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第2章⑤

 賽銭を投げ、鈴を鳴らし、二礼二拍手。それから二人は手を合わせた。  無事、参拝を終えた後、晴は久太郎に尋ねた。 「何の願いごとをしたんだ?」  久太郎が少し照れくさそうに答える。 「『晴くんのこれからの日々が、幸せでいいものでありますように』って、お願いした」 「…なんだよ、それ」 「晴くんは?」 「あー。『久太郎が早いところ、平田と別れて、もっと(しと)やかで優しい女にめぐりあえますように』って、願っといたぞ」 「ちょっと…」 「いや。本当に、あの女はやめておけ。顔は確かに可愛いが、口と性格がひどい。結婚なんかした日にゃ、完全に尻に敷かれるぞ」 「待って、待って! 誤解だ」  久太郎は全力で、晴の勘違いを訂正した。 「平田さんは、俺の彼女じゃないし、性格も悪くないよ。物おじせずに、思ったり考えたりしたことを、そのまま口に出してしまうことがあるけど。本当に、悪い子じゃないよ」  後半について、晴は同意しかねた。しかし、それについてはとりあえず保留しておく。 ーー…あー。恋愛とか疎そうだよな、久太郎。    女に秋波をおくられても、気づかないか、相手が愛想笑いを浮かべていると思って、笑い返すタイプだと、晴は思った。  晴はわざとらしく、ため息を吐いた。 「…あのな。ひとり暮らしの男のところに、女がひとりでやって来るなんて、普通、惚れてるか、できてるかのどちらかだろ」 「どっちでもないよ…」  久太郎は否定したものの、声にやや力がない。  できてはいない。しかし、平田が過去に久太郎に好意を示したことは事実だった。  今はいい友達だが。  好意を拒絶された時、平田は感情的になって久太郎を困らせることもなかったし、久太郎が打ち明けた秘密――同性しか好きになれない――を第三者にもらしたり、匂わすこともなかった。  簡単なようで、実はどちらも難しいことである。  もっとも、その辺りの事情を、晴に話すのはためらわれた。だから、久太郎は思い切って、「嘘も方便」ということわざの実践者になった。 「晴くんの時代と今とじゃ、男女の関係性も変わっているんだ」 「…そうなのか?」 「男と女がただの友人同士っていうのは、普遍的なことだよ。学校だって男女共学が圧倒的に多いし」 「ふーん…まあ、そういうことなら」  晴は、社務所の方に目を向ける。  ちょうど観光客と思しき若い女性たちが群がって、「うさぎ、可愛い」と歓声を上げていた。 「…いい女がいたら、早めに告白しとけよ」  久太郎が反論する前に、晴は言った。 「飛行兵なんて、明日も知れぬ命だからって。好きになった女に気持ちを伝えるのをあきらめて、結局そのまま戦死したやつを、何人も知ってるんだーー心残りだったと思うよ」  久太郎は言葉を失った。  晴は久太郎に背を向け、石段へ向かった。何を願ったか聞かれた時、うそをついた。  本当は、靖国まで行ってすべき願掛け。  でも、晴の今の事情が事情だから、許してもらえるだろう。  晴は、先に逝ってしまった者たちに、語りかけていた。 ーー日本は負けた。でも、未来はこんなに豊かで平和だ。だから、安心して眠ってほしい、と。  晴は石段を下りたところで、久太郎をふり仰いだ。  晴の方を見つめ、何か言いたげだった。 「どうした、久太郎?」 「…晴くんは、あっちの時代に好きな人がいたの?」  晴はすぐに答えられなかった。  二人の間を風が吹き抜け、暗い緑の葉を揺らす。  ざあっという音に混じり、微かに聞き取れるくらいの声が、久太郎の耳に届いた。 「――いたよ」 「…会いたいよね」  久太郎の言葉に、晴は悲しげに笑った。 「会いたいな。でも無理だ。その人はもう、死んでしまったから」 

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