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第3章③

 バイクが停まった音を、不審に思ったのか。  一番、近い家の門が開き、サンダル履きの女性が姿を現した。五十歳ほどと思われるその女性に、久太郎は思い切って声をかけた。 「すみません! ちょっと、お尋ねしたいんですが。ここに昔、鈴木さんという方が、住んでいませんでしたか?」  女性の顔に、まず驚きが、それから警戒が浮かんだ。 「…ええ、いましたよ。お兄さんたち、一体、鈴木さんとはどういうご関係で?」  久太郎は最初から、真実を話す気はなかった。  八十年前の人間がタイムスリップして、自分の故郷に帰ってきたなどと言っても、かえって混乱と不信を招くだけだ。久太郎はあらかじめ用意してきた、もっともらしい作り話――平田からもらったアイデアだ――を語った。 「俺の曽祖父が生前、陸軍の軍人だったんですが。最近、その持ち物を整理していたら、中から写真が見つかったんです。同封されていたメモから、写真が曽祖父の部下だった鈴木伍長という方の遺品で、一時的に預かったまま返せずじまいになっていたことが分かりました。幸い、鈴木さんのご実家がこちらにあることも書いてあったので、それを頼りにうかがった次第です」  久太郎は、晴を呼び寄せて、問題の写真を女性に見せた。  セピア色の写真には、夫婦と、それから上は十二、三歳くらいから下は赤ん坊まで、さまざまな年齢の子どもが五人、写っていた。  もちろん、晴の持ち物だ。いつも財布に入れて持ち歩いていたため、持ち主と共に八十年の歳月を越えてきたのだ。写っている晴は半ズボンを履いた、まだ五歳の子どもだ。しゃちこばっているが、いかにも可愛らしく、髪が長ければ十中八九、女の子と間違われそうな顔立ちをしていた。  女性は差し出された白黒写真を、しばらくの間、じっと眺めていた。  それから、二人の来訪者に向かって、おもむろに告げた。 「…うちのおじいちゃんなら、私より詳しく知っていると思うわ。暑いし、立ち話もなんだから、こっちに来て、お上がんなさい」  女性が出てきた門柱には、「佐々木」という表札が出ていた。  晴が実家を出て、少年飛行学校に入った時点でも、隣家には佐々木という一家が住んでいた。しかし、少なくとも家は建て直されたようで、晴の記憶にある面影は、全くなかった。  晴と久太郎は、ダイニングとリビングを兼ねた広い部屋に通された。そこでしばらく待っていると、先ほどの女性が、自分の父親ほどの年齢の老人を連れて、戻ってきた。 「うちのおじいちゃん。夫のお父さんの佐々木良正(ささきよしまさ)さん。この島の生まれで、ずっとここで農家をやってきたの」  それを聞いた晴は、目をみはった。 ――ヨシ坊?!  隣家の佐々木家には、三人の子どもがいた。女、女、男の構成で、末っ子の良正は、しょっちゅう風邪を引いては、青鼻を垂らしている病気がちな子どもだった。  目の前に座った九十歳近い老人と、晴の記憶にあるひ弱な少年の姿を重ねることは、かなり難しかった。 「おじいちゃん、糖尿病を患ってね。今は目がほとんど見えなくて、耳も少し遠くなっている。でも、頭はしっかりしているから」  佐々木に向かって、久太郎は再びこの島に来た事情を説明した。老人は、聞こえていることを伝えるように、時々、相づちを打った。  久太郎が話し終えると、佐々木はゆっくり話し始めた。 「お隣の鈴木さん。気の毒な一家だったと、私の母がよく言っていた。戦争に子どもを皆、奪われてしまったって――」  佐々木の台詞に、久太郎はぎくりとした。  招かれるまま、家に上がったことを今になって悔いた。  佐々木老人がこれから話すことは、晴にとって初めて聞く家族の消息になるはずだ。  しかし、今更、聞くのをやめるわけにもいかなかった。

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