を休める木だと言われている。池内と照史おじさんのスピリットアニマルは鳳凰だったから、二人が羽を休める場所としてこの木を選んだと言うことだろう。  池内は、その出生の秘密を守るためにも実母ということを明かすことができず、だんだんそれに苦しむようになって行ったらしい。悩みに悩んで出した精神防衛論が、子供に冷たくするということだったようだ。そうやって必死に心の平静を保っていた。  仕事でも家にいても精神が休まらない日々を過ごしていたなんて、センチネルにとっては地獄でしかない。何度聞かされても、永心家全員が被害者であるような、悲しい話だった。 「大垣さんを死なせたことは許されることではないけれど、池内だってもっと幸せに生きても良かったはずだよね。なんかすごく嫌だったんだよ。おじさん、なんで家を出なかったんだろう。妹さんだっているのにさ……別におじさんが継がなくても良かったんじゃ無いの?」 「純香おばさんのこと? でも純香おばさんは白崎製薬の社長夫人だからな。社長の正明さんが政治家になるのは、どう考えても無理だっただろうし。身動き取れなかったんじゃないの?」 「まあ、そう簡単な決断じゃなかっただろうからね。でもなあ、俺はショックだろうな。自分が母親だと思ってた人が、実は母親じゃなかったとかね。それにすごく嫌いだった人が、実は本当の母親だったとかいうことを、今になって知るなんてさ……かと言ってずっと知らずに生きていくのも、きっと不可能だろうしね」 「そうか。まあ、俺はその辺はわかんねえからなあ。永心が愚痴って来たら、お前が聞いてあげてくれよ。俺も聞くけどね。野本もいるけど」  二人で木に手を当てて、じっとその温度を感じていた。「四人を見守ってあげてくださいね」と小さく蒼が呟いているのが聞こえた。献身的に想いを貫いた池内の事が、多少自分と重なるのかもしれない。蒼も止めないと自分の事は二の次にして、俺のためにどんどん突き進んでいくところがある。    俺は蒼の背中に手を当てた。こうすれば、言葉にしなくても俺の思いは伝わる。ふっと蒼が微笑むのが見えた。 「よし、帰ろうか」  蒼が笑顔で「おお」と返事をするのを確認して、その唇を啄んだ。そして、少しだけ高い位置にある綺麗な黒い瞳を覗き込んで、ノーズキスをした。スリスリと鼻先を合わせ、お互いに気持ちを前向きにさせようとしていた。  少し気持ちがアガってきたところへ、俺たちのイチャイチャを邪魔する天才が、警察ペアを伴ってやって来た。 「翠! 蒼! ちょっといいか? あ、仕事の話だから、社長か」 「……またお前かよ。本当、お前は俺たちの邪魔するのに関しては天才的だな。んで、仕事? 何か急ぎの話があったか?」  田崎がスマホを確認しながらやって来た。田崎がパートナー代理としてついていた和人くんは、もう既に翼さん達と家に帰っていた。そのため、田崎もここでの仕事は終了したことになる。このまま俺たちと一緒に会社に戻り、午後は通常業務をこなす予定だ。  野本と永心は今日は出勤だったのだが、朝の話が長引いたため午前休をとったらしい。出勤まで多少余裕があるのか、田崎の後ろにコーヒーを持って控えていた。 「お、永心またコーヒーくれんの? サンキュー」 「おう。カフェオレとブラックな。疲れただろうから、カフェオレは激甘だぞ」 「おーサンキュー」と言いながらカフェオレを受け取り、ブラックを蒼に渡した。蒼はとても嬉しそうにそれを受け取ると、「サンキュー」と言いながら、俺の頬にキスをした。そして、お約束のように野本がそれを見て真っ赤になっていた。 「お前、今のは完全に野本を揶揄っただろう?」そう言って俺が笑うと、「違うよ、翠を楽しませたかったんだよ」と返してきた。そんな俺たちを見て、永心が呆れたように口を挟んだ。 「あー、お楽しみのところ申し訳ないんだけど、よくないお知らせがあんのよ。外で話すわけにいかないから、午後からVDSの会議室で話せるか?」 「五人だけでいいんだよな? 田崎、たの……」 「会議室、抑えました」 「おお、はやっ。サンキュー」 「あ、野本です。先ほどの件ですが、VDSで報告、依頼しますので。現場へ顔を出した後、午後はVDSへ直行します。はい」 「ん? 依頼かかるような話ってこと?」  五人で口々に話していても、話がややこしくなる事なく、スッキリと通る。こういうところが、俺たちの付き合いの長さを物語っている。  センチネル、ガイド、ミュート。バースは異なってもお互いにリスペクトし合うからこそ、ここまでの仲になれたと思っている。そして、長い間に培ってきた友情が、いつも俺を正道へと導いてくれている。弱さに流されることなくいられるのは、仲間のおかげだ。   「この状態が理想だよね。これが当たり前になっていくように頑張らないとなあ」  蒼が伸びをしながら言うと、「そうですね」と野本が神妙に答えた。俺も蒼も田崎もその野本の反応を見て思うところはあったが、それは後で聞けばいいかと思い、その場で別れた。 ◇◇◇  昼食を終えて事務所に戻り、前日と今日の午前中の報告書を確認していた。今日は大きな案件の予定も無く、家庭教師に行っているガイドたちも問題なく戻って来ていた。午後は1件契約に来るはずの家庭があったが、予定が変わったと言うことで後日へ延期となった。  13時になってすぐ、永心から「今から向かう」とメッセージがあった。蒼がスタッフたちに頼んで、お茶とお茶菓子を1階のフロントから受け取って来てもらった。俺たちの会議の時は何を出せばいいのかを、パティシエさんは覚えてしまったらしい。それをセッティングしてくれたスタッフが退室したタイミングで、ちょうど永心と野本が入ってきた。 「おす。急に時間もらって悪いな。じゃあ、早速本題に入ってもいいか? 事件が多くて人手が足りてないんだ」 「どうぞ。こっちもその方が助かる」  野本と永心は差し出されたコーヒーと硬めで甘くないプリンを受け取ると、さっとタブレットを取り出してデータを見せた。そこには事件発生数、死亡者数、センチネルの割合が記されていた。  二年分の記録のようだったのだが、半年前を境に不自然なまでにセンチネルの死亡事故が激増していた。それも、10代後半から30代前半に集中していた。 「この半年でセンチネルの自殺が異様に増えているんだ。何も(いずれも)ゾーンアウトしてしまって、精神錯乱を起こしている。飛び降り、飛び出しがほぼ9割だ。この話は聞いたことがあるか?」  俺は蒼と田崎と顔を見合わせて、お互いに被りを振った。俺たちのところには、そう言う話は来ていなかった。  そもそも、うちにはセンチネルのスタッフが少ない。所属する時にかなり人選をしているのもあって、レベルの低いセンチネルはスタッフとしては採用していないからかもしれない。  その代わり、マメントを作成して身につけてもらいながら、レベルを上げるためのトレーニングに送り出している。  研究所で行うトレーニングを受けている間は、俺たちではなく晴翔さんたちが管理してくれている。そこからの報告は日々俺に上がってくるが、そこにもそういった記録は無かった。 「そもそも人口に対するセンチネルの割合なんてたかが知れてるだろ? それなのにこんなに死亡事故が増えてるなんて、そのうちいなくなってしまうんじゃないか?」 「自殺してしまうほどの錯乱を起こすって、急激で重度のゾーンアウトだろ? 何があったらそこまでになる? 特に10代でそんなになるほどの出来事ってなんだ? 現場に出したりはしないよな」  10代後半といえば、第2のバースが確定するか、もしくはレイタントとして保留扱いになっている時期だ。それを悲観しての自殺というのであれば、わからないでもない。実際なんの手助けもないままだと、俺だって今でも簡単に気が狂うかも知れなくて、生きて行くのはかなり面倒くさい。  例えば、俺が何重にも対策をしないと行けないような所も、田崎は何も準備せずにスッと行けたりする。情報量が極端に上下すると、脳がついていけずに一瞬フリーズしたようになってしまうこともある。ミュートやガイドは、そういったところでセンチネルに優っていると捉えてしまうことだってある。俺は正直、そういうところで手がかからずに生きていける人たちが羨ましくて仕方がない。  それでも、自分にしかできないことがあるというのは、嬉しいこともある。俺はその正の感情の部分を増やすことを目指して、この会社を立ち上げた。だからこそ、それがうまく機能しきれていないのだと知ることになる話を聞くのは、辛いところだった。 「仕方がないよ。全員は救えないんだ。俺たちはただの人間なんだから。俺たちに出来る事を、粛々と頑張ろう。」  俺の気持ちの揺れに気がついた蒼が、俺の手をキュッと握ってきた。蒼の目を見ると、ぶわっと周囲にシャボン玉のような柔らかく透明な球体が現れた。それは薄くペラペラで今にも弾け飛びそうだったが、蒼の手の温もりが伝わるにつれ、だんだん分厚く弾性に富んだ性質に変わっていった。シールドの強度が上がっていく。 「ただ、このままじゃタワー所属のセンチネルが激減してしまうのは間違いないんだ。それで、上から聞いてこいって言われてて。VDS所属のセンチネルにはそういうことは起きてないんだよな? なぜタワー所属のセンチネルだけなのかを調べないといけなくなりそうなんだ。それで……」 「潜入捜査が必要になったら、高レベルのセンチネルを派遣して欲しいってことだろ?」  俺が永心に問うと、「そうだ」といって顎を引いた。その表情は、とても険しかった。  もし潜入が必要だと判断されて、その現場に向かうことになったら、最悪死を覚悟しないといけないということだ。  大抵のことなら高レベルのセンチネルの感覚があれば、その気になれば発砲されても避けることだってできるだろう。  ただ、今回は真相が何も見えていない。    それに、一つだけ俺の耳に届いている事がある。それが、最も危険で気がかりな事だった。 「そのセンチネル達、ケア中に錯乱起こしてんだろ? つまり、ガイドのケアが効かないってことだ。それなら、ゾーンアウトした瞬間に死ぬのは確定だ。かなり危険な仕事になるだろう」  永心と野本が視線を落としたまま黙り込んでしまった。その二人の様子にただならぬものを感じたらしい蒼が、俺の方をじっと見つめていたのがわかった。その向こうから、田崎もそうしている。  この依頼を受けるということは、俺が死地に向かうということになるのと、ほぼ等しいということだ。 「翠……どうするの?」  俺は俯いて過去を思い浮かべた。    乳児院から児童養護施設を経て、小学校から高校まで、ずっと一人で過ごしてきた。永心家のみんなが俺を可愛がってはくれていたけれど、帰る家はいつも暗く、契約したガイドにケアはしてもらえても、孤独は癒える事がなかった。  そんな俺に、10年前に与えられた宝物が蒼だった。  現場で死にかけた俺を、懸命にケアして救ってくれた。  幼馴染だったけれど、顔を知っていただけで、それ以上の関係性が無かった俺たちは、その日を境に恋人になった。  それまでの俺なら、迷いなくこの依頼を断っていた。大事なのは、自分だけだったからだ。  今は蒼がいる。本来なら自分を大切にして断るべきだろう。  だが、俺はこの件は絶対に引き受ける。  俺が断れば、その次に依頼されるのは翔平だ。  翔平を死地に向かわせるわけにはいかない。 「その時は、俺が引き受ける。その可能性を考えて、なぜガイドのケアが効かなくなってしまうのかを、徹底的に分析して改善しておけ。研究所にも連絡しておくから」  いつになく、硬質で冷ややかな声で話す俺を見て、その場の全員が俺の気持ちを汲んでくれたようだった。  四人は苦しそうな顔をしながらも、コクリと頷いてくれた。 「解明するぞ、全てを。一人でも多く助けるぞ」  そう言って、一口激甘なカフェオレを飲んだ俺は、蒼を見た。その日の蒼の顔は、一生忘れられない。 「大丈夫だ。俺を信じろ」  蒼の膝にポンと手を乗せた。  そこから伝わった俺の気持ちを受けて、蒼は目に涙を溜めると、会議室から走って出ていってしまった。

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