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夜嵐(2)

「お兄様、お疲れでしょう。こちらにお座りになって」 「ありがとう、クリス」  蝋燭の薄明かりの中、何よりも可愛い妹に手招きされ、シェルは素直に頷いた。今夜は何も起こらないだろうという楽観と、慣れない剣の重さから来る疲労が、護衛番の警戒心をほどいている。扉の外、廊下に陣取っている従兄弟たちも同様で、何名かは部屋に引き揚げたようだ。  数代ぶりの后狩り、しかもユングリングに連なる者がその標的となったことは過去になく、一族の者たちも護衛番の勝手がわからない。皇帝が視察から帝都に戻ったのは昨日、不在にしていた間の政務も溜まっているだろう。后狩りがいつ行われるかわからない以上、護衛番は数週間の長丁場を覚悟しなければならない。  つくづく、不合理で野蛮で迷惑な慣わしである。 (あの方が厭われるすべてを含有する蛮習なのに、何故后狩りなどをお考えになったのか……)  使いを立て婚姻を申し込めば、智勇に優れた若き皇帝の求婚を拒む家などないというのに。 (いや……クリスをよく知るからこそ、后狩りを思い立たれたのだろうか)  家柄はこの上なく教養も高く、穏やかな気質で、どこを取っても皇后に相応しい姫でありながら、クリスティーナには欠けているものがある。後宮の要となり、十人の妃たちを束ねる覚悟だ。全員が年上で皇子皇女を儲けている彼女たちの上に立つのが、クリスティーナには恐ろしく、憂鬱でしかないのだ。  この国の有力者は妾を持つのが当たり前で、父である大公も正室以外に何人もの妾を持っている。シェルとクリスティーナは同母兄妹で、母は正室だったが、寵を競う妾たちの諍いを身近に見て育った。父大公に溺愛され、掌中の珠と育てられたクリスティーナを直接害する者はいなかったが、それでもおっとりした妹が、皇帝の後宮に入ることを恐れるようになるほど、十分に陰湿だったのだ。 「今夜はもう遅いわ、お兄様もお寝みになって」 「そうだね、クリスも疲れたろう。僕はこの長椅子を借りるよ」 「まあ、それではお疲れが取れないわ」 「万一陛下がいらっしゃった時に僕がいなかったら、我が家の面目が立たないだろう?」  兄の体を気遣う妹にやさしく言い聞かせたが、クリスティーナは顔を強張らせて口を噤んでしまった。  門柱に白羽の矢を立てられてから、妹は入宮を嫌がり泣き暮らしていたという。シェルが帝都に戻ってからは、その看病と再会の喜びに涙を見せることはなくなり、側付きの者たちを安堵させていたが、皇后の位に登ることを納得したわけでも、覚悟を決めたわけでもないようだ。 「ねえ、クリス。後宮を厭う気持ちはとてもよくわかるけれど、陛下に見初められるのはとても名誉なことだ。あの方は、優秀な者しか側に置かない。ただ美しいとか家柄が高いとか、そういう理由でクリスを選ばれたのではないはずだよ」 「わたくしはそうは思いませんわ」  普段は聞き分けのよい妹がすかさず反論したことに驚き、シェルは目を瞬かせた。蝋燭の灯りを映しているせいか、妹の黒い瞳は怒りにきらめいているようにも見える。  その沈黙を突いて、クリスティーナは言い重ねた。 「だって即位なさる時、お兄様を侍従から外されたじゃありませんか」 「クリス……」  皇太子付きの侍従はみな、主人の即位とともに皇帝付きの侍従となった中、唯一シェルだけが職を解かれ、皇宮内に与えられていた私室も失った。一年前のことだ。  それは、新帝の信を失ったことを意味していた。

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