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第3章⑥

「――ありがとうな」  晴が、傍らに座る久太郎に礼を言った。  ザァザァと、引いては寄せる波の音が、自然と耳に染み込んでくる。  二人は、墓地のすぐ下、木陰になっている防波堤の上に腰を下ろしていた。すぐ目の前は砂浜で、その向こうにべた凪の瀬戸内海が広がっている。  晴の言葉に、久太郎は首を振った。 「お礼なんていいよ。それより、ごめん」 「なんで、久太郎が謝るんだ?」 「ここに来るよう、晴くんにすすめたのは俺だ。そのせいで、悲しい思いをたくさんさせることになった」  晴はすぐに答えず、きらめく海面を見つめた。 「――正直、知らなきゃよかったとは思うよ」 「…うん、そうだね」 「だけど、知らないままだったら。家族が眠っている墓は、ずっと手入れされずに荒れたままだった。久太郎のおかげで、きれいにできて、墓参りもできた。だから全然、気に病むことなんてない」  晴は海から砂浜に目を向ける。少し迷ったものの、思い切って防波堤から飛び降りた。  着地すると同時に、裸足の指の間に砂が入ってくる。その慣れ親しんだ感触が、また記憶を呼び起こした。 「この浜じゃないが。子どもの時は、夏は毎日、海で泳いだり、磯でタコやカニを探して、捕まえていたんだ」 「晴くん、泳ぐの得意そうだよね」  それを聞いて、晴は苦笑を浮かべた。 「ところが、そうでもなかった。むしろ、泳ぐのも船に乗るのも苦手だった。兄貴たちにしごかれて、やっと人並みに泳げるようにはなったけど、長い時間、船に乗ると酔うのだけは、どうにも治らなかった。兄貴たちみたいに、海に出るのは無理だと思って、陸軍の少年飛行兵を目指したんだ」  晴は目で、久太郎に降りてくるよううながした。  久太郎は晴にならって、靴と靴下を脱いで下に降りる。砂浜はコンクリートの防波堤よりは暑くなく、海の湿り気を帯びていた。  久太郎は額に両手をかざして、魚の鱗のように光る海面を眺めた。 「海水浴には、もってこいの場所だね」 「盆を過ぎると、海も浜もクラゲだらけになるけどな。浜に打ち上げられたやつは、曇りガラスで作った円盤みたいで、うっかり触ると後ですごく腫れる。それが、あちこちに落ちてるんだ」 「うわぁ…」 「今はまだ大丈夫だ。泳ぐか?」 「いや、さすがに水着を持ってきてないし…」 「なら、せめて足だけでもつけてみるか」  晴が歩き出したので、久太郎も波打際まで歩いていった。  一昨日に降った雨の影響で、水は少し緑がかって濁っている。足をひたすと、生暖かいなりに気持ちよかった。じゃぶじゃぶと、水をかき分けて晴は進む。久太郎が後を追うと、すぐに膝のあたりまで海水に浸かった。  その時、晴が振り返って、出し抜けに言った。 「あ。そこ、クラゲいる」 「え! どこ?」  久太郎は慌てて、周囲を見渡した。  その瞬間、狙いすましたように晴が飛びかかってきた。押し倒される勢いのまま、久太郎は瀬戸内の海の中にダイブした。深くはなかったが、もれなく全身、ずぶ濡れになった。 「晴くん…!」  海面に顔を出した久太郎が、非難の叫びを上げた。スマホをカバンに入れて降りてきたことが、不幸中の幸いだ。  濡れた髪をかきあげ、文句を言いかける久太郎の耳元で、笑い声が弾けた。  晴は久太郎の身体に寄りかかり、ケラケラと笑っていた。  無論、久太郎と同様、こちらも濡れねずみの状態だ。 「ははは! この島の子どもなら、小学生でも引っかからないよ、こんなイタズラ…‥」  その笑い声が、不意に乱れる。  少年の面影を残す顔が、海水と別のもので濡れていることに、久太郎は気づいた。 「…泣いてないからな」  久太郎の肩に顔を埋めて、晴は言った。 「男が何度も、めそめそ泣くなんて。そんなみっともない真似、していないからな…」  久太郎は何も言わなかった。  晴が返事など求めていないことを、きちんと理解していた。必要なのは、ただ寄りかかって、悲しみをぶつけられる存在だけ。  晴が必要なら、久太郎は何時間でも、その役目を果たすつもりだった。  肉親の死を悼み、泣く声と、潮が満ち引きする音が、久太郎の耳元で混じり合う。  目の前に広がる遠浅の海は穏やかで、どこまでも平和そのものだった。

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