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6話・キス禁止令

 ついに約束の日がやってきた。  朝イチで中庭に行くと、伊咲センパイはいつものベンチではなく傍らの木に寄りかかっていた。俺の来訪に気付き、視線がこちらに向く。会うのは一週間ぶりだ。この後のことを考えると真正面から顔が見られない。 「やめるなら今のうちだけど」 「やめません!」  咄嗟に否定すると、伊咲センパイは「そう」と素っ気なく呟いた。 「今日は何限まで?」 「三限っす」 「じゃあ終わったらこの住所に来て。場所は分かるよね?」  緊張で汗ばむ手のひらをズボンで拭ってから、差し出されたメモを受け取った。 「あの、今からじゃ……」 「講義をサボるような人はきらい」 「は、ハイッ」  そう言われてしまえば逆らえない。きちんと講義に出席したが、正直なにも頭に入ってこなかった。  指定された住所は大学から一駅先にある住宅街に建つ学生向けアパート。もちろん伊咲センパイの家である。平日の昼間だからか人通りはない。近隣の住人はみな仕事や学校などに出掛けているのだろう。 「いらっしゃい獅堂くん」 「お邪魔します!」  浮き足立つ気持ちを抑えつつ、促されるまま玄関で靴を脱ぐ。  実は、このアパートには過去に何度か訪れたことがある。帰り際の伊咲センパイを追いかけ、あわよくば中に入れてもらえないかと考えたのだ。これまでは門前払いされてばっかで一歩も入れなかったが今日は違う。お試しとはいえセックスするのだから、なんと部屋に上がらせていただけるのだ。  はわわ、伊咲センパイのにおいがするぅ。 「獅堂くん、こっち」  玄関で感涙にむせぶ俺の袖を伊咲センパイが引っ張っる。そうして案内されたのは手前の居間スペースではなく奥にある寝室だった。いきなりベッドがあるだけの薄暗い部屋に通され、背負っていたリュックが肩からずるりと落ちる。  いや、臆するな。今日のために男同士のやり方はじっくり調べてきたし、ゴムもローションも持参した。抜かりはない。 「さて、早速始めようか」 「え、あ、ハイッ」  しかし、壊滅的にムードがない。伊咲センパイは普段と変わらず淡々としている。照れたり恥じらったりしてくれればやりやすいのに、そんな素振りは全くない。  先にベッドの端に座り、潔くシャツを脱いで上半身裸になっている。俺が到着する前にシャワーを浴びたようで、長めの黒髪がまだ少し湿っていた。銀縁眼鏡は外され、ベッド傍のナイトテーブル上に置かれている。  ていうか、伊咲センパイの裸を初めて見た。いつもゆったりした服を着ていたから気付かなかったけど、皮膚は青白いしアバラが浮いている。予想以上に痩せている気がした。  俺があまりにもにジロジロ眺めていたからだろうか、気遣わしげに見上げてくる。 「やっぱりやめる?」 「いや大丈夫です、やります」 「そうか」  慌てて着ていたパーカーを脱ぎ、ベッドの上で向かい合って座る。 「では、よろしく頼む」 「は、ハイ。お願いします!」  上半身裸同士で頭を下げ合うってシュールな絵ヅラだなと思いながら、恐る恐る手を伸ばして肩に触れる。そのまま身体を抱き寄せ、唇を重ねようとしたら拒まれた。 「まだ交際前だ。キスはするな」 「は? 俺たち一応両想いになりましたよね?」 「その通りだ」 「じゃあ良くないすか」 「まだ付き合ってない。だから、しない」  セックスするのに?  キス無しですんの?  全く意味が分からないけど、この件に関して伊咲センパイは(かたく)なだ。チャンスを与えて貰っている立場の俺は大人しく従うしかない。  緊張を気付かれぬよう、奥歯を噛みしめて気合いを入れ直した。

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