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第4章⑪

 平田は久太郎と晴が泊まれる手配するために、人混みをかき分け、再び一階に降りていった。周りを歩く人の数が、だいぶん増えている。晴が時間を確かめようとした途端、バルコニーの向こうの夜空がパッと明るくなった。  それからわずかに遅れて「ドォン」という音が、いくつも立て続けに聞こえてきた。  晴と久太郎が座るテーブルの周囲で、歓声が上がった。 「あ。花火、始まったね。タマヤー」  久太郎がニコニコしながら立ち上がる。 「せっかくだから。外で見ようよ、晴くん」 「ああ…」  晴の頭に一瞬、平田のことがよぎる。戻ってきた時、晴と久太郎がそろっていなくなっていたら心配するかもしれない。しかし、晴はすぐにスマホの存在を思い出した。何かあったら、電話してくるだろう。そう考え直して、久太郎の後に続いて、テラスへ出た。  今日も熱帯夜である。屋外は立っているだけで、汗が噴き出てくる気温だった。にもかかわらず、来客の多くが、花火がよく見えるテラスへ出ることを選んでいた。  人だかりを見て、晴は「出遅れたな」と思った。琵琶湖の湖面が見える側は、すでに大勢の人間で埋め尽くされていた。  その時、温かく力強い手が、晴の右手に触れた。  手を握ってくる久太郎と目が合った瞬間、晴の心臓が点火した発動機みたいに、バクバク音を立てはじめた。 「晴くん、こっち」  晴の手を引っぱって、久太郎は人がまばらなところへ誘導していく。その間にも、鮮やかな赤や金色の光が、夜空のキャンパスに刹那の花を咲かせて散っていく。  しかし晴は、ろくに花火を見ていなかった。目に映るのは、ただ一つ。自分の手を引いて歩く青年のたくましい背中だけだった。  ヒューという鏑矢に似た音を残して、大空へ花火玉が飛んで行く。  久太郎が立ちどまり、晴を振り返る。  ちょうど花開いた光のシャワーが、その柔らかな微笑みを照らし出した。  切り取られた一瞬の肖像が、写真のネガのように晴の目と心に焼きついた。  そして気づいた時には、久太郎の両腕の中にいた。  周囲の人間は皆、ひっきりなしに打ち上がる花火に夢中だ。  テラスの隅で抱き合う二人の青年を見るものは、誰もいなかった。 「…晴くん」  久太郎の声と息が、晴の耳にかかる。熱いくらいの体温が、薄いシャツ越しに伝わる。  溺れそうな息苦しさと、この上ない甘さが同時に襲いかかってきて、晴は動けなくなった。  久太郎が、ささやいた。 「ーーお願いだから、この時代に残ってほしい。晴くんがいなくなったら、俺は嫌だ」  晴は声もなく、久太郎を見上げた。  晴より八十年後の世界を生きる青年は、自分の本音を覆い隠すように晴に笑ってみせた。  久太郎は両腕を解いて、また花の開いた夜空を指差した。 「ほら見て。綺麗だね」  それでも、晴がいなくなるのを恐れるように、片手をずっと握っていた。

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