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第5章⑤

「いいお湯かげんだったよ」  ふすまを開けた久太郎はそう言って、両手に抱える網のようなものを畳に置いた。 「ついでに、じいちゃんの部屋から蚊帳出してきた。寝るところに、吊っておこう」 「お、いいな」  晴は久太郎を手伝って布団を敷くと、その上を蚊帳で覆った。部屋自体、年季が入っている和室だ。晴は少しだけ、あの頃に――元いた昭和二十年に、戻ったような気分を味わえた。  久太郎と交代で、風呂に向かう。湯から出て戻ると、和室の畳の上に行李が置かれていた。 「じいちゃんが亡くなった後、この部屋で見つけたんだ」  久太郎が言った。 「叔父さんたちとの約束で、あんまり家の中のものに手をつけちゃいけないことになってるから、ろくに整理できてないけど……見るだけならかまわないと思って、出してきた」  久太郎が行李のふたを開ける。中身を一目見て、晴はそれが誰の持ち物だったかを悟った。  見覚えのある軍帽。腕時計。丁寧な筆致で宛先が書かれた、たくさんの封筒――。  八十年前に亡くなった如月久弥の遺品だった。  葉書の一つを手に取って、晴はなつかしいことを思い出した。 「一度、休みで飛行場から外出した時、大尉どのに頼まれたんだ。奥さん宛の大事な手紙を、投函してきてくれって…」  如月に頼み事をされた晴は、意気揚々とそれを果たした。短い道中にずっと握りしめて見ていたので、貼られた切手の枚数と柄まで覚えているくらいだ。  そして驚くことに、いくつもある封筒の中に、その時の手紙もあった。戦中のことで紙は決して上質ではなかったが、それでも八十年の歳月を耐えぬいていた。  宛先は「如月朝子様」。久太郎の曽祖母だ。  きっと家族宛の手紙だろうと思った久太郎は、軽い気持ちで封筒から黄ばんだ便箋を取り出した。  その一行目に書いてあったのは、 〈朝子さん。君に会えなくて、ぼくは気が狂いそうなくらい寂しい。今すぐ君のみずみずしい肌に触れて、なぐさめを得たい――〉 だった。 「……」 「……」  久太郎の肩越しに手紙を目にした晴は、数行読んだところで、久太郎の両目を手で塞いだ。 「ちょっと、晴くん…」 「いや、もう読むな。そのまま、封筒に戻して、見なかったことにしてあげてくれ」 「え、ええ…」 「身内に自分の出した恋文を読まれるなんて、苦行以外の何ものでもないだろう! 大尉どのが気の毒だ。しかも、こんな…」  晴は顔を赤らめ、途中で言葉を濁す。  読んでしまった部分に限っても、こちらが気恥ずかしくなるような破廉恥な文言が並んでいた。自分の妻に宛てたことを割り引いても、表現があまりに露骨できわどすぎる。どうりで、晴に頼んで、こっそり投函させたわけだ。飛行場から直接、郵便物として出していたら問答無用で検閲に引っかかり、大半が黒塗りにされていただろうーー機密うんぬんではなく、軍の威厳と公序良俗を損なうという理由で。  始末書を書かされても、納得してしまうレベルだった。  どちらかといえば淡白な気質と周囲に思われていた如月に、こんな情熱的な面があったとは、晴は思ってもみなかった。 「――奥さんのこと、本当に好きだったんだな」 「ひいじいさんも、人間だったってことかな……」  久太郎は言われた通り、封筒を元の位置に戻した。  その時、古い画帳のようなものを見つけた。  表紙に、〈友弥へ〉とあった。  

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