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第4章⑩

「ところで、鈴木君。初期設定、自分でできるかい?」 「……」 「その顔を見るに、無理そうだね。せっかくだから、一緒に済ませておこう」  それから十五分ほどかけて、晴は平田と一緒にパスワードなどを設定した。ついでに、平田と久太郎の電話番号も登録する。 「――よし。これでOKだ。一度、かけてみてくれ」  晴は登録したばかりの久太郎の番号を選ぶ。久太郎が電話に出た時の反応を想像し、少しワクワクした。  しかし――流れてきたのは「出られない」旨を伝える自動音声だった。 「出ないな」 「そういえば、久太郎君が降りて行ってから、ずいぶん、時間が経ってないか?」  平田に言われ、晴は壁にかけられた大時計を見た。驚いた。なんと三十分近く経っている。  食事を取ってくるだけなら、遅すぎる。  晴は平田と共に、様子を見に一階へ降りていった。  そこで目にした光景に、晴はあっけにとられた。  久太郎が、彼より三倍以上は確実に生きている老人たちに囲まれて、愉快そうに談笑していた。顔全体が真っ赤で、その色たるや温泉につかったニホンザルさながらだ。手にしたコップの中身が、ビールよりもはるかにアルコール度数が高い飲料であることは明らかだった。  平田が手で顔を覆って、うめいた。 「…私としたことが。無垢なる仔羊を、ティラノサウルスよりタチの悪い存在の前に放り出してしまったようだ。とんだ失態だ」 「いや、どういう意味だよ?!」 「うちの父親につかまったんだ」  平田は久太郎のそばに立つ男を、ぞんざいに指差した。上品で紳士的な老人。しかし、注意深く観察すれば、平田と顔のパーツがいくつか一致することに気づくだろう。 「私の父は、善良な人間を堕落の道へ誘い込む天才なんだ。娘の私が言うのもなんだが…時々、地獄の支配者が、人類に悪行を重ねさせるためにつかわした悪魔なんじゃないかと思うよ」 「おい。自分の父親のことをそんな風に言うな。さすがに、ひどすぎるぞ」 「ふん。父の舌に言いくるめられた人間の数を知ったら、きっと私の言ったことですら控え目に思うだろうよ。彼にかかれば、最も禁欲的なベジタリアンでさえ、特大のサーロインステーキを喜んで食べるようになる。久太郎君に酒を飲ませるのなんて、朝飯前だ」  平田は履いていた下駄で、床板をカンと鳴らした。闘牛士に突進して角で串刺しにせんとする牛、あるいはマサイ族の戦士に飛びかかって噛み砕こうとするライオン、といったところか。 「ちょっと、待っていてくれ。久太郎君を、救い出してくる」  父娘の舌戦が続くこと約十分。  ようやく、平田は久太郎の身柄を取り返すことに成功した。  久太郎は、まだ自力で歩くことができた。しかし、通常でも垂れ気味の目は、さらにとろんとして、さながら夢見心地のセントバーナードのようだった。  そんな締まりのない顔で、「平田さんのお父さん。気さくで、いい人だねー」などと言うものだから、平田としても怒るに怒れない。特大のため息をついて、スパゲッティを口に頬張る晴に告げた。 「今夜、君たちをバイクで帰すわけにはいかないな。飲酒運転の幇助者には、なりたくないんでね。鈴木君、明日の予定は?」 「特にない。久太郎も、次回のバイトはお盆明けだって言っていた」 「なら、今晩はここに泊まって行ってくれ。個室はすでに満杯だが、畳のある大部屋なら、まだ余裕があったはずだ」

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