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第二章③

「……楽しいのかよ? こんなのが」 「うん。超満足」 「……やっぱボンボンは頭がおかしいな」    薫がしたかったことというのは、肇と同衾すること。所謂添い寝である。ついさっきまで組んず解れつしていた、ファンシーなキャラものの布団に、男二人で横になった。肇の肩幅が広く、薫のスペースは狭い。   「別に普通だよ。好きな人とくっついていられるんだから、楽しくないわけないじゃん」 「さっきまでもっとすげぇことしてただろ」 「それとこれとは別でしょ~? こーいうことに憧れちゃうお年頃なの、僕」 「へーへー。ガキだな」 「ガキでいいもん。肇だって、僕がガキだからここまでしてくれるんでしょ?」    薫があえて甘えた言い方をすると、肇は苛立ったように舌打ちをした。   「自分の都合いいように解釈してんじゃねぇよ、坊ちゃん。てめぇがちょうどいい金蔓になりそうだから、俺ァここまで許してやってんだぜ。そこんとこ忘れんなよ」 「分かってる。僕のお金が尽きるまでは付き合ってくれるってことでしょ?」    肇は苛立たしげに鼻を鳴らした。    薫も、そこのところは理解しているつもりだ。今のところ、二人は金で繋がっただけの関係である。セックスも同衾も、薫が金を払わなければ肇は何一つ許してはくれないだろう。  最初はこんなつもりではなかった。思いを告げて、デートを重ねて、肇にも薫を好きになってもらって、そこで初めてキスをする予定だった。  だが、こうなってしまった以上は仕方がない。順番は逆になったが、これからゆっくり肇の心を掴めるように努力するしかない。肇を独占するために、他の男に触れさせないために、薫は金で肇を買う。これ以外にいい方法が思いつかなかった。  正直、罪悪感がないといったら嘘になる。幼い息子を一人で懸命に育てている男を、金に物を言わせて弄ぶなんて、鬼畜の所業のような気がする。  体を売った金で息子を育てるシングルファーザーなんて、字面だけ見ると最悪だが、肇は肇なりに真純に愛情を注いでいるようだから、余計に後ろめたく感じる。それに、自分の力で惚れた相手を落とすこともできず、経済力に頼るしかないなんて、男の沽券に係わることのような気もする。  それでも、たとえ肇の気持ちが伴っていないとしても、彼がそばにいてくれるだけで薫の気持ちは舞い上がるし、心は満たされてしまう。薫は、自分で思うよりもずっと単純で、子供じみたところがあるのだ。   「本当にいいのかよ?」    もう寝たと思っていたのに、肇が不意に口を開いた。   「何が?」 「サービスしてやるっつったろ。もう一発抜いてけよ」    肇は、親指と人差し指で輪っかを作り、舌を出すポーズをした。それが何を意味するのか、初心な薫には分からなかったが、何かいやらしい意味であることと挑発されているらしいことは分かった。   「もう出ないよ」 「何言ってんだ。若者のくせに」 「サービスしてくれるなら、手繋いで」    肇は呆れたように笑う。   「お前なァ、んなことでいちいちお伺い立てんじゃねぇよ。手ェくらい、てめぇの都合で勝手に握れ」    悪態を吐きながらも、薫の手に肇のそれが重なる。冷たい手だった。布団の中なのに、氷みたいに冷えている。   「冷え性なの?」 「普通だろ。てめぇの手が熱すぎんだよ」 「若いからかな。代謝がいいのかもね」 「おっさんで悪かったな」 「誰もそんなこと言ってないでしょ~。肇はまだお兄さんだよ。あっためてあげるね」    薫は両手で肇の手を包んだ。冷たい、強張った手だ。いくら撫でても、擦っても、なかなか解けてくれなかった。      そのまま、何事か起きることもなく朝を迎えた。最初に目を覚ましたのは真純で、布団の上へどっかと座り、何か喋りながら肇を揺さぶっていた。薫と目が合うと、機嫌よくにこにこと笑う。薫もにっこりと微笑みかけた。   「おはよう、真純くん」 「おあよ」    意外にも会話が成り立ったことに、薫は嬉しくなった。   「パパ、寝てるね」 「ぱぱ、ねんね」 「パパ、起きないねぇ」 「ぱーぱ! おっき!」 「パパ、まだ眠いんだって」 「ぱぱ! ぱぁぱ!」    ぺちぺちと真純に叩かれて、肇は鬱陶しそうに瞼を上げた。   「真純ィ……朝っぱらから元気だな……」    ぬいぐるみにそうするように、肇は真純を抱きしめる。真純は楽しそうに手を叩いて喜んだ。   「なんでこんなにかわいいんだよ、真純ちゃんは」    薫の存在を忘れているのか、肇は真純にでれでれと甘い顔をする。   「なんでこんなにぷにぷになんだァ? こんなんで立派な男になれんのかよ。こんなにかわいくて……」    そして、薫がまだいることにふと気付いたらしい肇は、一瞬で不機嫌な顔を作り上げ、のそりと起き上がった。   「んだてめぇ、まだいたのか」 「いやそれは無理じゃない!?」 「何がだよ」 「誤魔化すにしても不自然すぎでしょ! あんた、普段はそんな感じなんだ……?」 「わりぃかよ。こいつがご機嫌だから、お前はもう帰ったと思ったんだ」    肇の膝に抱っこされた真純は、興味津々で薫の方へ手を伸ばす。薫はその小さい手をそっと握った。搗きたてのお餅みたいに、白くてもちもちでふわふわで、発熱しているみたいに温かかった。   「普段はわりと人見知りなんだよ。起きた時に知らねぇやつがいたらギャン泣きすると思うだろ」 「でも、僕とお話してくれたもんね。真純くん、僕のこと気に入ってくれた?」 「誰が気に入るかよ」 「だからぁ、真純くんがだよ」 「起きたならとっとと帰れ。結局一晩居座りやがって」 「え~、どうせ今日休みだし、もう少しいてもよくない?」 「めんどくせぇガキだな。勝手にしろ」    肇は吐き捨てるように言って立ち上がった。その後を追いかけるようにして、真純は肇の足元に纏わり付く。   「ちょっと待ってろって。そんなに騒ぐな」    肇は冷蔵庫からベビーチーズを取り出し、包装を剥がして真純に与えた。真純が夢中で齧っている隙に、肇は食パンとバナナを用意する。真純はとてとてと居間に戻り、自発的に豆椅子に座った。座るとピーと音が鳴る、幼児用の小さくて丸いパイプ椅子だ。   「うし、えらいぞ。いただきますな」 「いたーきましゅ」    真純は食パンを手掴みで食べる。両手でワイルドに千切り、もくもくと食べる。「おちゃ!」と催促すると、肇がキッチンからコップを持ってくる。幼児用の、キャラクターがプリントされたプラスチックコップだ。   「それ牛乳じゃん」 「いいんだよ。朝はこれなんだ」    真純は両手でコップを持つと、ごくごく飲んだ。上唇に白いヒゲができる。次にバナナを催促するので、肇が皮を剥いて持たせてやると、真純は自分で持って齧って食べた。   「おいしいか?」 「ん!」    真純は赤いほっぺをぷくぷく膨らませて、にこにこ笑った。   「……何見てんだよ」    そのやりとりをじっと見ていた薫を、肇は睨んだ。態度の違いが露骨すぎる。   「用がねぇなら帰れ。見世物じゃねぇんだぞ」 「え~、だって、かわいいなって思って」 「当たり前だろ」 「えっそれどういう意味?」 「はぁ? 真純がかわいいのは当然だっつってんだよ」 「ああ、そっち……」    薫が好ましいと思ったのは、立派にパパを務める肇の姿である。もちろん、真純がかわいいのは当たり前の話だが。   「それで、僕の分の朝ご飯は?」    薫が子供みたいに催促すると、肇は心底呆れた顔をした。「適当に朝マックでも食っとけ」と薫を締め出したが、追い出された本人は「朝マックって何?」と首を傾げるばかりであった。

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