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第20話 大学へ
「転科してすぐに留年してた? なんだそれ。やる気あんのか無いのかわかんねえ奴らだなあ」
「金かかるし、留年なんてしてる場合かよ……あ、お前ら就職してからの入学なんだっけ? じゃあ金あるのか。いいなあ」
多英さんが現れてから一月ほど経った夏休みの初め、俺たちは桟光大学へ予定通り潜入した。
社会人枠で入学して、さらに文学部から薬学部へ転科した生徒として潜入した日、俺と蒼は天野俊哉 と水野成幸 に連れられて、音楽サークルの部室へと向かっていた。
サークルに所属した方が人との出会いが増え、情報が仕入れやすいからだという理由もあるが、sEがばら撒かれているのがブンジャガでのイベント以外ではサークルの合宿中であることが多く、直近で合宿をするのがこの音楽サークルだったため、ここに潜入することにした。
「ウッセーなあ。どうせ大学に入り直したのにやりたいことをやらないのもなあと思って薬学部に入ったのはいいんだけど、ブラック企業で働いてた影響で体壊したんだよ」
「まあまあ、いいじゃないの。二人で一緒に通えるようになったんだからさあ。私はちょっとのんびりしすぎただけだけどね」
今回もカップルとしての潜入になったため、俺たちは腕を組んだ状態で歩いている。天野と水野は、そんな俺たちを「バカップルだね」と言って笑った。
「唯さーん、陽さーん、こっちですよー!」
翔平がキラキラと目を輝かせながら、部室の前からこちらに向かって走って来た。今回は俺が吉上唯 、蒼は田口陽太 という名前で潜入している。
「あ、翔ちゃんだー。久しぶりー!」
俺が翔平に手を振ると、翔平はとても嬉しそうにその手をブンブンと振り回した。その姿は、まるで飼い主を見つけた子犬のようだった。
「やだー、相変わらずかわいいね」
女の子になりきっている俺を見て、蒼が楽しそうに笑っている。
明るいイエローブラウンのロングヘアとロングスカート、メガネが特徴のゆるふわ女子として今回は潜入している。一方、蒼は金髪ふわふわパーマの猫系男子だ。
俺たちがついうっかりいちゃついても問題がないように、田崎は毎回俺を女子化したがる。
ゲイカップルよりは目立ちにくいからだというのだが、そのために五キロ痩せろと言われたり、エステに通わされたりと大変だった。
蒼も今回は体重を落とすように言われていて、十キロ近く落としたらしい。
ブンジャガの時はどちらかというと増量していたはずなので、蒼も蒼で準備が大変だったみたいだ。
今回は準備期間に一緒にはいられなかったので、久しぶりに顔を合わせた時から抱きつきたくて仕方がなかった。それを隠して演技をするのも大変なので、俺はずっと陽太の腕に絡みついた「彼氏溺愛系女子の唯ちゃん」を演じている。
この音楽サークルには翔平と鉄平も所属している。二人は捜査のために入ったわけでは無く、入学当初からここに所属していた。
俺たちとは幼馴染という設定だ。翔平と鉄平はこれが初捜査になる。果たしてうまく演技ができるのかどうか、俺の方が動悸がしていて今にも倒れそうだった。
翔平はあまり何も考えずに行動しているようなのだが、鉄平はボロが出ることを恐れてアタフタしている。それは、翔平がおよそセンチネルとは思えないほどに不注意で、よくケガをするからだということもある。
ガイドとしては大変なのだろう、鉄平は少しやつれたように見えた。
「お、テッショーじゃん。お前ら合宿参加組?」
プラチナブロンドの刈り上げマッシュの天野はボーカリストなんだそうで、遠くにいる鉄平と翔平へ呼びかける声も難なく届く。翔平もピアスをして音の調整をしているため、今は大声を張り上げてもアウトしない。そのため、なんの心配もなく部室の前から大声で返事をする。
「おー、行くよー! 唯さんと陽さんも連れていこうぜー!」
そう言ってぴょんぴょんと飛び跳ねながら近づいてくる。蒼が家庭教師として通っていた頃は悩みがありすぎて鬱々としていた翔平は、大学に入ってからなぜかどんどん幼くなっているように思えた。全く足元を見ずにこちらへ近づいて来る。見ているこっちがハラハラしていると、案の定側溝の蓋が開いているところがあるのに、全く気が付いていなかった。
「翔平! 危ないぞ、お前この間そこでころん……」
「あっ!」
鉄平が声をかけた途端、弾んでいた足を側溝へと踏み入れてしまい倒れ込んだ。このまま肌を打つと、痛みが翔平をアウトさせるかも知れない。かと言って、鉄平からはかなり距離が空いてしまっていた。どうするかと思案していると、そこへシュッと影が入り込み、翔平は転ぶことも怪我をすることも無く済んだ。
「気をつけろよ、今はあまり目立ちすぎないように」
翔平に耳打ちをしながらその体を抱え上げたのは、陽太 だった。普段から俊敏だったけれど、どうやら体重を落としたことでさらに身軽さが増したようだ。ものすごいスピードだったため悪目立ちしてしまったのは多少気にはなったが、致し方あるまい。
「す、すみません」
俯きながらそう答えると、翔平は頬を赤た。
「その顔やめてね。鉄平が怖い」
「え?」
陽太 に言われた翔平が鉄平の方をチラリと覗き見ると、鬼の形相で陽太を睨みつけていた。自分が間に合わなかったことで罪悪感を感じているためか、何も言えない事がさらにストレスになっているらしい。翔平は心配をかけてしまったことを鉄平に詫びた。
「ごめん、鉄平。気をつけます」
鉄平はふっと息を吐きながら、翔平の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「うん。そうして」
心配してもらえたことを喜んで翔平が微笑むと、鉄平はその額に軽いキスを落とした。
「うえええ、田口めっちゃ足はえーな。陸上とかやってた?」
黒髪でアンニュイなミドルヘアの水野が、目を丸くしていた。確かにそう言われてもおかしくない程の速さだった。陽太 はふっと苦笑いをすると、「いや、日焼けしたくないし。外の部活なんかしないよ」と言って周囲を笑わせていた。
「リーダー! 会計の人って誰だったっけー?」
天野がサークルリーダーに俺たちの合宿参加を申し出てくれていた。
毎年の合宿は少し離れた海沿いの地域で行われていたそうなのだが、ここ最近の猛暑の影響で、海辺での開催はやめようということになったのだそうだ。
そのため、今夏は近隣のキャンプ場であるらしい。いつもに比べて費用が安く済むということもあって、例年よりも参加人数が多くなっているとのことだった。
「人数多いと練習場所に困るかもしれないけれど、その時は分散するかもしれないから」
リーダーがそう言うと「機材の取り合いになるからやめましょーよー」と抗議が巻き起こった。リーダーはそのブーイングの中を笑ってすり抜けてくると、俺たちに向かって笑顔で挨拶をしてくれた。
「えっと、吉上唯さんと田口陽太くんでいいんだっけ?」
「はい」
「入部ってことでいいんだよね? リーダーの奥神健太 です。よろしくね。合宿参加するなら、あの人が会計だからお金渡しておいてね。締め切り今日なんだけど、出せる?」
リーダーはそう言うと、鮮やかなグリーンのショートヘアの男を指差した。隣にはブルーのボブヘアの男がピッタリと寄り添っている。
リーダーはそのグリーンヘアの男に向かって「おーい、池もっちゃん、会計してー」と呼びかけた。二人は揃ってこちらへと振り向く。その顔を見て、俺たちは手を握り合ってテレパスした。
——あいつら、ブンジャガにいたな。
——いた。深夜帯のバーテンだったな。
終えたち疎通しているのがわかったのか、鉄平が俺にスッと近寄ってきた。そして「なんかついてますよ」と言いながら、髪の毛を触るふりをして体に触れる。翔平は、「陽ちゃん、久しぶりにおんぶして」と言いながら、陽太 に後ろから飛びついた。
レベルの近いセンチネルとガイドが肌に触れ合うと、ペアでなくても多少のテレパスは可能だ。俺たちはあの二人が怪しいことを四人で周知しあった。
「じゃあ、会計はこれだから……手持ちがあるなら、池もっちゃ……池本に渡してね。で、もう一人のあの青頭の河本からリストバンドもらってつけておいて」
リーダーがそういうと、青頭の河本がリストバンドを手渡してきた。「はい、合宿中はこれをつけておいてね」と言われた。
「無くしそうだよなあ、これ。大丈夫かなあ」
翔平が不安そうにそう溢すと、池本が「なんで無くすんだよ。つけっぱにしとけばいいだろ?」と返した。
「そうですけど、まだ何日もあるじゃないですか。その間に無くしそうだなって……」
翔平がそうこぼすと、池本は心底驚いたように目を丸くした。そして、やや声を荒げて翔平に詰め寄った。
「は? お前ら聞いてなかったのか? 合宿、今日から構内でやることになったんだよ。だから今会計したんだろ?」
「え?」
月末から山間部のキャンプ場でやる予定だった合宿が、今日から大学構内でやることになったと言う。あまりに急な変更に、思わず翔平が気色ばんだ。
鈴本が亡くなってから急いで予定を変更した可能性もある。この決定が明菫と同関係があるのかはわからないが、警戒するに越したことはないだろう。
翔平もそれを危惧しているからこそ、表情を固くしているはずだ。でもだからこそ、今それを周囲に悟られてはいけない。
「翔ちゃん、まだ頭が痛いの? 朝からそう言ってたよね? 難しい顔してる。似合わないけど」
顎の下に手を当て、軽く首を傾げながら俺が翔平に尋ねると、鉄平が翔平の手を取った。そして「じゃあ、ちょっと痛み止め買ってきます」と言ってその場を離れようとした。
すると、河本がポケットから白く丸い錠剤の入ったプラスチックケースを取り出した。その中の一錠を取り出すと、「これ飲んどけ」と言って翔平の手のひらに収めた。
「あ、ありがとうございます」
そう言って翔平は俺の方をチラッと見た。そして、ぐっと唇を結ぶと、意を决したように、ごくりとそれを飲み下した。
「即効性あるから、すぐ効くだろう。今大丈夫か?」
そう尋ねる河本の目は、間違いなく翔平がこれからどうなるのかを見定めようとしている目だった。俺たちは、多少肝を冷やした。
しかし、翔平が「あ、大丈夫です。痛くなくなったかも」と笑うのを見て安堵した。すると河本は悪びれもせずに言った。
「鎮痛剤がそんな早く効くわけないだろ? それイプシロンだよ。痛み止めの代わりに使えるんだぜ」
そう言って、ニヤリと笑った。その笑顔の歪みかたは酷く、ドロドロとした悪意に満ちていた。見ているだけで気分が悪くなりそうだった。
「そうなんですか。ていうかイプシロンてなんですか?」
翔平は間抜けづらをして河本へ質問をした。それは河本の計算外だったようで、チッと舌打ちをすると「とにかく、合宿行くなら準備してこいよ」と告げると、部室の中へと消えていった。
——これでここの奴らがイプシロンを持っていることは、はっきりしたな。
——そうだね。あとはsEの存在の確認と回収が出来ればいいね。
学生がイプシロンをあれほど簡単に持ち歩き、かつ人に与えていること自体がもう異常事態だ。それだけでも報告すべきことだが、今回はsEを回収することが目的だ。まだ迂闊に動くわけにはいかなかった。
「先輩、俺たち四人、合宿今日からって知らなかったので、泊まりの準備してきます!」
リーダーへそう告げると「了解!」と気持ちのいい返事が返ってきた。俺たちはその場を辞して、一旦自宅へと引き上げることにした。
翔平には蒼から「イプシロンはセンチネルに悪影響は起こさないから安心しろ」と伝えてある。sEを飲まされたとしても、五錠程度なら解毒できるだけの準備を体内にしてある。
「じゃあ、また後でね」
そう言って、サークルの連中と別れた。そして、今四人で暮らしている家に戻ると、合宿に参加する準備を始めた。
「いいか、よほどの事がない限り問題がないように準備はしてある。狼狽えるな。一人になっても、大丈夫だ。俺たちが調査していることを悟られるなよ。それでも、何かあったらすぐ連絡しろ。左の奥歯はボイスチェンジャー、右の奥歯は通信機だ。わかったな?」
初めての潜入捜査へ入る前に、すでに薬物を飲まされている翔平の緊張がひどかった。イプシロンの影響はセンチネルには出ない。今の顔色の悪さは、純粋な緊張だ。
俺は、鉄平にこそっと一言告げた。
「部屋貸してやるから、ケアしてやれ」
鉄平は口を引き結んで頷くと、翔平を連れて俺たちの部屋へと消えていった。
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