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第2章①

 二十分後。下宿の部屋には、晴と久太郎だけがいた。  平田は、すでに帰った後だ。帰ってもらうよう、久太郎が頼んだのである。 「晴くんは相当、ショックを受けている。落ち着く時間が必要だよ」 「そのようだな」  平田は割とあっさり同意した。 「聞きたいことは、星の数ほどあるが。彼がそれにふさわしい精神状態にないことは、人心に疎い私でも分かるよ。で? 久太郎君。君、これからどうする気だい?」 「晴くんが落ち着くまで、そばにいる」 「その後は?」  平田は、つっけんどんに聞く。 「君のことだ。必要以上に、背負い込むんじゃないか? なんと言っても、鈴木君は赤の他人だ。数日泊めるくらいならまだしも、それ以上は……」 「平田さん」  久太郎は、穏やかにさえぎった。 「『まずは目の前のことを、一つずつ片付けていけ。そうすれば、自然とやるべきことが見えてくる』――って。これ、じいちゃんの受け売りだけど、俺は正しいと思う。これからのことは、昼ごはんでも食べた後で考えるよ」 「…なら今晩あたり、連絡をくれ。しなかったら、私の方からする。私も関わった身だ。微力ながら、力になるよ」 「ありがとう」  久太郎はほほえんだ。 「あと、ごめんね。博物館、行けなくなって」 「構わないさ。九月までやっているから、また機会を見つけて行けばいい。ではひとまず、私は家に戻って、この丸山大尉の手記でも読んでみるとするよ」  平田を見送り、久太郎は部屋の中に戻った。 晴の姿勢は、十分前から変わっていない。壁に背をあずけ、うつむいたまま身じろぎもしない。まるで、木に彩色を施した彫像のようだ。  その前に久太郎はひざを折って、晴の顔をのぞき込んだ。 「暑いけど、少し外を歩かないかい?」  久太郎は最初、散歩するつもりだった。  だが、平田が言ったように、屋外はあまりに暑すぎた。摂氏三十七度は、確かに出歩くべき気温ではない。  人はおろか、蝉の声すら途絶えている。きっと今頃、昆虫たちは(ただす)の森か、さらに山を登った大原(おおはら)あたりの木陰に、一時避難しているのだろう。  結局、二百メートルも行かないうちに、久太郎は移動手段をバスに切り替えた。  特に、これといって目的地を決めていたわけではない。それでも、乗った路線の停留所の一つに、ガソリンスタンドに併設されたカフェがあるのを思い出して、そこで降りることにした。  チェーン店なので、それなりに混んでいる。それでも四条や京都駅周辺のように、常時、観光客でごった返しているわけでもない。腰を落ち着けて話をするには、案外、悪くない環境だった。  久太郎は晴を空いていた席の一つに座らせると、飲み物と軽食を買いに行った。二日酔いは大分マシになってきている。だから自分の分も含めて、パスタを二人分、注文した。  トレイを手に戻ってきた久太郎を見て、晴は表情をくもらせた。  久太郎が理由を尋ねると、晴は情けなさそうに言った。 「金を持っていない――少なくとも、この時代のは」 「分かってるよ、そんなこと。いいから、食べて、食べて」 「すまんーーいただきます」  晴はフォークで麺を食べた経験がなく、口に入れるまでに短い格闘が必要だった。  しかし一口、口に入れると、なんとも言えない旨味が、口いっぱいに広がった。 「この時代の食べ物は、うまいもんばっかりだな」  しみじみ言って、二口目を食べる。その姿を見て、同じようにパスタを頬張っていた久太郎は、また祖父の友弥のことを思い出した。 ――じいちゃんが、よく言ってたな。昔は、今ほど豊かじゃなかったって。  小学生の頃、久太郎は夏休みになるたびに祖父母の家で過ごした。  友弥は孫には甘い人間だった。しかし、二つのことに関しては、久太郎を厳しくしつけた。     挨拶はきちんとすること。   ものを粗末にしないこと。特に食べ物は好き嫌いせず、残さずに食べること。  晴の振る舞いは祖父たちの世代により近く、久太郎たちとはやはり、どこか異なっていた。  その時、晴がポツリとつぶやいた。 「――本当に帰ろうと、思っていたんだ」

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