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第5話
寝て起きるだけの生活は日にちの感覚がなくなってくる。
それにこの部屋は、まるで物置に机と寝台だけ置いたような具合だったので、窓から景色を眺めることもできず本当にやることがない。春雷の読んでいた書物を借りてみたが、専門的すぎて理解ができなかった。
篭りっきりで過ごす生活にも飽きてきた頃、「少し体を動かそうか」と、春雷に外へ連れ出された。この頃には清明の足は自分で立って歩けるほどに回復していた。
ゆっくり歩いて春雷について行くと、外、といっても家の裏に出ただけだった。
家の裏はすぐ山で斜面になっていて木や笹が生い茂っている。
どうするのかと思って清明が見ていると、春雷は森に向かって声をかけた。
「おい、クロ!」
呼びかけるとすぐに茂みがゴソゴソと動き、黒い塊が勢いよく飛び出してきた。千切れんばかりに尻尾を振って、主人目掛けて駆け寄ってくる。
仮面はやはり着けていなかった。
クロは後ろ足で立ち上がって清明に飛びつく。
立ち上がると前足が清明の肩に届くような体格だ。
「ははは、元気そうだな」
怪我を負った主人のことをよほど心配していたのだろう。
清明も今まで見たことがないほど喜んでいる。
「よしよし良い子だ!……ちょっと落ち着け、傷口が開く……!」
飛び跳ねるように騒ぐクロをひとしきり撫でたあと、清明が「もう少し待っていてくれ」と言って森を指さすと、クロはパッと離れて森の中へ消えていった。
清明は隣で見ていた春雷に聞いた。
「クロのことも見ていてくてたのか?」
春雷はクロが走っていった方に視線を向けたまま答えた。
「ついでだ」
「そうか」
クロの気配は無くなったが、おそらく近くで身を潜めているのだろう。
清明は自らの服についた土ぼこりをはたいて落とす。春雷も、清明の肩についた塵を落とすのを手伝った。
部屋に戻りいつもの寝台に寝転ぶと、春雷も横に腰を下ろした。
昼間は大概せわしなく働いているので珍しい。
「今日は手伝いはいいのか?」
「先生は今日は出かけていて居ないんだ。急病人が来たら代わりに対応しなければいけないが、そうそう来ないさ。」
「たまにはゆっくり休むといい」
先日の夜のように、春雷が夜中にうなされていることがその後も何度かあった。よほど疲れているか、何か悩み事でもあるのかもしれないと清明は思った。
「ああ、そうする」
春雷は枕元に置いてあった書物を手に取って、いつものように静かに読み始めた。
清明はしばらく寝転がっていたが、眠れず春雷に話しかけた。
いつもは邪魔をしては申し訳ないと思ってあまり話しかけないようにしていたのだが、春雷に対して少し興味が湧いてきたのだ。
「春雷はどうして医者になろうと思ったんだ?」
弟子入りしてまで医者になろうというのには何か理由があるのだろう。
春雷は手元に視線を落としたまま話した。
「昔、母が病気になった時にろくな医者にかかれず亡くなってしまった。いまさら私が医者になったとして、母が蘇るわけでもないが…」
医者と言いながら、本当に知識があるのか定かではない医者も多い。
治療がうまくいかずとも、もとより手遅れだったと言われてしまえばどうしようもないのであった。
「それは、悪いことを聞いてすまない。しかし、少なくとも私は命拾いしたぞ」
「ずいぶん昔のことだからいいんだ。それにしても、あの日は薬草を取りに行って、うっかり大きな拾い物をしてしまった。担いでここまで運ぶのは大変だったんだぞ。」
申し訳なさそうにする清明を見て、春雷はわざと苦労を強調する。
「後でちゃんと礼をするので許してくれ」
大真面目に謝る清明を見て、春雷は苦笑した。
「冗談だ。礼はいらん」
「そういうわけには……」
助けてもらったうえに治療までしてもらい、何日も泊めてもらってもらっておいて何もしないわけにはいかないだろう。
「金があるのかわからん奴を先生に診てもらうわけにもいかないから、見習いの私が診たんだ。練習台にされたとでも思っておけ」
まだ何か言いたそうな清明に向かって、春雷は小さく笑って言った。
「ここを出て、医者にかかれるあてはあるのか?急いでいないならもうしばらく居ると良い……と先生も言っていた」
清明は家に戻れば専属の医者がいて治療を受けられるし、このような狭い寝台で寝ることもない。
しかし、もう少しここで過ごしてみたいという気持ちになってしまい、自分でも少し戸惑った。
少し考えたのち、正直に答える。
「しばらく世話になっても良いだろうか」
その代わりに、不要とは言われたが、後からしっかりお礼をしようと心に決めたのだった。
「ああ」
春雷は、茶でも飲もうか、と言って準備をしに立ち上がった。
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