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第1章⑤

――…キュウ太郎。やっぱり、如月久弥大尉じゃないんだ。  晴は失望を隠せなかった。薄々予想していたことだったが。やはり、青年は如月久弥ではなかった。苗字こそ同じだが――いや。  苗字も同じ、姿形もそっくりなら、親類ではなかろうか。  兄弟や従兄弟なら、あり得なくもない。 「キュウ太郎さん。親戚に、久弥という名前の人はいないか?」 「ひさや? うーん、どうかな。うーん……」  青年――久太郎は腕を組んで目をつむる。思い出そうとしているらしい。しかし、その途中で頭が前後にぐらぐらと揺れ出した。 「おい、大丈夫か?」  晴は思わず尋ねた。 「え? うん、大丈夫、大丈夫…」 「…とても、そうは見えないんだが」  むしろ、ここでひっくり返ってしまいそうだった。大層、不安だ。 「大丈夫だってー。家は歩いてすぐのところだし。そういや、鈴木くんはこの近くに住んでるのかい?」 「いや、近くはない」 「どこ?」 「伊丹(いたみ)飛行場の兵舎だ」 「伊丹飛行場? ――って、大阪空港がある伊丹?」  『くうこう』が何を指すか、晴はわからなかったが、とりあえず頷いておいた。  それを見て、久太郎の顔が曇った。 「あちゃあ。もう終電、出た後だよ」 「そうなのか?」 「うん。タクシー使うのもありだけど、お金がかかるし…どうしようか」  久太郎が、我が事のように悩む。しかし、それも長い時間ではなかった。 「あのさ。鈴木くんさえよかったら、ウチに来て泊まる?」  晴はその申し出に、目をしばたかせた。  本当なら、できるだけ早く伊丹飛行場の戦隊に戻るべきだ。  しかし、夜の遅い時間で電車もないというのなら、やむを得ない。朝になって帰っても、おそらく叱責されることはないだろう。  それに――このまま、如月そっくりの男と別れてしまうのは、いかにも惜しく感じられた。  ついでに言うと、泥酔一歩手前のこの男を放っておくことに、どうにも危うさを感じていた。このまま再び路上で寝かねない。 「…行っても迷惑じゃないか?」 「全然。俺、一人暮らしだし、気兼ねすることないよ」 「…では、お世話になります」 「よし、決まりだ。じゃあ、行こうか」 「あ。その前に、できたら電話がありそうな場所、教えてくれないか。さっきの駐在所で貸してもらえなかったんだ」 「いいよ。俺のスマホでいい?」 「……すまほ?」  晴は首をかしげる。  久太郎はカバンの中から、ハガキを少し小さくしたくらいの大きさの板を取り出す。その板の側面を指で押すと、一面がパッと光った。  晴はその光に目を細めた。 「妙な懐中電灯だな」 「はは。鈴木くん、そんな格好だし、本当に昔の人みたいなこと言うね。俺のじいちゃんも、前に同じこと言ってた」 「……」 「電話番号、教えて。かけてあげるから」 「…いや、もういい」  晴は諦めた気味に言った。  このキュウ太郎という男。酔っ払いすぎて、懐中電灯を電話の受話器と勘違いしているらしい。晴の部隊にも、酒を飲むと前後不覚になる人間がいた。そいつは休みの日に出かけて夜になっても戻ってこず、発見された時には道ばたの地蔵相手にクダを巻いていた。 ーー本当に、家まできちんと送り届けたほうがいいな。こりゃ。  晴はそう決心した。

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