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第1章⑫

 パソコンを使い始めてから、平田がはじめて顔を上げた。 「如月(きさらぎ)?」 「俺のひいじいさんだった人が、どうも晴くんの上官だったらしいんだ」 「それはまた…すごい偶然だな」  平田は首を振る。それから、いくつかブラウザを確認して、ニッと笑った。 「これはついている。丸山洋次と言う人物が、戦後に回想録を出版している。経歴から見ても、この人物が鈴木君の部隊の隊長で間違いなさそうだーーよしよし、電子書籍版あり。ちょっと高いが、まあいいだろう」  平田は「購入」のボタンをクリックする。決済を済ますと、すぐに本を立ち上げて、晴に示した。画面に、軍服を着て口ひげを生やした男の白黒写真が映し出される。  一眼見て、晴は「あ」とつぶやいた。 「丸山大尉どのだ」 「間違いないみたいだな」  平田は再び、画面を自分の方へ向けた。 「昭和二十年、昭和二十年と…あった。『先日、如月久弥大尉が大阪上空で散華されたため、すみやかに新たな指揮者が必要とされた。私にその任が降った』。これが六月一日のことだね」  平田はキーボードを操作して、ページをめくっていく。  その手が急にぴたりと止まった。  平田が顔を上げ、晴をまじまじ見つめた。薄い色の瞳に、驚愕があふれていた。 「――おいおいおい。どんだけ、手の込んだイタズラだ? それとも、本当に……」  平田は、テーブルのそばに置いてあった飛行帽子と眼鏡を引っつかんだ。 「鈴木君。これをつけてくれ」 「は?」 「いいから、とっとと、つけるんだ!」  その言い方に、晴はカチンときた。母親や姉ならまだしも、初対面の女から高飛車に命令されることに、まったく慣れていなかった。  晴が気分を害したことを察して、久太郎が割って入った。 「平田さん。一体、どうしたんだい? 晴君がびっくりしてるよ」 「私も、びっくりしているな! 驚天動地という四字熟語が、これほどピッタリくる状況は初めてだ!! ーー見たまえ、これを!」  平田はパソコンの画面を、晴と久太郎に示した。  二人の目に最初に入ったのは、ページの左上部に掲げられた白黒写真だった。  写真自体は大きくないし、画質も良くない。  けれども、そこに写っているのが誰かくらいは、すぐに識別できた。  キャプションに書かれた名前は、「鈴木晴伍長」。  紛れもなく、晴だった。  胸より上を写した正面からの写真で、飛行帽子と眼鏡を着用している。  平田は帽子と眼鏡を、晴にあてがった。よく似た別人という可能性は、それで消えた。  白黒写真の男が、眼前の男と同一人物であると、認めないわけにいかなかった。  そして、そんな平田の行為に、晴も久太郎も目もくれなかった。二人とも、写真のそばに書かれた文章に釘付けになっていた。 <――六月二十六日、B-29爆撃機の大編隊が、大阪、名古屋の陸軍造兵廠、さらに各務原や岐阜にある航空機関係の工場を標的として、大規模な空襲を行った。  我が戦隊は、名古屋方面へ向かう途上、津市上空でこのB-29の一部隊と会敵した――…  ――…私は、数機の爆撃機に狙いを定め、攻撃を繰り返した。しかしその最中、鈴木機が被弾し、瞬く間に炎上して、市西部の山中に没した――  ーー…鈴木晴伍長は少飛出身の搭乗員で、第十四期生だった。前任者の如月久弥大尉をとりわけ慕っていたという紅顔の美青年は、亡くなった如月大尉の後を追うようにこの日、若い生命を散らした――> 「…そんな」  久太郎はそう言ったきり、言葉が出てこなかった。  晴の方をうかがう。「紅顔の美青年」と評されたその顔は、蝋人形のように血色を失って青ざめていた。  三人はそろって口を閉ざした。部屋に響くのは、エアコンが稼働する音ばかりだ。  沈黙を最初に破ったのは、平田だった。 「…鈴木君。君、正真正銘、本物の陸軍飛行兵ーー鈴木晴伍長なのか?」  晴から、返事はない。  平田はボブカットにした髪をくしゃくしゃと、かき回した。 「本物と仮定して。この記述が正しいとすれば、今、私の目の前にいる君は、一体どういう存在だ? どう見ても生身の男で、死んでいるようには見えないんだが」 「――晴くんは出撃した後、名古屋に着く前にマッチを擦ったんだ」  久太郎は、晴の話した内容を平田に教えた。 「その時、多分、まだ津市にも到達していなかったんじゃないのか?」 「なるほど。それなら辻褄が合う。鈴木君は、胡散臭いマッチのせいで、八十年後の未来に飛ばされた。後に残された戦闘機は、そのまま飛び続け、米軍機と遭遇して撃ち落とされた。あるいは単に操縦者がいなくなって、そのまま墜落したのかもしれない」 「…俺は、死んだことになったのか」  魂が抜けたような表情の晴に、平田は容赦無く追い討ちをかけた。 「あるいは、死ぬ運命にあったものが、マッチのおかげでそこから抜け出せたのかもしれない。ふむ。そう考えれば、君はとても幸運な人間と言えるな」  平田は言ったが、晴には到底そんな風に思えなかった。  ここは、八十年後の世界だ。晴はこの時代の日本のことを、ほとんど何も知らない。  居場所もない。一緒に飛んでいた仲間たちも、友人も、血のつながった親兄弟もいない。  途方もない孤立感が、襲いかかってくる。  今すぐにでも、元いた時代に戻りたくてたまらなかった。  だが――。 「戻ったら、俺は――どうなるんだ?」 「そいつは、なんとも言えないな」平田が言った。 「あくまで、私個人の見解だが……おそらく、丸山大尉の手記通りの結果になるんじゃないか」 「つまり…」 「君は米軍機によって撃墜され、戦闘機の中で火だるまになって死ぬことになる」

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