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第14話 彼女

「君たち最近よく来るよね。付き合いたて? めちゃくちゃラブラブじゃない?」  深夜帯にカウンターに入ってきた鈴本は、灰皿を交換しながら俺たちに話しかけてきた。普段はタバコなど吸わないが、今は潜入捜査中だ。センチネル用に作られたタバコに火をつけて「ありがと」と言いながら、俺は微笑んだ。  青っぽい黒髪に染めた髪を耳にかけ、濃い化粧をした顔で鈴本を見上げる。男の娘として潜入した俺は、今は「マイ」と呼ばれている。奥歯にボイスチェンジャーを仕込んでいるため、いつもよりやや声は高めだ。 「まあねー。でも、付き合い自体はもう長いよ? ここが面白そうだって聞いたから来るようになっただけだから。ねー、コウ」  イカついお兄さんになっている蒼の今の名は「コウ」だ。コウは黒髪ドレッド。無口でいつもムスッとしている。マイが話しかけた時や、いちゃつくときはデレるタイプだという設定にしたのは、田崎だ。さすがに蒼の事をよくわかっている。ボロが出るとしたら、俺を見て浮かれた時だろうから、元々デレなのだったら問題無い。 「そっかあ。イイねえ、俺も好きな人といちゃつきたいなあー。はい、モヒートだよ」 「あー、ありがと。ここモヒートおいしくない? いつもちょっと飲みすぎちゃうんだよね」  そう言いつつ、毎回匂いを確認する。イプシロンの匂いも他の薬の匂いもしない。するのは、ミントとライムとラムの香りだけだ。それを確認しつつ、「イイ匂いー」と言いながら飲む。そして、飲んでいる間の鈴本の視線と動きをチェックしている。今のところ怪しい動きはない。コウも素知らぬふりをして、モヒートを飲む。 「ねえ、いつも同じお酒飲んでるよね。お揃いが好き?」  鈴本はニヤニヤしながら俺に耳打ちをしてきた。俺はその目をチラリと覗き見て、他意はなさそうだと判断し、「同じお酒飲んでた方が、キスしても気持ち悪くならなくてイイんだもん」と答えた。  そして、コウの方を向き、「そうだよね、コウ?」と言いつつ、蒼の首にしがみついて、唇を合わせた。蒼は俺の意図を汲み、片手でミニスカートを履いた俺の腰を引き寄せると、ぐっと引き寄せた。 「んっ、美味しい」  そのまま派手なリップ音を立てつつ、キスを続ける。俺たちの存在はここ数日で噂になりつつあって、周囲のテーブルから「きゃー、始まったよ!」とはしゃぐ声や、「うわっ、すげえな。本当なんだな、あの二人の話」という面白がる声が聞こえ始めて来た。  鈴本もその噂を耳にしていたようで、目を丸くするふりをしながら囃し立てて来る。 「わーお、本当に情熱的だね、二人。俺も好きな人とチューしたいなー!」  およそエリートと言われる人々が通う大学の生徒とは思えないような軽い発言を残して、「じゃあごゆっくりね」とバックヤードへと消えていく。俺は蒼とキスをしながら、鈴本の方へ適当に手だけを振っておいた。  頭が悪そうで軽そうなふりをしていれば、大抵の人は見落としてくれるのだろう。だが、俺はセンチネルだ。鈴本の違和感はしっかり記憶した。蒼から唇を離すと、頬におまけの一回をつけてやる。そして、そのまま耳元で「紫へお手紙だ」と伝えた。  蒼は「わかったよ」と言いながら俺の耳朶をガブリとかむ。「あん、やだー」とデカイ声で言えば、周囲の客は呆れたようなため息を漏らした。 『ベルからイプシロンと事後の匂いがした。ついさっきまで誰かと一緒にいたようだぞ』  メッセージ上の偽名とはいえ、鈴本だからベルというのも安易な気がしたのだが、ベルなら他の人だと言い張ることも出来るからということで決められた。紫とは田崎のことだ。田崎の名前「竜胆」からつけられている。それもまた安直な気がしたのだが、「白崎製薬には(ゆかり)さんという人がいる。ややこしい方がわかりにくくていいだろう?」と押し切られてしまった。  田崎にメッセージをすると、いつも爆速で返信があるのだが、今日はいつもより遅い。何かあったのだろうかと気を揉んでいると、蒼がスカートの下に手を伸ばして、内腿に手を滑らせてきた。 「んっ! なあに、どうしたの?」 「何、誰と連絡取ってるんだ?」  嫉妬しているふりをしているようだったのでその目を覗き見ると、チラッと奥の方へ視線を投げられた。そこに一人の女性スタッフがいて、何やらフライヤーらしきものを手に持ってブツブツと独り言を言っている。  そのチラシの中に、やたらと「能力」という単語が入っている。俺は心の中で次の行動を決め、蒼の手を握った。蒼はそこから俺の思考を読むと、にっこりと微笑んだ。コワモテの微笑みは、なかなかに怖いものがある。 「おねえーさん。そのフライヤー何ぃ? 何かイベントがあるの?」  ベタベタカップルとしてやや有名になりつつある俺に話しかけられたスタッフの女性は、ビクッと大きく体をこわばらせたが、コウがやや表情を緩めていることに気がつくと、そのフライヤーを俺に渡してくれた。 「これ? これね、この店の定例イベントで、月イチくらいでやってるんだけど、来る?」  離れた場所に立っていたスタッフは、俺たちのところまでやってくると、そのフライヤーを一枚置いてくれた。そのフライヤーには、パーティーの開催日時とこの店の名前、それに大きな文字の羅列が一つあった。それは異様な問いかけだった。 「君もセンチネルにならないか……? 何これぇ? センチネルって、なれるものなの?」  一瞬、あまりにも理解し難くて、鍵崎翠に戻りそうになってしまった。どういう意図でこれを書いているのだろうか……。 「なれるんだって! すごいよねえ。このパーティーに参加したら、これがもらえるんだ。どうしてもなりたかったらおいでよ。……あ、その前に、二人はミュートでいいんだよね?」 「うん。そうだよ。でも、別になりたいとは思ってないからなあ……」  この女性スタッフは俺たち二人をミュートだと思い込んでいる。そして、それには一応きちんとした根拠がある。さっきのモヒートには、何も入っていなかった。だが、この店では、入店直後に出される水にイプシロンが含まれている。それを使うことで、能力者は短時間でここから出ていくように仕向けられていた。  蒼が前回来た時も、最初にイプシロンを飲まされていた可能性が高い。  それがわかっていたから、俺は口腔内と腹の中にフィルコを仕込んで対策を立てている。それが無ければ、入店直後にわずかな刺激でストレスが溜まり、ゾーンアウトしていたはずだ。 「でもさあ、非能力者の同性同士って結婚できないでしょ? どちらかがセンチネルになってれば、可能なんだよ、知ってた?」 「えっ……? そ、そおなのー!? 知らなかったよー! ねえ、うちら結婚出来ないらしいよ、知ってた?」 「……まあ。でも結婚しなくてもずっと一緒にいるからいいんじゃねえの?」  一瞬言葉に詰まった。予想外の話の持って行き方だ。それを信じる奴がいるのか。呆れてしまう。  咄嗟に合わせてくれた蒼に「うれしー」と言いながら抱きついた。  確かにミュート同士は同性同士では結婚出来ない。だからどちらかがセンチネルになれれば、結婚出来るという理屈で薬をばら撒いているとしたら、とり方によっては善意の行いのように聞こえる。  だが、問題はその根本的な間違いと、それに気がつかない人間を選定しているのだろうという悪意だ。糸を引いている人間は、かなりの性悪のようだ。 ——同性の結婚が許されているのは、センチネルとガイドの組み合わせだけだぞ、おねーさん。  深く考えるのは面倒くさいと言わんばかりに酒を煽る女性スタッフに、幾ばくかの不安感を覚えた。こんなスタッフばかりなら、悪事に加担させるのは簡単かもしれない。あえてそういう子を選んでいるのだろうか。 ——センチネルになれる薬……。  ビールを煽るように飲むそのスタッフは、フライヤーのデザインの中にある白い丸い模様を指さしていた。そこには、はっきりとこう記されていた。 『センチネルになりたければ、彼女に願いを届ければいい』 ——彼女、って、誰だ?  そう頭を悩ませていると、田崎からメッセージが返ってきた。そこにあった文面は、鈴本をもっとしっかりマークしなければならないことを明らかにした。 「あー、結婚の話とかしてたらシたくなってきた。コウ、帰ろう」  蒼は俺の目をじっと見ると、「うん」と言って女性スタッフに「帰るから」と言いながらカードを手渡した。俺はそのスタッフに「お姉さん、名前教えてよ。私はマイ、彼はコウだよ」と仕掛けた。そのスタッフさんは、にこりと微笑むと「アイだよ。愛に飢えてるアイちゃんです!」と言いながら、名刺を渡してくれた。 「じゃあ、アイちゃんもイベントで彼氏作ろう! あ、私はいらないよ。センチネルになれる薬だけ貰いにくるよ。コウと一緒に」 「わかった。じゃあ、この日に会おうね」とあいちゃんと約束をして、店を出た。  店を出ると、VDSが手配したタクシーに乗り込んだ。ドアが閉まり、車が走り始めても、しばらくはマイとコウのフリをする。  やや激しめに抱き合いながらキスをして、大通りから裏道に入る頃にはコウがマイの服に手をかける。そして、そこで必ず声をかけられる。 「はい、ストップー。続きは帰ってからにしれくれよ。流石にヤってるところは見たくないぞ」  運転席の田崎からバックミラー越しに苦情が来た。紫は俺たちを毎日迎えにくるため、仕事が溜まる一方なのだと言う。連日早朝出勤と残業を繰り返しているのだそうだ。首をゴキゴキと鳴らしながら、ギロリと睨みつけてきた。 「あー、悪いな。俺の仕事もやってもらってるからな……。とりあえず、次はイベントだな」  乱れた服と口紅で汚れた顔を直しながら、今後の予定を立てていく。蒼は俺の顔を田崎が用意した蒸しタオルで丁寧に拭いてくれた。 「しかし、これはいただけないな。晴翔さんに連絡したか?」  俺はフライヤーを見せながら、田崎に聞いた。普段から愛想のない顔をしている田崎の表情が、さらに渋くなっていく。思い出したくない過去を少しだけ引き摺り出しているのだろうことは、想像に難くなかった。 「sEか……読み方はやっぱりシーだったか?」 「ああ、そうだ」 「そうか」と呟くと、田崎はそのまま黙ってしまった。俺も蒼も、言わなくてもその先はわかっている。 「まさかここで出てくるとはな。鈴本が撒いてるのはこれってことだろう? てことは、あいつは偽センチネルってことだ」 「そうだな」と呟いたのは、蒼だった。偽物のセンチネルを作り出す薬、それは数十年間問題になっている薬だ。潰されては類似品が出て……を繰り返している。五年前、その事件を追っている頃に、田崎は全てを失った。 「鈴本が偽センチネルだった場合、もう一つ問題がある。それは和人くんとの関係性だ。あいつが偽物なら、和人くんのケアでは意味がない。つまり、他にパートナーがいることになる。それに、さっきお前が連絡をくれた時、和人くんは俺と一緒に事務所にいた。鈴本のケアをした人間は、確実に和人くんじゃない」  俺が田崎にメッセージを送った時、「鈴本からイプシロンと事後の匂いがする」と送った。事後、ならば相手はペアのはずだ。それが鈴本のペアであるはずの和人くんは事務所にいたという。では、鈴本の相手は誰なのか……。おそらくソイツが黒幕だろう。そいつはイプシロンを手に入れられる人間だ。そうなってくると、範囲は限られるはずだ。それなのに、全く浮かび上がってこない。 「とにかく、イベントへの潜入は決まっている。それと、ようやく大学への潜入準備も整ったぞ。これからは1日で二役する日が続くからな。休める時はしっかり休めよ」  そう言って、車を昨日までとは違う家へと走らせていった。 「りょうかーい」 ——鈴本の相手……匂いからして男だ。だからアイちゃんじゃないはず……。  来週のイベントで会う約束をしたアイちゃんの笑顔は無垢だった。なぜあんなところでバイトをしているのか、かなり疑問だった。俺はあの笑顔を潰さずに済む方法を考えるのに必死だった。  ただ、俺は自分が無知だったことを、後々痛烈に後悔することになる。  後日俺に届いた知らせ。  それは、アイちゃんが亡くなったという、鈴本からの連絡だった。

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