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兵どもが夢の跡
これは、ええっと、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの『スティング』のテーマソング。またバカラックか。
「ホーボーケンのサッチモが泣くぜ。1920年代のラグタイムだ」
「そうだっけ?」
軽く首を傾げるのと同時に肩へ受話器を挟み直すと、エリオットはデスクに乗せたスマートフォンの保留を解除した。「ああ、お帰り……染み抜きはしたんだろうな? 乳製品とか最悪だろう、早いうちにクリーニングへ持っていけよ……アーモンド・ミルクね」
パソコンの画面へ開きっぱなしにしているzoomの中、ウォール街の株式仲介人並も驚く騒がしさで喚いているゴードンに目配せする。あちらは市長付オフィスで2つの固定電話を占領し、尚且つスマートフォンと用いて通話を続けていた(その内一回線には4人も詰め込む大混乱だった)
「ギル・ジョビンがカフェラテにアーモンド・ミルクを入れて飲んでる」
「はあ? トランプが再選したら、神への感謝を表明してヴィーガンになるって言ってたんじゃ無かったのかよ」
「前倒ししたんじゃないか」
「世も末だろ……アーモンド・ミルクじゃない。バーリング・タップ! 電解片研! 綺麗な奴頼むぜ、何せ入り口からも見える、ジェットコースターの一番目立つ場所に使うんだからな」
呑気な古のジャズが止まり、現れた男は朗報を持って現れる。メモを引き寄せると、エリオットはこのデスクの本来の持ち主、客用カウチで小さくなってタブレットを抱えるモーを手で招き寄せた。
「あ、そう? 助かるよ。この礼は必ず……分かってる、名前は間違えない、秘書だね……しかし、今時レオナルド・ディカプリオと彼位だな、寝る相手に年齢制限を設けてるなんて」
メモに内容と連絡先を書き付け、差し出す。そこにモーが電話を入れる。今日一日で20度は繰り返しているやり取りだが、のんびり屋の秘書は書き付けを一頻り眺め渡すと、しょんぼりした顔のまま指で叩く。分かっている、昔から字が汚いと、学校でもシンクタンクでも、ハリーにすら言われてきた。
「ウォレスさんね。このまま読み上げるだけでいいから……」
「カンパヴェルデは駄目だ、マレイに義理立てしてるって!」
飛び込んできたヴェラスコは、本来そのまま「もうくたばったのに」とでも続けるつもりだったのだろう。だが受話器を抱えたエリオットを見て、ぐっと唇を噛む。
「悪い」
「あわよくばと思ったが、予想はついてたよ。無駄足踏ませて済まなかった……帰ってすぐで悪いけど、ゴーディがあと10分でジェットコースターの鉄骨については押さえる」
「クソッタレ、やりゃあ良いんだろ、やりゃあ!」
「悪いね、ゴーディ。ヴェラは戻ってすぐに申し訳ないけれど、今からトリファー建設のフォルト氏を連れて、ミラコン・スチールへ行ってくれ。彼に検品して貰って、すぐに積み込めば……」
エリオットが打ち込むスプレッドシートの内容を目で追いながら、ヴェラスコはふうと太い息をついた。
「明日には工事再開か」
「その前にストをどうにかしないと……ゴーディ」
「分かってるって、あと30分したら出る!」
「30分で間に合うか? ……ギル? ああ、何とか行けそうだけど」
ブラーブラーブラー、無駄話は後の付き合いを円滑にするが、今回ばかりは早めに切り上げる。コートを脱ぐ事もなく駆け足で踵を返したヴェラスコを見送りながら、エリオットはまず固定電話の受話器を下ろし、そしてスマートフォンでの通話を終了する。いや、先程コールバックがあった、あれは誰だったか……なるほど。
「あいよ、ミラコン一丁上がり! そっちはどうだ」
「ギルに飲ませた。万が一の場合、ロングホーン・インダストリーから作業員が向かう」
「ここまで来てスト破りなんざさせるかよ」
スマートフォンをデスクへ投げつけ、ゴードンは4時間前に持ち込んで以来一度も口を付けていないタンブラーへ手を伸ばした。
「だから共和党優位の街に来るのは嫌だったんだ。田舎っぺのリベラルキャピタリストどもめ、西部開拓時代に帰れ帰れ!」
着信履歴によるとほんの数分前に掛けてきただけなのに、折り返したシンクタンク時代の昔馴染みは電話を取らない。「こちらは、留守番電話サービス……」
通話終了アイコンをタップした頃に、伝言ゲームを終えたモーが、引き続きのそのそした身のこなしで近付き、もそもそ口の中で言葉を転がす。
「コンサルタントやロビイストって、日常的にこんな調子で仕事をしてるんですか」
「さあ、君はどうだった、ゴーディ」
「バックに付いてる企業がどれだけ大物かによるさ、そりゃ」
テキストの着信音に、ゴードンは一度スマートフォンを取り上げたが、結局すぐ伏せた状態でデスクへ戻してしまう。
「いや、お前の回す仕事は忙しかったよ……ああ、くそっ。でも正直、久しぶりに昔を思い出した。いっそすがすがしい位だ」
「40歳を超えたら、1週間の平均睡眠時間が3時間を切るとかなり堪えるな。4時間なら90パーセントの稼働水準を維持できる。いい勉強になった」
「寝不足は何の自慢にもなりませんよ」
普段は綺麗に整理整頓されているデスクも、闖入者のお陰で書類やらデバイスやらが散らばり、見るも無惨な有様だった。隅の方の空白で自らが見ていた書類をとんとんと揃えながら、モーは首を振った。
「ここの所のあなた達を見てて思います。お2人はこれまで、一緒に数多の難題を解決してきたんですね。まるで夫婦みたいに息がぴったりだ」
「夫婦ねえ」
もう少しガーガー喚くものだと予想した。けれどモニターの中のゴードンはかったるそうな顔で鉛筆を弄るばかりだった。
「生憎、俺はこいつといる時は勃たねえよ。市長サマに助太刀願えれば別だけどな」
カメラ越しにも、モーが動きを止め、耳をそばだてている様子ははっきりと視認できる事だろう。にやりと捻じ曲げられた口髭とその下の唇の形は意地悪でもない、挑発でもない。エリオットに言えるのは、一つだけ。自らは、今までゴードンの無骨な顔立ちがこんな表情を作る可能性なんて、想像したことすらなかった。
「ハリー、サンドイッチにされて、滅茶苦茶興奮してたぜ。ケダモノみたいな善がりようだった」
台詞と裏腹に、深められた笑みは徹底的にだらしなく、退屈さを隠しきれていない。
「お前はヴェラとしたこと無いのか」
やめておけよ、あんまり悪趣味だ。普段ならば、そうさっさと話題を切り上げさせ、再び己のやるべき仕事へ戻るだろう。けれどエリオットはデスクに頬杖を突き、極限までいきり立っているペニスじみた直立を保つモーに、眼鏡の奥から笑いかけた。
「君とハリーは、擬似的な恋人同士じみた関係だね。余り刺激が強過ぎるのは、相応しくないかな」
「馬鹿言え。こいつがハリーに惚れてようと腫れてようと、何だってかまやしないんだ。全てはハリーが気持ちよくなれるかなんだからな」
エリオットが戯言を云々する時はひたすら畏っているが、ゴードンに笑われると、この海兵は覚醒する。デスクが軋むことなどお構いなく、天板の端へ腰を下ろして、モーは腕を組んだ。
「俺のは大きいので、2人で挿れたらハリーが怪我をします」
「出たぞ、巨根自慢」
スピーカー越しではひび割れて聞こえる、ゴードンのふざけた歓声へ被せるよう、エリオットは笑い声を上げた。
「随分ハードなプレイがお好みだな。別に二本挿しばかりが3人でやる遊びじゃない。君は口でお相手してもらったら」
「いや、いっそハリーがヴェラに突っ込んじまえば良いんだ。前から狙ってるって、ずっと言ってるぜ……それとももう、儚く散らされちまったのかな」
疲れ果てた心身を酷使する言葉遊び。お互いの舌から離れた途端、アルファベットの一文字一文字が棘となり、相手を打ちすえる。
昔はよく、こんな暇の潰し方をしていたものだけど。今の己達は、シンクタンク勤めではなく、ロビイストでもない。イーリング市の市長、ハリー・ハーロウに仕える身分だ。
とにかく冗談の通じないモーが無言で腰を上げ、部屋を出て行き10秒。あと30秒もしないうちに、彼の姿は目の前の画面へ現れるだろう。ゴードンはコート掛けからトレンチコートを引ったくって着込み、高跳びの準備を整える。果たして、笑うのはどちらなのか。
例えそれが廊下の端から端まで響く高笑いであったとしても。断言出来るが、この場にいる誰一人として、今を楽しんでいない。
勿論この中には、隣室に籠って一部始終へ耳を傾けていただろう渦中の市長も含まれる。
据付インカムのボタンを押し「山場は超えたよ」とエリオットが告げれば、ハリーはドア越しに聞かせる為の大声で「いいからこっちに来い」と怒鳴った。
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