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32話・歪んだ男

 俺は伊咲センパイの笑顔が好きだ。  ()ねてふくれた顔も好き。  気持ち良くてとろんとした顔も好き。  だから、悲しい顔や苦しむ顔が好きだという田賀の発言がまったく理解できなかった。 「あ、アンタは伊咲センパイが好きで付き合ってたんだよな……?」  思わず尋ねると、田賀はすぐに肯定した。 「伊咲から告白してきたんだ。ちょうど前の女と別れたとこだったし、男にしちゃ顔も綺麗だし、付き合ってみるのも面白いかと思ってな」  伊咲センパイから告白したのか。ちょっとショックだ。  客観的に見て、田賀はカッコいい部類の男だと思う。身に付けている衣服や小物は洗練されているし、自信家で男らしいところに伊咲センパイは惹かれたのだろう。 「たまに伊咲の部屋でダラダラ過ごすくらいだったが、それでもアイツは嬉しそうにしてたぜ」  コイツ、伊咲センパイんちに上がったことがあったのか。だからアパートの場所を知っていたんだな。くそ、妬ける。 「付き合って何もしねえのもおかしいかと思って手ェ出したら男相手だと意外とヤるのが面倒くさくてな、()えた」  以前聞いた話と一致した。  初めてのセックスは失敗に終わった、と。 「でも、その時に初めて気が付いたんだ。萎えてヤる気をなくしたオレにショックを受ける伊咲の顔がものすごく(そそ)るってな」 「……は?」  さっきからひとつも同意できない。  俺がおかしいのか? 「セックスできなくても、伊咲はオレに必死に尽くしてきた。本当は抱かれたいだろうに必死に慣れない奉仕をして。オレだけ射精しても満足そうにするもんだから、捨てた。(すが)ってきても追い払った。そしたらずっと辛そうな顔のまま。オレの大好きな伊咲の表情がいつでも見れるようになったってワケだ」  嫌いになったとか抱けないからではなく、悲しい顔を見たいという理由で伊咲センパイを捨てたのか。  愉快そうに声を上げて笑う田賀を、俺は冷ややかな目で睨みつけた。伊咲センパイの涙と苦悩はこんな男を喜ばせるための道具なんかじゃない。 「オレが卒業してからも、伊咲は一緒によく過ごした中庭に入り浸っていた。オレとの思い出に浸りながら寂しく大学生活を送る伊咲の写真を見るたびに心が満たされたよ」  大学に入学してすぐの頃、ひと気のない中庭に迷い込んだ俺は伊咲センパイと出会った。物憂げで寂しそうな瞳に惹かれ、ひと目で恋に落ちた。  あの表情は、コイツを想っていたからだったのか。  盗撮犯に命じて送らせた写真を見て、コイツは悦に浸っていたのだ。自分を想って孤独に過ごす伊咲センパイの姿を。コイツとは分かり合えそうにない。 「アンタ、良い趣味してるな」  嫌味と皮肉を込めて吐き捨てる。田賀は俺から向けられる嫌悪の眼差しすら喜んでいるように見えた。 「でも、いつからか伊咲の顔から悲しい表情が減った。おまえが中庭に現れるようになってからだ」  ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべたまま、田賀は俺に歩み寄る。手を伸ばせば届く距離まで近付くと足を止めた。 「楽しそうな伊咲には興味はないが、ふと思いついたんだ。新しい恋人ができた後に抱いてやったらどういう反応を見せるか、ってね」  前回の遭遇は偶然なんかじゃない。伊咲センパイの帰宅ルートを知った上でわざと通り掛かったんだ。仕事中の偶然を装い、さりげなく。  もしかしたら、俺が気付いていないだけで今までにもニアミスしていたのかもしれない。 「……悪趣味にもほどがある」  田賀の歪んだ性癖によって、伊咲センパイはずっと苦しめられてきた。放っておけば今後も事あるごとに関わってくるに違いない。現在の恋人である俺が終わらせなくては。  コイツに当たり前の説教が通じるとは思えない。価値観が違うのだから、伊咲センパイの気持ちを考えろと諭しても無駄だ。  どうしたものかと悩んでいると、不意にポケットの中のスマホが震えた。着信だ。田賀を睨みつけたままスマホを取り出して画面を見れば、発信元は伊咲センパイだった。 『獅堂くん、助けて』 「伊咲センパイ!?」  伊咲センパイの助けを求める言葉と小さな悲鳴が聞こえ、争うような物音の後に通話は途切れた。田賀はここにいるのに何故、と疑問に思っているのが顔に出ていたんだろう。田賀がクッと愉快そうに笑った。 「新しい恋人がいるのに他の男に犯されたら伊咲はさぞ絶望するだろうと思ってな。今日はそういうのが趣味の奴を連れて来ていたんだよ。さあて、今頃どうなっているかな?」 「……テメェ!」  田賀を殴る前に伊咲センパイを救い出さねばならない。俺は慌てて公園を飛び出し、全力疾走でアパートまで戻った。  玄関先には買い物袋の中身が散らばり、ドアは半開きの状態だった。俺が置いていったものだ。回収するためにドアを開けた際に何者かが部屋の中に押し入ったのだろう。怒りと焦り、そして自分の迂闊さを後悔しつつ室内に飛び込む。 「伊咲センパイっ!」  リビングのカーテンは一部が破れ、テーブルの上にあった皿やマグカップが床に落ちて割れていた。だが、伊咲センパイの姿が見当たらない。  奥に進み、寝室のドアを開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。

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