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33話・元カレとの対決

 争った形跡を見て、俺の背筋にぞわりと冷たいものが落ちた。頭に浮かぶ嫌な想像を振り切って室内へと足を進める。  伊咲センパイの姿を探して奥にある寝室のドアを開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。 「こ、これは……」  寝室の床には見知らぬ男が転がされ、 伊咲センパイが馬乗りになって押さえつけていた。男は意識を失っているようで、ぴくりとも動かない。一応生きてるよな? 「獅堂くん、ちょうど良かった。なんか縛るものない? 僕いま動けなくて」 「へ? アッ、はい」  さっきの『助けて』は男を拘束しないと身動きが取れないからだったのか。  とはいえ、使えそうな(ひも)やロープなんか持ち歩いてはいない。少し考えてから、ズボンからベルトを外して男を後ろ手に縛り上げた。これで意識を取り戻しても抵抗できまい。  ひと息ついた後、なにがあったのか尋ねた。 「君が田賀先輩とどこかに行った後、玄関の外にあった買い物袋を取りに出たらいきなりこの男が入ってきたんだよ」 「俺のせいっすね、すんません」  やはり、俺が買い物袋の回収を頼んだせいで男の侵入を許してしまったのだ。 「ううん、コイツの格好を見て。たぶん宅配業者のフリしてドアを開けさせるつもりだったんだと思う。どちらにせよ侵入されていたよ」  確かに、男の服装は大手運送会社の作業服によく似ていた。インターホン越しならばきっと気付かず応対してしまう。やはり今回は計画的な犯行だったようだ。 「なにもされてないっすか。怪我は?」 「大丈夫。急だったから手こずっちゃったけど、ブン殴って返り討ちにしたよ」  わあ、カッコいい。惚れ直した。  華奢で綺麗な顔をしているが、伊咲センパイは意外と武闘派なのである。簡単に()じ伏せられると侮った結果、男は敢えなく倒されたというワケだ。  しかし、俺の目は伊咲センパイの額がわずかに赤くなっていることに気付いた。すぐさま両手で頬を掴み、こちらに向かせる。 「どっどうしたんすかコレは!」 「え? ああ、掴み掛かられた時に避けそこなっちゃって。ちょっと腕がかすっただけで痛くはないよ」 「すぐ冷やしましょう! ていうか、コイツのせいっすよね。とりあえず警察呼びますか」  不法侵入の現行犯である。部屋も荒らされているし、何より伊咲センパイに危害を加えている。さっさと通報して逮捕してもらわなくては。  俺がスマホを取り出すと、何者かの手がそれを制した。 「!……テメェ……」  しれっと寝室内に入り込んできた田賀を見て、伊咲センパイはサッと青褪(あおざ)めた。言葉を発することもできず、窓際まで後ずさる。 「伊咲」 「ひっ」  声を掛けられ、伊咲センパイは喉の奥から小さな悲鳴をあげた。先ほどまでの勇ましさは消え去り、小刻みに震えている。 「後輩くんさえ来なければ、オレとこの男の二人掛かりで伊咲を可愛がってやるつもりだったんだがな」  挑発的な田賀の言葉に、俺の額に青筋が浮いた。  伊咲センパイは過去に捨てられたトラウマのせいで田賀の前では思うように動けなくなる。つまり、田賀がいる場では抵抗もままならないということだ。もしあの時、俺がアパートに着く前に玄関を開けていたらどうなっていたか。 「伊咲。おまえはオレに抱いてもらいたかったんだろ? 今なら抱いてやるぞ」  傲慢な田賀の態度に怯え、伊咲センパイは震えながら首を横に振った。 「オレが仕込んだキスやフェラチオで後輩くんを骨抜きにしたのか? あんなにオレを好きだと言っておきながら、たった一年やそこらで他の男に心変わりをして股を開いたのか? やっぱりおまえは男好きのビッチだったんだな」 「ち、ちが……」  (あざけ)りの言葉を否定したくても、伊咲センパイは思うように喋れない。代わりに抗議のために田賀の胸ぐらを掴むと、奴は余裕の表情で真っ直ぐ俺を見返した。 「殴るのか? やってみろ。暴行で訴えてやる」 「伊咲センパイんちにこの男を不法侵入させたのはテメェだろ。しょっぴかれるのはテメェらのほうだ!」 「伊咲はビッチで有名だ。男同士の痴情のもつれに首を突っ込むほど警察は暇じゃない」  訴えられても勝算があると踏んでの犯行か。  そもそも、伊咲センパイがビッチだという噂は事実無根である。嘘の噂を流した張本人は田賀だ。コイツはどこまで伊咲センパイを(おとし)めれば気が済むんだ?  とっくに切れてる堪忍袋の緒をブン投げる。 「警察は取り合わなくても、世間体を重んじる名家はどうっすかねえ」 「……なんだと?」  田賀が片眉を上げて反応を示した。 「アンタ、結婚が決まってるんだろ? そんな大事な時期に問題を起こせば最悪破談になるかもしれないっすよ」  痛いところを突かれたからか、反論せず黙り込む。俺がどこまで知っているのか探っているようだ。だったら全部ブチまけてやる。 「アンタの会社、ここ数年経営ヤバいんでしょ。資金援助の見返りに婿入りなんて涙無しでは語れませんね。百瀬(ももせ) 眞耶(まや)さんと結婚する前に羽目を外したかったんすか? 入籍前ならセーフだとでも? 婚約が正式に決まって油断したんすか?」  婚約者の名前を出すと、田賀は明らかに動揺を見せた。額には脂汗が浮かび、落ち着きなく視線を彷徨わせている。 「なぜそれを。おまえは百瀬家の関係者か? いや、まさか、伊咲のそばにいたのは調査のためだったのか」  どうやら俺を身辺調査員かなにかと勘違いしているようなので、更に追い討ちをかける。 「伊咲センパイが男好きのビッチだとかいう根も葉もない噂を流したのは(てい)良く別れるための方便だったんだろ。周りを味方につけて伊咲センパイとの関係を断つために。見合いをする前に男の恋人がいた事実ごと消そうとした。違うか?」 「くっ……」  これは俺の推測だが、どうやら当たっていたらしい。百瀬家からの身辺調査を警戒して対処した結果、なにも知らない伊咲センパイだけが泥を引っ被ったわけだ。 「今まで通りの生活を送りたかったら金輪際伊咲センパイに近付くな。次になにかあれば全力で潰してやる」  これだけ釘をさしておけば余程の馬鹿じゃない限り二度と伊咲センパイに手を出さないはずだ。  気絶していた男を叩き起こし、呆然自失状態の田賀と共にタクシーに突っ込んで帰らせる。走り去るタクシーを見送ってからアパートのほうに向き直ると、伊咲センパイが正面から抱きついてきた。 「獅堂くん、ありがとう……!」  伊咲センパイは泣き笑いの表情で俺の胸に顔を埋め、何度も何度も感謝の言葉を繰り返した。

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