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第2章⑧

「晴くん。戻ったよ…」  玄関ドアを開けた久太郎は、小声で呼びかけた。もしかすると、晴が寝てしまったのではと、思ったのだ。布団の方を見ると、案の定、晴は目を閉じて寝入っていた。  久太郎は忍び足で、枕元へ歩み寄った。  エアコンをつけたままにしたおかげで、今朝より寝苦しさは減ったようだ。見たろころ、体調に悪化の兆候は見られない。それを確かめて久太郎は、ほっと息をついた。 「ゆずってもらった布団。取ってきて、部屋に入れないとな…」  立ち上がりかけた時、ポケットに入れたスマホがブブッと振動した。  晴を気づかって、久太郎は昨日の夜から、メッセージの着信時に音が鳴らない設定に変えていた。平田からの連絡か、と思って、久太郎は画面を見た。 〈エリカ:行かなくていいわよ〉 「……」  久太郎は、無表情に文字の羅列を見つめる。バイクで走っていたので、着信に気づかなかった。アプリを起動させると、如月エリカーー久太郎の母が、数回メッセージを送っていた。 〈大学の授業、もう終わったの?〉 〈夏休みだからって、遊び呆けてちゃダメよ。若い時こそ、時間は貴重よ。有意義に使いなさい〉 〈ところで、あなた今年のお盆も、おじいちゃんの家に行くつもりなの?〉 〈行かなくていいわよ。はっきり言って、時間のムダだから。お父さんたちの不愉快な会合に、あなたまでつきあう必要ないわ。もっと他のことに、時間を使いなさい――〉  メッセージはさらに続いていたが、久太郎は最後まで読まずに、スマホをテーブルの上に裏向きに置いた。すぐに返信する気になれなかった。頭の中で、日本とアメリカ東海岸との時差を計算する。多分、仕事を終えた母は、家へ戻ってすぐに息子にメッセージを送ったのだろう。なら、今日中に返信をすれば許される。  母親が久太郎の行動に口出しするのは、今に始まったことではない。物心ついてから、ずっとそうだった。我が子が二十一歳になってまで続くのは、どうかと思うが。  一人前の人間として扱ってほしいと、言っても、きっと母は鼻で笑うだろう。  そういう偉そうなことは、自分で稼げるようになってから言いなさい。親のお金で大学に行かせてもらっている間に、言うことじゃないわ、と。  別居中の夫――つまり久太郎の父親と、言うことが驚くほど似ていた。  久太郎はスマホの存在を一時、忘れることにした。母への返信より、優先すべきことがある。  まずはバイクにくくりつけたままの布団を、部屋に運び入れること。  それから、晴が起きてくるまでに、壱ノ日島への旅行の計画をつめておこうと思った。

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