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第4章③

 晴は久太郎の下宿に戻ってから、何度も恋情を切り捨てたり、忘れようとした。  けれども、今に至るまでうまくいっていない。それどころか想いは深まり、強くなる一方だった。 ーーどうして、こんなことになってしまったんだ?  晴は呆然となった。  久太郎の外見が、如月にそっくりだったからか?――多分、それは大きい。  だが如月とはまた異なる久太郎の人柄や優しさに、晴は惹かれていた。かといって、如月へ抱く慕情が消えてしまった訳でもなかった。  自分自身を、殴りつけたい状況だった。浅ましいにもほどがある。不幸中の幸いは、この(よこしま)な感情を、如月には最後まで悟られなかったし、久太郎にも気づかれていないことだ。  自分が取るべき行動は一つ。隠し通すことだ。今までだって、そうしてきた。  同性にばかり魅かれてしまうことを、他人はおろか家族にだって一度も話したことはなかった。親不孝だし、自分のせいで家族が周囲から後ろ指を指されるなんて、晴は考えただけで耐えられなかった。 ――大丈夫。きっと、うまくやれる。  晴は自分に言い聞かせた。とにかく久太郎に、絶対に知られるわけにはいかない。もしも、気づかれてしまったら――どんな反応をされるか、考えたくもなかった。    具材を炒め、袋めんを入れる。後は調味料を混ぜるだけという段になって、晴はソースが見当たらないことに気づいた。 「久太郎。ソースは?」 「あ、しまった。切らしたのに、買うのを忘れてた」 「なら、代わりに醤油で味付け…」 「そんなシロモノ、私は焼きそばと認めないぞ!!」  平田が本気で怒った。久太郎は慌てて、友人をなだめた。 「すぐ買ってくるよ。十五分くらいで戻るから、待ってて」  スマホ片手に久太郎が出ていくと、当然のようにその場には晴と平田だけが残された。  調味料を入れれば完成の状態だったので、特にやることがない。  気だるげにちゃぶ台に肘をつく平田を見て、晴はつい嫌味を言った。 「さっきから、ずっと座ったままだな」 「お客の身だからね」平田は悪びれずに言う。 「それに久太郎君の下宿以外、この近辺の地理に明るくなくてね。最寄りのスーパーの場所も知らない」 「スマホで調べれば、済む話だろう」 「お、言うね。ずいぶん、八十年後の世界に馴染んできたじゃないか」 「…呉葉(くれは)は、久太郎の友達なのか?」  いきなり下の名前を呼ばれ、平田はキョトンとした。  別に晴に特別な意図があった訳ではない。女性を苗字で呼ぶのに何となく違和感があったし、「さん」などと敬称をつけるのも気が乗らなかった。  それでも思いがけず、平田の気どった態度の下にある素の顔がほんの一瞬、かいま見えたような気がした。 「――ふむ。久太郎君のことは、友人だと認識しているが」 「本当は恋人じゃないのか?」 「違うね。男女の友人というのは、大正生まれの君の発想に、そもそもないかもしれないが…」  平田はニヤッとする。 「彼が私を押し倒して抱いたことはないし、そんな素振りを見せたこともない。一度もね」 「…おい」 「ん?」 「年頃の女がそういうことを口にするな。はしたない」 「あはは。確かに」 「なんで久太郎がお前みたいなやつと友達になったのか、訳がわからん」 「ふむ。興味があるなら、話してあげようか」 「……ヒマだから、聞いてやる」 「大したきっかけじゃない。去年の暮れにね。大学から帰る途中、道端に服を着たマネキンが落ちてたんだ」 「……は?」 「確かに、そういう反応になる状況だな。私も、変だと思いながら近づいていった。すると、それはマネキンなんかじゃなくて、酔っ払って寝ている男子学生だった。ちなみに、当日の京都市の最低気温は0度だ。外で寝たら、普通に凍死するな」 「……」 「お気づきの通り、その学生の名前は如月久太郎と言って、忘年会の帰り道、自宅に着く前に力尽きて路上で寝てしまったらしい。幸い、私が愛用しているスチールのペンケースを背中に滑りこませたら、冷たさで飛び起きた」 「起こし方、ひでえな」 「寝たまま凍死するよりマシだろう。で、起きた彼を下宿まで送り届けて、私はつつがなく帰路についた――と言いたいところだが、終電を逃してね」 「まさか、泊まったのか?」 「おいおい。さすがの私も、ろくに面識のない男の部屋に上がり込むほど、非常識じゃないよ」  平田はヒラヒラと手を振る。 「普通に家の人間に電話して、車を出してもらった。ちなみに久太郎君とはそれきりで、再会したのは年が明けてからだ。ひどく恐縮していた彼に、学食でご飯をおごらせて貸し借りを帳消しにした。それ以来、付き合いが続いている」

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