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25話・聞きたいこと
交差点で信号待ちしていたスーツ姿の男はこちらに気付き、手にしていたスマホを上着のポケットにしまった。そして笑顔で歩み寄ってくる。
「よぉ、伊咲じゃないか。久しぶりだな」
「た、田賀 先輩……」
田賀と呼ばれたスーツ姿の男は、俺たちのそばまで来ると伊咲センパイの顔を覗き込むように身を屈めた。後ろに撫で付けられていた髪が一房さらりと落ちる。背が高く、目付きは鋭いが、笑うと人懐こく見えた。
「オレの卒業以来か? 半年振りだな」
「は、はい。先輩も、お元気そうで……」
親しげに話し掛けられているにも関わらず、伊咲センパイの表情は硬い。無理やり笑おうとして失敗している。声も僅かに上擦っていて、彼が緊張しているのだとわかった。
故に、無関係だが割り込ませてもらう。
「あれ、知り合いっすか。どうもー、伊咲センパイにはいつもお世話になってまーす」
さりげなく二人の間に割り込み、笑顔で明るく話し掛ける。田賀は一瞬眉間にシワを寄せたが、すぐ笑顔に戻った。
「キミは?」
「大学の後輩の獅堂っす。『田賀先輩』はこんなところでなにしてるんすか」
「仕事だよ。取引先が近くにあってね」
「へえ、お疲れ様です」
別に詳しく聞きたいわけじゃない。とにかく伊咲センパイと二人で会話をさせたくないだけだ。
「お仕事中なら長話はマズいっすよね」
言いながら、田賀の背後にちらりと視線を投げる。少し離れた場所に先輩社員らしき人物が所在なさげに立っていた。彼は仕事中にも関わらず私的な会話をする新入社員、田賀を叱ることもせず黙って見守っている。そこに少しだけ引っ掛かった。
「お仕事の邪魔しちゃ悪いし、行きますか」
気遣いを装って会話を打ち切り、伊咲センパイの肩を軽く叩くと、彼は「そうだね」とぎこちない表情で頷いた。
「んじゃ失礼しまーす」
「ああ。また」
話は終わりとばかりに頭を下げ、伊咲センパイの腕を引く。田賀は笑顔で踵を返し、先輩社員と合流して交差点の向こうへと歩いていった。
後ろ姿が建物に隠れて完全に見えなくなった辺りで伊咲センパイが安堵の息をもらした。
「さ、帰りましょ」
「うん」
アパートまでの道中、伊咲センパイはずっと俯いて黙っていた。明らかに様子がおかしい。原因は間違いなくあの男だ。
色々と聞きたいことはあるが、まずは伊咲センパイのメンタルをどうにかせねば。さっきから彼は自分からはなにも話そうとしない。
「晩メシなに食べたいっすか。さっきの店でパスタ食べたから、次は和食がいいかな。なんでも作りますよ」
「うん……」
話し掛けても上の空。俺の問い掛けに対し、たまに「ああ」とか「うん」とか相槌を返すだけ。
伊咲センパイがこんな風になる相手なんか一人しか思い浮かばない。恐らくアイツが『例の先輩』だ。
だが、解 せない。
なぜ田賀は笑顔で話し掛けてきた?
自ら別れを告げ、噂まで流して遠ざけた相手と道端でバッタリ顔を合わせたとしても無視して立ち去れば済む話だ。わざわざ近付いてくる意味がわからない。しかも、笑顔で親しげに。伊咲センパイが困惑するのも当たり前の反応だろう。
アパート前に着くと、伊咲センパイはようやく俺を見た。酷い顔だ。かろうじて泣いてはいないが目元が赤くなっている。
「悪いけど、今日はもう帰ってくれる?」
言うと思った。
どうでもいい相手ならすぐにでも置いて帰るが、伊咲センパイは俺の大切な恋人だ。恋人がこんな顔をして辛そうにしている時に一人になんてできるか。
「嫌です。帰りません」
「獅堂くん、お願いだから」
聞き分けの悪い俺に対し、伊咲センパイは眉を下げた。困らせたいわけじゃない。ただ寄り添いたいだけ。
彼の手の中にあるアパートの鍵を奪い、ドアを開ける。唖然とする彼の腕を引いて中に入り、すぐに施錠した。
「ちょっ、獅堂くん!」
当然抗議されたが、全部聞き流して部屋に上がった。勝手知ったるなんとやらでキッチンに入り、お湯を沸かす。
「……なんで言うこと聞いてくれないの」
途方に暮れた声が背後から聞こえてきたので振り向く。俺の手には淹れたてのコーヒーがふたつ。それをダイニングテーブルに並べ、前回お邪魔した際に買い置きしておいたクッキーを皿に盛って出した。
「外は寒かったっすよね。ひと息つきましょ」
「……、……うん」
なにを言っても無駄だと思ったか、伊咲センパイは観念して俺の向かいの椅子に腰掛けた。おずおずとコーヒーカップに手を伸ばし、両手で持つ。陶器のカップ越しに温かさが伝わったのだろう。強張っていた伊咲センパイの表情が少しだけゆるんだ。
「俺ね、どうしても聞きたいことがあるんですよ。教えてくれません?」
カップがソーサーに当たり、かちゃんと音を立てた。彼の動揺が目に見えるようだ。安心させるように明るい笑顔を向ける。
「伊咲センパイの誕生日っていつですか」
「えっ……」
伊咲センパイが目を丸くした。
「僕の、誕生日? なんで?」
「千代田に良い店教えてもらったし、せっかくなら特別な日に行きたいじゃないですか」
この流れなら絶対田賀のことを聞かれると思って身構えていたのだろう。肩透かしを喰らって固まるが、すぐにホッと息をついた。
「……じゃあ、獅堂くんの誕生日も教えて」
「もちろん!」
はにかんだ笑みが伊咲センパイの顔に浮かぶ。やっと俺の大好きな表情になった。
ちなみに、二人とも今年の誕生日は過ぎていた。
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