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第九章① 湯煙温泉郷

「父ちゃん! かおる! 早く早く!」    赤い灯籠が連なる雪化粧の石段を、真純は軽々と駆け上がる。   「んなに急がなくても、神社は逃げねぇよ」    真純より少し遅れて、肇は悠々と石段を上る。薫はそこからさらに離れて、二人の後ろ姿をカメラに収めた。      肇の誕生日に旅行をプレゼントした。薫が情報を取り寄せて、三人で行き先を決めた。風光明媚な歴史ある温泉地で、昼間は温泉街を食べ歩き、土産を買い、足湯に入って、夜は旅館に一泊する。   「見て見てー。雪だるまいっぱい作った」    雪見の露天風呂で、真純は白い息を吐いた。降り積もった雪を集めて、雪だるまをせっせと作っていたのだ。雪に埋もれた坪庭や、岩の上、浴槽の縁なんかに、大小様々の雪だるまが並べられている。   「一番おっきいのが父ちゃんで、二番目がかおるで、このちっちゃいのがますみね」 「耳が生えてんのは?」 「誰でもないけど。これは犬で、クマと、猫。あとウサギもいる」 「なかなかよくできてんじゃねぇか」 「うん!」    真純は満面の笑みで湯船に戻った。冷えた体を熱い温泉で温める。   「よくあったまれよ。温泉で風邪引くなんざバカらしいからな」 「だいじょーぶだよ。熱くなったらまた雪だるま作る」    真純は肇にぴったりとくっついて、肩までお湯に浸かった。肇は真純の濡れた頭を撫でる。その様子を、薫は複雑な気持ちで見守った。  薫だって、肇にぴったりと寄り添いたい。しかし、そんなことをしたらただでさえ熱い体がさらに火照ってしまう。真純の目があるのはもちろん、いつ誰が来るとも分からない大露天風呂で、醜態を晒すわけにはいかない。   「やっぱ、でけぇ風呂はいいな」    薫の苦悩を知ってか知らずか、肇は悩ましげな息を漏らす。浴槽の縁に腰掛けて、火照った体を夜風に当てる。湯気の立つ上気した肌が、この上なく艶めかしい。つんと尖った乳首から、ぽたりぽたりと雫が滴る。股間をタオルで隠すこともせず、全てを惜しみなく曝け出している。  薫の熱視線に気付いた肇は、見過ぎだと言わんばかりに微笑を浮かべる。「ごめん」と薫がさっと目を逸らして俯くと、肇はくつくつと楽しそうに笑った。      夕食は部屋でゆっくり食べた。旬の蟹料理に舌鼓を打ち、酒も入ってほろ酔いのいい気分である。  薫は酒が得意ではないが、浴衣姿の肇があまりに色っぽく、無防備な胸元も開けた裾も目の毒になり、どうしたらいいのか分からなくなって、つい飲み過ぎてしまった。肇の和装は新鮮なのに懐かしさがあって、見ているだけで妙な気分になる。きっと、初恋を思い出すからだ。  食事の後、客室付きの露天風呂に入るつもりだったのに、薫はすっかり眠ってしまった。仲居さんが敷いてくれたふかふかの布団でごろごろしながら、見慣れぬテレビ番組を流し見しているのが気持ちよくて、気付けば熟睡していた。  微かな衣擦れの音に、薫の意識は覚醒した。薄く目を開ける。銀の月明かりが差す窓辺で、肇が帯を解いていた。   「まだ起きてるの?」    薫の声に、肇はびくりと肩を揺らした。   「お前こそ、起きてたのかよ」 「今起きた」    部屋はとっくに消灯している。床の間の行灯だけがぼんやりと明るい。銀の月明かりに照らされて、肇の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。芸術品のように美しい。神秘的で、神聖ですらある。   「ねぇ、ちょっと」 「何だよ」    帯を締め直そうとした肇の手を、薫は少々強引に握った。腰を抱き寄せて、乱れた衿元にそっと手を滑り込ませる。   「ん……起きて早速かよ」 「だめ? 肇もそのつもりだったでしょ」    美しい黒髪はしっとりと湿っているし、肌は熱いくらいに火照っている。かり、と乳首を引っ掻くと、肇は軽く息を詰めた。   「ごめんね。待たせた?」 「……わけねぇだろ。真純と風呂入ってただけだ」 「えっ、真純まだ起きてる?」 「向こうのベッドで寝てる。家から持ってきたクマちゃん抱っこしてな」 「ふふ、かわいいね」 「大昔に買ったぬいぐるみをいまだに大事にしやがる」 「いいことじゃん。大事にされて、あのクマも喜んでるよ」 「どうだかな」 「今日買ったお土産も、きっと大事にしてくれるよ」 「あんなもん、どこにでも売ってそうだけどな」 「そんなことないって。一応ご当地キャラクターなんだし……」    土産の話をして思い出した。肇に渡そうと思っていて渡せていないものがある。  薫は、カバンのポケットからそれを取り出した。小さな白い紙袋だ。昼間訪れた神社の名前が刻まれている。   「これ、僕からの誕生日プレゼントね」    薫が手渡すと、肇は目を丸くして受け取った。   「プレゼントはこの旅行だろ?」 「そうだけど、まぁ、オプションってことで。開けてみてよ」    中身は縁結びのお守りだ。しかも、色違いで三つも。何しろ、あの神社には縁結びの神様が祀られている。縁結びのお守りだけやたらと種類が豊富だった。   「一応、僕が白で、肇が紺で、真純が水色かな~って思ってるんだけど、それぞれ好きな色選んでお揃いで持っときたいな~って」 「なんで三人で持つんだよ」 「だって、この縁を大事にしたいじゃん? 三人でずっと仲良くいられるといいなって。あ、そういう願いでもいいらしいよ。巫女さんにちゃんと聞いたから」 「……」    肇はじっとお守りを見つめている。喜びとも悲しみとも取れる表情だ。もしや判断を誤っただろうか、と薫は気を揉んだ。  肇の誕生日に旅行をプレゼントする。半分本音で、半分は建前である。もう半分の本音は、肇を気分転換に連れ出したかったのだ。  毎年冬になると、肇は塞ぎ込むことが増える。奥さんの命日が近いからだ。墓参りの晩に一人でこっそり涙を流していたのを、薫は知っている。知っていて、何もできずにいた。  冬に楽しい思い出が増えれば、もう少し楽しい気分で冬を越えられるんじゃないだろうか。そう思って、薫は今回の旅行を計画した。  しかし、縁結びのお守りはまずかっただろうか。奥さんとの縁を切って薫と縁を結べと迫っているように思われても仕方がないかもしれない。もちろん、薫にそんなつもりは毛頭ないのだけれど。   「……気に入らなかった?」    薫は恐る恐る尋ねた。   「……いや」    肇はお守りに目を落としたまま、ふっと頬を綻ばせる。   「悪くねぇ」    そして、大事そうにカバンに仕舞う。   「悪くねぇから、付き合ってやってもいいぜ」    肇は、妖艶な微笑を唇に湛えた。

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