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第2章②

 晴のその言葉を聞いて、久太郎はコーヒーのカップを下ろした。 「帰るって、元の時代にかい?」 「ああ。八十年後の世界は、すごいと思う。街は電灯の光で溢れてて、夜も明るい。食べ物に不自由している人間はいないし、どれもうまい。科学も発展して、葉書くらいの大きさの機械で色んなことができる。他にも色々、俺が驚くことが山ほどあるんだろう――でも、ここは俺の生まれた時代じゃない。少し…のぞき見るだけで、十分だ」  如月大尉どのにそっくりな、ひ孫にも会えたし、と晴は心の中で付け加える。 「日本が戦争に負けたと知って、驚いたし、悔しいと思った。だけど…薄々、そうなる気もしていた」  晴は語った。 「三月の大空襲で、東京がほとんど焼け野原になった。名古屋も、大阪も、神戸も…日本中のいろんな街が、アメリカの空襲のせいで廃墟になって、沖縄も米軍の手に落ちた。そんな状態だったから、負けても不思議はないと思った」  「負けるのは悔しいよ」と、晴は繰り返す。 「だけど、あと二ヶ月足らずで戦争が終わると知った時、少しだけ救われたんだ――あとちょっと踏ん張れば、生き残れるって分かったから」  晴は顔をゆがめた。 「情けないな、俺は。元の時代に帰りたいよ。でも、死にたくない。どうしたら、いいんだ…」 「…俺が晴くんの立場でも、同じように途方に暮れていた。情けなくなんか、ない」  久太郎は、うなだれる晴をなぐさめた。 「聞いて。俺、大学の春学期の授業が全部終わって、今日から夏休みなんだ。九月の半ばくらいまで、二ヶ月くらい。その間、俺の部屋で寝泊まりしたらいいよ。飯も作るし。それで、これからどうするか、じっくり考えたらいい」 「…そんなの、迷惑だろ」  晴は突き放すように言った。 「あの平田って女が言ったように、俺にそこまでする義理はない」  どうやら、平田が帰り際に久太郎に話したことが、聞こえていたようだ。  平田の忠告を、久太郎は思い起こす。  晴は赤の他人だ。深入りすることはない――第三者から見たら、平田の意見の方が現実的で正しいのだろう。  しかし、それで久太郎はよくても、見放された晴は救われない。  久太郎は晴の力になりたいし、できることならこの苦境から救ってやりたかった。 「迷惑じゃない」久太郎はきっぱり言い切る。 「俺が助けたいから、助けるんだ」 「…どうして、そこまでするんだ?」  晴は反論してきたが、先ほどに比べれば、とがった口調はずい分、弱まっていた。  どうして?――そんなこと、久太郎にとって、改めて考える必要もなかった。  鈴木晴という、八十年前からやって来た戦闘機乗りの青年が、好きになりかけている。  いや、多分もう大分好きになっている――恋愛感情を伴うという意味で。  けれども、口が裂けても、真実を打ち明けることはできない。晴に気持ち悪がられるだろうし、何より助力を拒絶される口実を、増やしたくなかった。  だから別の、やはり嘘ではない理由を話した。 「じいちゃんが、困っている人間には、できるだけ手を差し伸べてやれって言っていた。特に、本当に困っている人には。俺はその教えを守りたい」 「……」 「それに元はと言えば、俺のひいじいさんが、晴くんにおかしなマッチを渡したせいで、こうなったんだ。まあ、もう死んでるから、責任を取らせたくても、取らせようがないけどーー」  久太郎は、できるだけ厳しく見えるよう、表情を作った。そして、 「ーー鈴木晴伍長」  と言った。  効果はてきめんだった。  うつむいていた晴がビクッと顔を上げる。丸まっていた背中も、一瞬で伸びた。 「『俺が変なものを渡したせいで、ひどい目に遭わせたんだ。せめて罪滅ぼしに、助けさせろ』――って。ひいじいさんなら言うと思う」  久太郎は最後の部分で、いたずらっぽく笑った。  晴は目を瞬かせる。そして、顔をしかめて一言、 「全く、似ていない」と久太郎に告げた。 「大尉どのは、そんな偉そうな物言いはしなかった」 「あれ、そうだったの…」 「久太郎」  晴は初めて、名前を呼んでくれた。  そして、頭を下げた。 「二ヶ月の間に、身の振り方を必ず決める。だから、それまで世話になる。この恩は、必ず返すから」 「うん。そうして」  久太郎はほほえんだ。晴も肩の荷が少し下りたようで、はりつめていた表情がゆるむ。  いい雰囲気が、互いの間に流れかける。  その途端、久太郎の腰の辺りから、爆音が鳴り響いた。店中の客たちの視線が集中する中、晴が叫んだ。 「久太郎! スマホの音、小さくしとけって!!」

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