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19話・問題が多いバイト先
なにがあっても驚くな、と前置きされた上で伊咲センパイのバイト先であるマンションの一室にお邪魔した。
まず、玄関に入ってすぐこの部屋の異様さが窺えた。なぜなら、廊下が塞がるほどの段ボール箱で埋め尽くされていたからだ。人ひとりやっと通れる程度の隙間しかない。
「アイツ、また無駄な買い物して」
先に上がったセンパイが手前に転がる段ボール箱の山をどかそうと試みるが、簡単には持ち上がらず悪戦苦闘している。
「貸してください」
「あ、ありがと」
後ろから手を伸ばして段ボール箱を持つと、伊咲センパイは照れたように頬を染めた。力仕事なら俺の出番だ。存分に惚れ直していただいてかまわない。
しかし、やけに重いと思ったらペットボトルがみっちり詰まっていた。ミネラルウォーターや炭酸飲料を箱買いしているようだ。他にも大小様々なサイズの段ボール箱が乱雑に置かれていた。恐らく届いた端から適当に積んでいったのだろう。とりあえず壁際にキッチリ積み直し、通り道を確保した。
廊下を進んだ先にあるドアの向こう側……リビングは足の踏み場もない有り様だった。宅配弁当の容器、空のペットボトル、新聞紙、雑誌、脱ぎ散らかした衣服などなど。汚部屋 一歩手前の様相だ。
「もう、またこんなに散らかして」
ぶつぶつ文句をこぼしながら、伊咲センパイは更に奥へと進んでいく。
「様子見に来たよ。生きてる?」
伊咲センパイが突き当たりのドアをノックすると、中から真っ黒な塊が飛び出してきた。
「伊咲ぃ~おなか空いたぁ~」
「詩音 、重い。どいて」
「やだ~もう動きたくないぃ~」
ボサボサの長い黒髪と黒の上下スウェットを着た男が伊咲センパイに伸し掛かり、胸元に顔をぐりぐり押し付けている。さすがに見兼ね、襟首を掴んでひっぺがした。
「獅堂くん助かったよ」
「この人が親戚のひと?」
「恥ずかしながらその通りだ」
黒い男はめそめそ泣きながら伊咲センパイに向かって手を伸ばしているが、間に立って接近を阻止した。親戚とはいえスキンシップが過剰なのは見過ごせない。
しばらくグズグズしていた黒い男は突然バッと顔を上げた。鼻を鳴らしながら辺りを見回し始める。
「甘い匂いがする!」
匂いの元を探してリビング内をウロつき始める黒い男の姿はまるで獲物を求める野生動物のようだ。
そして、ついに匂いの元を発見した。
手土産代わりに持参した俺特製プリンである。リビングのテーブルの上に保冷バッグごと置いておいたもの。黒い男はよだれを垂らしながら、保冷バッグとこちらを交互に見ている。
「……良かったら食べます?」
「いいの!?」
もともと差し入れのつもりだったのだ。保冷バッグからプリンの容器と使い捨てスプーンを取り出して手渡すと、黒い男は勢い良く食べ始めた。
「あまい、おいしいぃ」
「そりゃ良かった。まだありますよ」
「食べるぅ~!」
甘いものに飢えていたようである。彼は持参したプリンを全て食べ尽くすと、ようやくひとごこちついたようで落ち着きを取り戻した。
「伊咲、この人だれ?」
「前に話しただろ。恋人の獅堂くんだよ」
「ああ、例のしつこい後輩クンか~」
今さらながらに問われ、伊咲センパイはあきれ顔で俺を恋人だと紹介してくれた。わあい嬉しい。『例のしつこい後輩』ってところは若干引っかかるが。
「はじめまして、獅堂 静雄 です」
「ボクは扇原 詩音 。プリンありがとね~美味しかったよ」
「お口にあったようで良かったっす」
黒い男……詩音さんは小腹が満たされたからか機嫌が良い。よく見れば整った顔立ちをしている。ボサボサの髪をなんとかすれば伊咲センパイに似ているかもしれない。
「珍しい。詩音が初対面の人に懐くなんて」
伊咲センパイの言い様から察するに、詩音さんはかなり人見知りするタイプなのだろう。餌付けが成功して、期せずして気に入られたようだ。
「それより、なんか急ぎでやらないといけないことがあるんじゃないっすか」
「あっ、そうだった!」
俺が指摘すると、伊咲センパイが詩音さんに掴み掛かった。
「また担当さんからSOSが来たぞ。締め切り迫ってるのに全然連絡つかないって」
「締め切り? なんかあったっけ」
「作業部屋のスケジュールボードに予定書いておいただろ! スマホにもリマインド通知いくように設定しておいたのに!」
「スマホどっかいっちゃってさ~」
アハハと呑気に笑う詩音さんと、青スジを浮かべて小言を繰り返す伊咲センパイ。薄々気付いてはいたが、詩音さんは相当ズボラな人らしい。
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