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第21話 突然
「よし、じゃあ準備はこれで整ったな。二泊三日で少人数とはいえ、気を抜くなよ」
翌早朝から合宿への準備を始めるため、田崎が必要なものを揃えて来た。イプシロン、クラヴィーアを仕込んだアクセサリー類、それぞれに対応したフィルコ、マメンツの数を増やして自己防衛の強化もしていく。
敵の目的が純粋な薬を売って利益を得るだけなら話は早い。しかし、どうやら料金を受け取らずに無料で広めているようなので、明菫と同じくセンチネルを増やそうとしているのか、それとも逆にガイド以外を殲滅したいのかがわかっていない。
昨日、音楽サークルにいた池本と河本が関わっているのは間違いないだろうとは思うが、ナオの事件と数人の亡くなったセンチネル、そして鈴本のためにも、誰が何のためにこの事件を仕組んだのかをはっきりさせなくてはならない。
「VDS関連の会社で作ったものを悪用して人を死なせた奴は絶対に捕まえるからな。ただし、死ぬなよ。特に翔平、センチネルは危険だからな。必ず鉄平と一緒にいろ。それと、一つ報告してもらうことがある」
俺は田崎に今朝わかったことを報告してもらうことにした。隣にはミチがついている。
「皆さん、おはようございます。今日からの潜入、よろしくお願いいたします。さて、今朝は一つ若干の朗報をお持ちしました。それが、この分析結果です」
そう言って田崎が見せたタブレットには、sEとイプシロンの定量検査の結果が表示されていた。
そこで初めて知ったのだが、sEはベースが抗がん剤やプロトンポンプ阻害薬で、そこにある人物の遺伝子情報の一部が組み込まれているようだった。
イプシロンは基本的には血液製剤のようなもので、菊神さんの血液を元に製造されたものから改良を重ねて今のものに行き着いている。
「四つ表がありますが、二つはsE、二つはイプシロンです。ただし、同じ薬剤でどうやら添加物が違うらしいことがわかりました。そして、Aの方が明菫が白崎製薬で開発して研究室で鈴本に作らせていたものです。Bはそれとは異なるもので、これが各事件で使用されたものであることがわかりました」
田崎は四つの表のうち、sEとイプシロンの成分をグラフにしたものを表示した。そして、AとBを示すと、確かに添加物の部分で大きく異なる成分が発見されている。
タブを変え、新しい表を開く。
それは、ナオが落ちた後に解剖されてわかったsEの成分と今のグラフの比較だった。ナオの体から発見されたものは、明らかにBと同一であることを示していた。
「え? ど、どういうことですか? つまりこれって……」
田崎は唇を引き結んだ。この男は、まだはっきりと確定しているわけではないことを口にするのを嫌う。
それでも、今日この情報を仕入れていないと、俺たちは危険な目に遭うかもしれない。そう思ったから持って来たのだろう。
田崎の心情を察したミチが、代わりに口を開いた。
「あの、これは私の意見ですけどね。このナオさんって方が亡くなった時の事件だけじゃなくて、センチネルが亡くなった事件全て、それに環さんの体から検出されたものも全てBなんです。つまり、紫さんがばら撒いていたものと事件に直接関わっているものは、違うものだってことじゃないかって……」
「それは、明菫以外にsEとイプシロンを作っているものがいるということか? それを使って人を死なせているのに、まだ発見されていない……センチネルの五感にもガイドのテレパスにも引っかからずに逃げている人間がいるってことか?」
怒気を含んだ声で蒼が言う。
その半分は自分の無力感に苛まれているのだろう。
そして、あと半分は、これほど巧妙に事件を起こしながら、目的が見えない犯人に対する焦りだろう。
焦りや悲しみは人に怒りをもたらす。そして、怒りは目を鈍らせる。
俺は、蒼の背中をポンと叩いた。
「冷静に、蒼。そんなんじゃ、余計に見落とすぞ。ミチ、明菫じゃないとするなら、昨日俺たちが報告した二人の痕跡は無かったか? ブンジャガの池本と河本だ。あの二人は匂いからの判別は出来ない。あの店では常用されていたから、常にクスリの匂いがしていた。ただ、あいつらはsEの匂いはしない。つまり使ってないはずだ。ミュートがsEを使ってないのにイプシロンを使用する目的は一つしかない。偽センチネルへのケアだろう? あの店でケアを担当していた人物の中にあいつらはいたか?」
俺は銀縁の大きな丸メガネをかけ直しながらミチを見た。その表情は真剣そのもので、必死に店でのことを思い出そうとしていた。
ミチの心拍や体温、表情や目の動きからも疑うべきところは何もない。田崎によく懐いていて、真摯に業務に向き合っている。
その姿を、昨日の池本や河本と比べてしまう。
「そうですね……私の知る限りじゃ、ケアを担当していたのは環さんだけだったと思います。そして、環さんは紫さんがケアしていた。でも、環さんがケアをするのは私がアウトした時くらいですよ? お客さんがアウトした時は、別のお客さんにイプシロンを渡して、その人にケアしてもらうって言うのがルールでしたから。私だってそんなにアウトしてばっかりじゃ無かったはずだから……話を聞いている限り後、環さんの死は想定の数倍の速度で早まっている可能性があるらしいんです。その理由はまだわかってません。だから……」
「だから、気をつけろ。合宿にブンジャガのスタッフがいるなら、そいつらを疑うのはセオリーだろう。それに、昨日の話を聞いた限りでは、その二人はクスリを使うことに対する罪悪感がすでに無くなっているみたいだからな。そう言うやつは、何をしでかすかわからない」
田崎が話を横から奪って忠告する。俺たちも、それに関しては特に注意していこうと思っていた。
特に河本はイプシロンの匂いが尋常では無かった。それなのに、sEの匂いはほぼしていない。
ケアを目的としてイプシロンを飲み続けているのだとしたら、その健康被害を考えると空恐ろしくなる。薬学部にいて、それを知らないわけはない。
わかっていてやっているのだとしたら、もうすでに正気ではないのかもしれなかった。
「わかった。とにかく必ずペアで動くようにしよう。何かあったら通信機使えよ。無理はしないこと。いいな?」
「はい」
「はい。……では、向かいましょうか」
俺たちは車に乗り合って来たということにしてもらっていて、現地へ直接向かうことにしている。
いかにも可愛らしいものが好きな人が運転しているであろう車を用意してもらい、それに四人で乗り込んだ。
蒼がエンジンをかけると、田崎とミチが後方に待機しているのが見える。
翔平が窓を開けて、「いってきまーす」とにこやかに手を振った。
そして、二人が小さくなるまで、手を振って笑っていた。
大通りに出てしばらくすると、翔平が俯いていた。
俺は助手席から後ろへと体ごと向きを変え、「どうした?」と声をかける。
翔平はやや硬い笑顔を見せながら、「ちょっと怖いです」と言った。
そうやって素直に弱音を吐けるのは、最近の翔平のいいところだ。
昔は色々と我慢しすぎて爆発する傾向にあったが、今は鉄平が守ってくれるという安心感からか、弱い自分を受け入れられるようになっているようだった。
「お前、えらいな。自分が弱いのをちゃんとわかってる。危険な場所に行く時は、それが大事だ。思い上がったやつは、すぐに死ぬ。俺は今までそうやって死んでいったやつをたくさん見ている。だから俺はその分慎重になっていったんだ」
センチネルとして仕事を始めたばかりの頃、今回のように薬物を扱っている集団に潜入捜査を命じられた時があった。
その時、同じ年齢くらいの腕っぷしの強いセンチネルが数人一緒だったため、俺はやや安心していた。
それが慢心だと気がついたのは、そのセンチネルが刺されて倒れた後だった。理由はシンプルだった。相手のセンチネルが格上だっただけだ。
「死にそうになった俺を助けてくれたのは、蒼だったな」
俺が運転中の相棒に声をかけると、口の端を上げて応えた。あれから何度助けられただろう。その揺るぎない安心感をくれる男は、今でも隣にいてくれる。
「翔平だって、鉄平がいるだろう? 鉄平はVDSに入ってから蒼に鍛えてもらってるから、随分と強くなってる。能力的にもかなり伸びてるぞ。だから大丈夫だ」
俺は真後ろに座る鉄平に視線を移した。
鉄平は半年前よりも精悍な顔つきになり、随分と体格も変わった。
何度か自分のせいでアウト仕掛けた翔平を助けていることもあり、今回の捜査でもおそらく落ち着いて行動できるだろうと踏まれている。
「いいか、自信は持つな。常に警戒心だけ持ってろ。そして、お互いに離れるな。お互いがいれば大丈夫だ。通信機があれば俺たちもすぐに繋がれる。田崎へも連絡が飛ばせる。晴翔さんのクラヴィーアへの想いを踏み躙られたまま終わるわけにはいかない。絶対捕まえるぞ」
鉄平が翔平へ微笑みかけた。
「必ず守るよ」と言いながら、手をそっと握っていく。両手の指と指を絡ませて、擦りながらぎゅっと握りしめていった。
そして、その手をぐいっと引いて翔平を自分の胸に収めると、「大丈夫だよ」と囁いた。翔平はそれを聞くと、顔を赤く染めながら、嬉しそうに頷いた。
◇◇◇
「おーし、揃ったな? じゃあ、昨日決めた通りに別れて。ライブ組は多目的ホールで、REC組はこの吸音素材持って1〜3番のバンガロー使って作業して。で、発表は池本と河本に教えてもらってDJ形式でやってね。ライブでやれるならやってもいいけど、難しいでしょ?」
奥神さんがメンバーの振り分けと発表形式を伝えると、「発表すんの? めんどくせー」とブーイングが起きた。
このサークルは奥神さんにいちいち突っかからないと気が済まないらしい。
リーダー本人はそれを全く気にしておらず、「はい、すぐ行動してくださーい」とメンバーを散らしていった。
俺たちはREC組だ。PCで曲を作り、出来上がったものを明日のイベントで使用する。
それをただ流すだけでなく、DJとして頑張ってねといきなり言われた。
俺は音楽は全くの門外漢だ。正直、ミッションとは違う意味で胃が痛い。それを蒼に勘づかれてしまった。
「DJやりたくないんでしょ? 緊張しそうだもんね、唯」
「そうよー、恥ずかしそうだもん……ちゃんとできるかなあ」
陽太と唯としての会話ながら、これは俺の本心でもある。唯なら失敗してもいいのかもしれないが、その仕込み具合も加減が難しい。
「大丈夫だよ。やったことないんだから、思いっきり失敗しておこう。どうせメンバーしかいないんだからさ」
蒼はそう言って設定を決めてくれた。
これで、唯はDJ初体験、失敗して当たり前の人として動くことができる。たったそれだけで、随分と心が軽くなった。
「ありがとー。やっぱり陽ちゃんは優しいね」
そう言って陽太にキスをした。そこへ奥神さんがこそっとやって来て、「ちょっといい?」と言いながら俺たちを人気の無い方へと連れていく。蒼は気を引き絞り、警戒していた。
バンガローが立ち並ぶ広い場所から、やや離れた茂みのあたりでリーダーは俺たちの方を向き直った。そして、言いにくそうに俯くと、ぎゅっと拳を握りしめた。
「あのさ、君たちまだ来たばかりだから大丈夫だと思うんだけど……」
奥神さんが何かを話そうとした瞬間、その体の奥から。ふわりと香りが立ち上った。
「あ、ぐ……ぅ」
急に起きた奥神さんの変化に、俺は一瞬たじろいだ。
しかし、すぐに気を取り直すと右の歯をガチンと噛み締めた。そして、短く「カム」と告げた。そのあとすぐに蒼の手を握りしめ、テレパスする。
——奥神さんからsEの香りがする。それもかなり強烈な匂いだ。
蒼は大きく目を見開くと、周囲に視線を巡らせた。
奥神さんの様子からして、彼が望んで今の状態にあるわけではないように見えた。ということは、誰かが奥神さんにsEを飲ませているはずだ。そして、おそらく彼がどんな様子かを見ている。
——どこだ。誰が見ている?
「うあ、あ……たすけ……」
「どうしたんですか? リーダー。具合悪いんですか? 陽ちゃん、どうしよう?」
俺は何も知らないふりをして、奥神さんの様子を観察する。そして、メガネのレンズを爪でカツンと弾いた。
こうすることで、カメラとして映像を送ることができる。事務所にいる田崎がそれを見て判断してくるのを待った。
『翠、お前の視線の前方に誰かいる。そいつは誰だ?』
田崎がカメラの映像から判断した不審人物を伝えてくる。俺は顔をあげ、「誰かいない?」と呟きながら、その方角を見た。
「池本……先輩」
俺の視線の前方、木立に紛れてこちらを伺っているのは、池本だった。俺は池本に助けを求めるように「池本先輩! 奥神先輩がっ!」と声をかけた。すると、奥神さんがはっと我に返った。そして、カタカタと震え始めた。
「よ、吉上さん……ごめん、俺の……服の……」
震える手で、俺の腕を掴む。うまく掴めずによろけてしまい、俺の上に倒れ込んできた。
「やっ!……痛い!」
そのまま俺が尻餅をつく形で転び、奥神さんは俺の上にのしかかってしまった。
蒼がそれを助け起こそうとすると、俺たちの後ろの方からものすごい勢いで河本が走ってきた。
「何やってんだよ、池本!」
河本はそう叫ぶと、蒼を一瞬で投げ飛ばした。投げられた瞬間に受け身をとって回転したため、怪我はしていない。ダメージもない。ただし、奥神さんのそばを離れてしまった。
その直後、俺たちは信じられないものを見た。
「や、やめろっ!」
昼日中、貸切とはいえ、サークル連中が揃っている広い場所で。
「嫌だっ! やめっ……」
奥神さんの衣服を剥ぐと、そのまま襲いかかっていった。
「やめろ!」
池本の後ろの茂みから、回り込んでいた鉄平が飛び出して来た。奥神さんのベルトに掛かった手の橈骨側を思いっきり握り込んだ。
「いてえっ!」
痛みに耐えかねた池本が手を開くとその腕を後ろに回しれ捻り上げた。
そして、奥神さんに向かって「逃げて!」と短く叫んだ。
ただ、奥神さんは腰が抜けていて立てず、その場を去ることができなかった。
「奥神さん、こっち!」
俺と翔平は奥神さんを脇の下から抱えると、引きずるようにしてその場から離した。
奥神さんは、初夏で山の中のキャンプ場であるにもかかわらず、神経が昂っていて尋常でない汗をかいている。
だんだんと瞳孔が開き、口をぱくぱくしながら何かを訴えようとしていた。
「奥神さん、これ飲んで。大丈夫です、助けを呼びましたから。落ち着いてください」
俺は田崎に持たされていたイプシロンを奥神さんnの口の中に放り込んだ。
それは一旦溶かしてカプセルに入れたもので、錠剤で飲むよりは吸収が早い。半分意識を失いかけていた奥神さんの口にそれを押し込むと、「飲み込んで!」と言った。
それでも、カプセルを飲み込むことすら難しくなっているようで、なかなか嚥下してくれない。
「蒼、鉄平、向こう向いてろよ」
池本と河本を拘束しているガイド二人にこっちを向くなと注意して、翔平に奥神さんを支えてもらった。
俺はイプシロンのカプセルと水を一緒に口に含んだ。そして、それを奥神さんの口の中へと一気に注ぐ。
「ううっ……」
奥神さんは呻きながらも、それをごくりと飲み干した。
そして、俺は右の歯をカチカチと鳴らすと、「田崎、搬送。高カロリー輸液用意」と短く指示を出した。
頭の中に「承知いたしました」という慇懃な声が鳴り響いた。
俺と翔平は奥神さんを他のサークルメンバーに預け、ガイドたちの方へと急ごうとしていた。すると、女子学生から声をかけられた。
「吉上さん、翔平くん、ご……ごめんね。私たちもこれじゃダメだってわかってるけど、池本くんが就職の世話をするから黙ってろって言ってて……ごめんなさい!」
そう言って泣き始めた。
ミュートの子達の悩みは、いつも就職だ。必ずと言っていいほど、その弱みを握られている。正直俺にはそれは理解できないけれど、全くわからないわけではない。
振り返ってにこりと微笑みながら、彼女たちの手を握った。
「大丈夫。普通怖いよ。奥神さんに謝ればいいだけだよ。私に謝る必要はないよ。私は色々トレーニングを受けているから怖くないだけだからね」
そう言って、ぎゅっと手を握り、その場を離れた。
「sEとイプシロンをばら撒いてたのは、お前たちで間違いないか?」
後ろ手に縛られ、小指をインシュロックで固定された池本と河本を詰問している蒼の隣に立った。
蒼は怒りで顔が変わっている。
池本と河本は、せせら笑うように蒼を見ている。
「あー? そうだけど? 何、欲しいの? お前たちってガイドでしょ? sE飲んでも全く影響なかったもんな。
ガイドはなんも飲まなくてもセンチ抱けるだろ?」
「そうか」
蒼は小さく呟いた。
「それが目的か」
ぽつりと呟いたと同時に、ワナワナと震え始めた。
「そんな理由で……ふざけんな!」
珍しく大声をあげて怒りを露わにした。
俺たちが蒼のその姿に呆気に取られていると、燃え盛る炎を吐く龍を背負った最高ランクのガイドは、久しぶりに大立ち回りを披露してくれた。
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